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「虹の音色」 第26話:コンプレックス

 深夜1時半。僕は眠れないでいた。昼間の霞ヶ浦さんとの会話を思い出し、自分の不甲斐なさ思い出すたびに眠気が取れてしまうのだ。

「お」

 ベッドで布団をかぶり、適当にネットサーフィンをしていると僕が登録しているボイスアプリから通知が来た。

 お気に入りにしている配信者の新着配信が通知するように設定されているのだ。当然、僕のお気に入りの配信者はうらりんさんだ。

 ベッドの物置場に置いてあるヘッドフォンを被り、配信台詞を聴く。
 内容は、悩んでいる人々に応援メッセージを送るというものだった。

 いつもより声が弾んでいる。コーラルピンクの声がさらに明るくなっている気がする。

「上手くいったのかな」

 つい笑みがこぼれる。

 あんな難しい相談内容、しかも自分とは相性の悪い人の悩みをよくも解決できたものだ。

 さすが霞ヶ浦さんだ。やっぱり僕の一枚も二枚も上手だ。

 僕は配信台詞をにやにやとしながら聞いていると――
 

 パララランッ。

 
「っ!?」

 僕は勢いよくヘッドフォンを外し、起き上がる。そうしてそばに置いてあるコールフレンド専用の携帯電話を手に取り、通話ボタンを押した。

「はい、こちらコールフレンドの桜川です」
 
『お、なんか雰囲気変わってんじゃん』
 
 浅い青紫色の声。聴いたことがある。いや、忘れられない声だ。

 僕がはじめて対応したコールフレンド、死にたいと言っていた中学生ほどの女の子だ。

「お久しぶりですね」

 僕は深呼吸をして、胸に手を当てる。落ち着け、冷静に対応するんだ。
 次はSOSのサインを見逃さない。ちゃんと聴くんだ。

『覚えてるんだ。名前も言ってないのに』
「耳が少しいいので」
『へぇ、アタシとおんなじじゃん』
「そうなんですか?」
『まあ耳がいいっていうか、全体的に過敏なんだよね。目もいいし、鼻も利く』

 すごいな。そんな人がいるのか。といっても、結城凪砂さんのような人がいる時点でもはや驚くことでもないが。

「あ、そうだ。お名前を聴いてもよろしいですか?」
『は? なんで』
「お話をするうえで名前を知らないと不便なもので」
『……カミスマドカ』
「カミスマドカさん。漢字でどうやって書くんですか?」
「カミスは神栖市のカミス。マドカは円に香りで円香」
 僕はインターネットで神栖市を調べる。神栖に円香で神栖円香かみすまどかさん。
『ねえこれ言う意味あった? やっぱり出会い求めてる系なの』
「違いますよ。お互いを信用するためのひとつの手法です。ちなみに僕の名前は――」

『桜川龍神。サイトで見たから知ってる。完全に名前負けしてんじゃん』

「……それは否定できませんね」

 話している感じ声色はくすんでいない。しかし最初から悩みが顕現するとは限らない。一人暮らしをしたいと言った石岡くんも最初は声色がくすんでいなかった。

 こうしてコールフレンドに電話をしてくるんだ。前回のこともある。何か悩みを抱えている可能性は高い。

 それに、サイトで僕の名前を見たと言っていた。今回はコールフレンド特設サイトに載っている僕を選んで電話した。積極的に電話をしてくれた。

『暇だから電話してみた。迷惑っしょ?』
「全然迷惑じゃありませんよ。暇つぶしの相手もコールフレンドの役目ですから」
『ずいぶん雰囲気変わったじゃん。なに? 厳しい現実に揉まれて成長した?』

「仰る通りです。コールフレンドの仕事は大変でしてね」

『よくもまあ、こんなボランティアするよね』

 神栖さんは半笑いで言う。まあたしかにその通りだ。

「こんなボランティアでも、誰かの役に立てるのがやりがいなんです」
『やりがい、ね。人生楽しそうで羨ましいよ』
「神栖さんは人生がつまらないんですか?」
『つまんない。人生楽しんでるやつの気が知れない。いや、わかってる。そういうやつってだいたい人生が上手く行ってんだよね』
『神栖さんの人生は上手く行っていない、ということですか?』

『べつに。学校行ってるし、家も特に問題ない』

 嘘じゃない。わかる。大丈夫だ。落ち着けば本音と嘘を見破れる。

「人生が退屈、ということですか?」
『当たり。龍神みたいにやりがいを持って生きてるわけじゃないわけ』

 呼び捨て。まあ、信頼してくれているひとつなのだろう。良い進歩だ。

「何か興味のあることを探してみるというのはどうでしょうか?」
『何も興味ない。やる気がない』

 何もやる気が起きない。軽いうつ状態なのか?

