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「虹の音色」 第20話:似た者同士

 ゴールデンウィーク3日目。未だコールフレンドからの電話は掛かってきていない。

 今日は昼間にアルバイトをして、午後5時に帰宅した。現在の時刻は午後6時。

 ヘッドフォンから大音量の音楽が流れている。
 父親の大きな声がヘッドフォンを通して聞こえる。今日も騒々しい。仕事は休みのようで昼間から酒を飲んでいるみたいだ。しかし今日は父の友人たちはいない。よくひとりでこんなに騒げるものだ。

 僕はベッドで仰向けになり、天井に右手を伸ばす。左手で右の肩を掴む。

 僕は今、肩に力が入っている。リラックスできていない。家が騒がしいのもあるが、やはり湊が言っていたことが原因だろう。僕は期待に応えるために今の自分よりも、高い水準の能力を持った自分を求めている。

 託された限りはその期待に応えないといけない。

 それは事実だ。間違っていないと湊も言っていた。だが、もう少し肩の力を