『常に体が重かったりしますか?』
『なに、アタシのこと病気だと思ってんの』
「色んなお話を聴かせてほしいんです。それから何かお話のきっかけになるかなと思いまして」
『ふーん、ホント、あんた変わったね』
「そうですか?」
『話の機転が利くようになった。不安を抱きながらも冷静に対処してる』
「よくわかりましたね」

 すごい洞察力だ。湊に匹敵するのではないだろうか。

『そういうのわかんだって。わかりたくもないけどね』
「立派な特技だと思いますよ」
『特技なんかじゃない。アタシはこんなんだから、人生つまんないんだよ』
「どういうことですか?」
『は?』
「あ、いや、神栖さんの能力があれば、それを活かして生活できるのではないかと思いまして」

『どうやってすんのよ。他人のことを知っても、なんにもならない』

「興味本位で聴かせてください。相手の考えをどの程度、どうやってわかるんですか?」
『目の動き、体の微妙な動作、話し方、雰囲気。それらでだいたいわかる』
「すごい力じゃないですか」
『だから、それがコンプレックスなんだって』

 問題の核は、神栖さんの洞察力の良さ。

「知りたくもないことまで、わかってしまう」
『…………』

 息遣いでわかる。これは否定できないという間だ。

「神栖さんは、僕の尊敬している人に似ています」
『尊敬してる人?』
「ええ、その人は他人の心を読める人なんです」
『ふーん、大変だね』

 大変だね、か。普通はすごいと驚くところだろう。でも、神栖さんは驚かなかった。それどころか共感した。

 やはり神栖さんの洞察力は湊、いや、結城凪砂さんに匹敵する。

「大変だったそうです。聴こうとしなくても聞こえてしまう。その性質に常に悩み、苦しんでいたそうです」
『その人はどうなったの』
「今は、ゆっくり休んでいます」
『……そうなんだ』
「興味がありますか」
『興味っていうか、なんか、他人事じゃないような気がして』

 他人事じゃない。自分もそうなってしまうかもしれない。そんな不安があるんだ。たしかに神栖さんの力は結城凪砂さんの性質に似ているかもしれない。

 結城凪砂さんほどじゃないけれど、神栖さんはおそらく、人を見るだけでだいたいの考えがわかってしまう。

 苦しいだろう。相手の知りたくもない気持ちまでわかってしまう。もし仮に自分に対して嫌悪感を抱いている人がいて、それを間接的に知ってしまうのだ。直接言われるよりもダメージが大きそうだ。

「僕も、他人事だとは思えないんです」
『龍神にもなんかコンプレックスがあんの?』
「僕は人の声を色で見ることができます。色でその人がどんな精神状態かがわかります」
『カウンセラー向きだね。それか医者』
「そう言っていただけると光栄です。でも、僕はこのコールフレンドをやる前はこの自分の性質をコンプレックスに思っていました」
『なんで』

「耳がいいと言いましたね。僕はかすかな人の声まで聴き、色を認識させられます。大勢の人の中だと、様々な色が混ざりあい、真っ黒な雨のようなものが僕に降りかかるんです」

『頭ん中破裂しそう』
「ええ、だから僕はよく教室から逃げて静かな保健室に行っていました」
『保健室』

 神栖さんはぽそりと言う。

「神栖さんもご利用ですか?」
『なんでわかんの。キ……なんでもない』

 キモい、気持ち悪い、かな。

「そのまま思ったことを仰っていただいていいんですよ。我慢する必要はありません」
『べつに。我慢なんてしてない』

 さすがに本人に向かって気持ち悪いとは言えないか。相手を思える優しい子だな。

 それか、自分自身、相手の心を読んでいることを今まで気持ち悪がられたことがあるのか。

「保健室は良いところですよね」

 静かで鳥のさえずりだけがかすかに聞こえるあの空間を思い出す。

『まあ、そうだね』
「退屈でもいいかもしれませんね」
『なにが』
「人生がです。大変な人生よりも落ち着いていて良いものでしょう」
『……そうだね』

 声がくすんだ。どうしてだ。やはり退屈な人生に嫌気が差しているのだろうか。
 違う気がする。

 神栖さんは自分の性質をコンプレックスに思っている。きっとそのコンプレックスは何らかの出来事があって、コンプレックスになったのだろう。

 やはりそのコンプレックスが問題の核か。

 どうしたものかな。神栖さんの性格だと、素直にコンプレックスを話してくれそうにない。

「落ち着いた人生なんて、送れないですよね」
『…………』
「どうやって自分のコンプレックスと向き合ってゆくか、一緒に考えていきませんか?」

『話したところで何の意味もない。慰めとかもいらない。わかったような口利かれんのが一番ムカつく』

「すみません。たしかに僕は神栖さんの気持ち、全然わかっていませんでした」
『だからあなたのことを理解したいと思っています、でしょ』

 神栖さんは僕が言おうとしたことを先に言い放つ。

「電話でもわかってしまうんですね」
『悪い?』
「いえ、話が早くて助かります。仰る通りです。僕は神栖さんを理解したい。これが本音なのはわかりますか?」
『……うん、まあ、特に違和感ないかな。いつもの自分よりも背伸びして頑張ってるってところ以外は』
「あっはは」

 本当にすごいな。どこまでこの子は人の心が読めるのだろう。

『龍神もさ、等身大で話してよ。なんか上から見下されているみたいでムカつく』
「そんなつもりはないんですが」
『龍神は無意識のうちにアタシを患者だと思ってるっつってんの。とにかく、敬語はやめて』

 無意識のうちに患者だと思っている? 僕が神栖さんに? 僕はただクライアントに対して敬意を示して…………。

 そうか。『クライアント』という言葉自体が、無意識のうちにコールフレンドを僕の患者だと思っているということか。気が付かなかった。

 神栖さんは僕の無意識の部分まで読み取れるのか。それをわかったうえで、神栖さんは僕に敬語をやめろと、患者扱いするなと言っているんだ。

「ため口でいいんですか?」
『そうしてって言ってんじゃん』

 クライアント、じゃない。神栖さんの希望なんだ。希望に沿わなくちゃならない。

「それじゃあ、お言葉に甘えてそうするよ」

 僕はできるだけ普段通りを意識して話す。

『素もふわふわした感じなんだ』
「ふわふわしてるかな」
『ふわふわというよりはなよなよかな』
「それは悪口なんじゃ」

 苦笑が漏れる。まあたしかに僕はなよなよした男かもしれないけどさ。

『変にカッコつけてるやつよりはマシ。キモいんだよね。ナルスストなやつ。もう自分大好きなのがぷんぷん伝わってくる。ホント、気が知れないわ』
「自分に自信が持てる人、僕は羨ましいよ」

『何かそれだけの根拠があればいい。でも、カッコつけてるやつに限って大したことしてない。運動や勉強が人よりできる、ちょっと周りよりも見た目が良いからってなに? 結局、そいつらよりも運動や勉強ができて、カッコいいやつもいる。あいつら結局、なんて言うんだっけ? カエルがなんちゃらってやつ』

「井の中の蛙大海を知らず、だね。広い世界を知らないで狭い空間の中で自慢げな様子」
『そう、それ。くだらない。狭い空間の中で調子に乗ってさ。何様のつもりだよって感じ』
「調子に乗ってる人が嫌いなんだね」

『逆に嫌いじゃないやついる?』

「僕はべつにどうでもいいかな。ただ、そのちっぽけな力を振りかざし他人に害を与えている人は良くないと思うけど」
『だいたいそういうやつらは無意識のうちに力を振りかざしてる。少しでも自分が人の上にいたいんだよ。そうしなきゃ、自分に自信が持てない。だから、調子に乗ってるやつに限って、本当は自分に自信がない。だからカッコ悪い』
「よく見てるね」

『見たくなくても入ってくんのよ』

「やっぱりその周りの下らなさを感じてしまうのがコンプレックスなの?」
『まあ、それもある』

 周りの人間を下らないと思ってしまったらその人たちと仲良くするのは難しいかもしれない。神栖さんは人を見下すことを嫌っている。

 そんな自分が他人を見下すこと自体嫌っているのかもしれない。そんな自分が、嫌いなのかもしれない。

 自分や他人のことが嫌いな人はおそらく、誰かに積極的に交流を図ろうとしないだろう。

 だとすれば神栖さんは孤独なんだ。それが、虚しいのかもしれない。少なくとも、誰とも楽しく接することができない学校生活は退屈で、つまらないものだろう。

「僕も学校生活は退屈だったな」
『龍神みたいな性質を持ってたらそうだろうね。まともに集団に入ることもできない。でも今の龍神を知る限り、単なる孤独な生活を送ってきたわけじゃない。誰かひとりやふたり友だちがいる』
「そう。こんな僕でも近づいてくれた人がいた。僕だけじゃない。尊敬する人にも、ずっと寄り添ってくれる人がいた」

 僕には湊や霞ヶ浦さん。結城凪砂さんには行方先生がいた。
 たとえ孤独でも、それに手を差し伸べてくれる人は、そんな優しい人が、この世にはいる。

『アタシには無理かな』
「どうしてそう思うの?」
『アタシはこんなんだから、常に相手の顔色をうかがっちゃう。それで、その相手の心を読んでることもばれて、気持ち悪がれる』
「だからひとりでいるの?」
『勝手に決めつけないでくれない? ……まあ、そうなんだけど』
「ひとりでいるならそれはそれで楽じゃない?」

『楽だけどさ、このままずっとひとりなのかなって思うとさ。それに、周りからアタシはひとりだからって見下されることもある。ホント、気に入らない』

 孤独。
 
 それが神栖さんの心を蝕む正体だ。でも、声色はそこまでくすんでいない。

 彼女は今の自分におかれる環境を受け入れている。苛立ちや寂しさはあるのだろう。
 だが、それが彼女をそこまで追い詰めているものではない。

 死にたいと思う根拠にはならないということだ。

「神栖さんは強いね。そんな環境でもちゃんと自分を持って生活できている。なかなかできることじゃないよ」
『……アタシは強くない。だから、アタシはそんな弱い自分が嫌い』

 声がかなりくすんだ。

 自分が嫌い。そしてその理由は自分が特殊な性質だからじゃない。自分の弱さが原因で自分を嫌っているんだ。何があった。その弱さを実感させられる事件があったはずだ。

「何があったの?」
『こんなアタシが素直に話すと思ってんの?』
「まだ信頼関係は築けていないみたいだね」
『信頼どうのこうのじゃない。話したって意味がないって言ってんの』
「それでも――」
『話せば少しは楽になる、でしょ。なんない。余計自分の弱さを実感して自分を嫌いになるだけ』

 神栖さんは僕の言葉を遮り言おうとしたことを代わりに言う。

「自分の弱さを実感させられることがあった。けど、その弱さを改めて感じたくない。ごめんね、嫌なことを思い出させて」

 僕に話したって意味がない。それでもこうしてコールフレンドの電話をしているんだ。

 僕にできることがあるはずだ。
 少なくとも、死にたいなんて思わせないようにしなければならない。

『アタシはこれからもずっと、弱いままなんだよ』
「その弱さを克服したいとは思う?」

『そんなことできてたら、それはもうアタシじゃない。アタシがアタシである以上、この弱さは変わらない。人の顔色うかがっちゃうほど、アタシは人から嫌われるのが怖いんだよ?』

「99人に嫌われても、たったひとり、寄り添ってくれる人がいれば違うと思うよ。そしてきっと、神栖さんならそれができる」

『99人に嫌われる? そんなことがあったらアタシは本当に正気でいられない。龍神にわかる? アタシはこれまで何度も勇気を出して友だちを作ってきた。でも、その度に離れていっちゃう。そりゃそうだよね。心の中見られたら誰だって嫌だもんね』

「そうじゃない人もいる。言葉にできない自分の心を知ってほしい人もいる」

 僕の耳のよさ、特殊な性質を理解して、そのうえで湊は近づいてくれた。
 僕だけじゃない。きっと結城凪砂さんだってそうだ。

 苦しい中で、心を読まれると知ってそれでも寄り添ってくれた行方先生がいたからこそ、自分を肯定できたんだ。

 だからきっと、神栖さんを受け入れてくれる人がいるはずだ。

『そうだろうね。アタシに心の叫びを知ってもらって、それで助かる人もいるだろうね。でもだからなに? アタシには何もできないんだよ? そのつらさを見て見ぬふりすることしかできない』

 問題の核が見え始めてきた。事件があった。心の叫びを知って、それでも見て見ぬふりをしてしまった。そして自分はその子を救うことができなかった。そんな弱い自分が嫌い。

 こんなところだろうか。
 よし、ここからは僕のターンだ。

「きっとその子は、その心の叫びを聞いてくれただけでも、救われると思うよ」
『っ!? ……なにわかった気でいんの』
「わかるよ。僕も同じだから」
『は?』
「助けを求めてくれた人がいたかもしれない。でも僕はそのSOSのサインを見逃してしまった。僕は、できるはずのことができなかった弱い自分を呪った」
『…………』
「だから今度は助ける」

『龍神はさぁ、アタシと違うの。龍神は強い。きっと誰かを救うためだったら自分を犠牲にできる人なんだよ。でも、アタシは違うの。アタシは、何もできない……』

 本当だったら、他人の心の叫びを気にしないでと言いたいところだけれど、それは言えない。神栖さんは優しい子だ。だから、見過ごすことはできない。

 でも、それを解決する手段を知らない。解決する勇気がない。

「手を、差し伸べてみない?」
『無理』
「どうして?」
『…………その子は、アタシを見下してた子だから』

 見下されていたから、救うことなんてしたくない。そんな理由じゃない。
 神栖さんならわかっている。見下している人間に手を差し伸べられても、きっとその子は差し伸べられた手を取らないと。

 だから、自分にはどうしようもないと。

 たしかにこれは難しい問題だ。
 神栖さんは今まで友だちを作るために努力をしてきた勇気のある子だ。本当は弱くなんかない。でも自分に自信がない。それも仕方がないだろう。その勇気は度々否定されてしまったのだから。

 ましてや今回の件は勇気どうのこうのの問題じゃない。手を差し伸べようにも、相手はその手を取らないとわかっている。でも見過ごせない。

 本当に優しい子だ。

 だが、その優しさが自分を蝕む闇となってしまっている。それでも手を差し伸べるべきだ。救える人がそこにいるかもしれないから。

 でも、拒絶されるのが怖い。それが、神栖円香さんだ。ましてや、神栖さんを見下していた子だ。

 きっとその子は気が強い子なんだろう。

 もしそんな子を救ってしまったら、その子を気に入らない子たちから反感を買うかもしれない。でも、これは僕の単なる想像でしかない。

「その子は、もともと集団の中にいた」
『……話さないとダメ?』
「救うって決めたからね。そのためならたとえ本人に拒絶されようとも僕は前に進む」
『ホント、強いね。羨ましいよ』

 失笑が電話の先で聞こえる。

「神栖さんには勇気がある強い子だ。それは特殊な僕だからわかる。だから、神栖さんは起こったことを僕に言える」
『……はぁ、その子は、クラスの中心だった。派手な女子グループにいて、常にいばってた』

 ため息をした後、神栖さんは呟くように言った。

「うん」
『でも、その子を取り巻く子たちはその子を嫌い始めた。それは4月で学校が始まってからすぐだった。1年生の頃からその子はずっといばってたから』

 4月が始まってすぐ。神栖さんが初めて僕に電話をしてくれた辺りのことだ。それと1年生の頃からということは、今現在、2年生ということだ。

「それで、その時点でこの先どうなるか神栖さんはわかってしまったんだね」
『……うん。でも、アタシは何もできなかった。……アタシも、見下されて嫌だったし』
「その子は今どうしてるの?」
『学校に来てない』
「神栖さんはどうしたい?」

『……わかんない。今までだって別の子で、こういうことは何度かあった。その度にアタシは何もできなかった。……何も、できない』

「今までっていうのは、例えば、いじめられている子とかがいたりしたの?」
『そう』

 そうか。今までも似たようなことがあったのか。その度に神栖さんは自分の弱さを呪った。自分の弱さを実感させられていた。そうして何度も自分の心が蝕まれ、そして今、限界を迎えようとしている。

「怖かったよね。毎回、集団の中でそういう闇が出始めたときに、それを知ってしまうことに」
『うん』

 人より心が過敏ゆえに、そういう闇にも過敏に感じてしまう。
 本当、結城凪砂さんに似ている。

 このままだと神栖さんは本当に限界を超えてしまう。こんな状態で誰かに手を差し伸べるなんて精神的に負荷が強すぎる。でも、彼女は見て見ぬふりをし続けることも負荷なんだ。

 だからこうして、不満を抱きコールフレンドの電話を取ったのだ。
 
 やはり、『死にたい』という言葉は嘘じゃなかったのだ。
 
 今回のことだけじゃないんだ。今までの人生で、自分が拒絶されることも多く、さらに集団の中の闇を見続けていた。それは神栖さんの過敏な性質ゆえに起きてしまったことだ。

 そんな自分を嫌い、いなくなりたいと思うのは自然だ。

 今の彼女を救うためには、そういった集団の場から離れることが最善だ。
 でもきっと彼女は思うだろう。結局見て見ぬふりをして逃げてしまったんだと。

 戦うこともできない。逃げることもできない。たしかに、彼女が話してもどうしようもないと思うのも納得ができる。

 だけど僕は、そんな理由で神栖さんが伸ばした手を離したりはしない。
 

『――もういいよ』
 


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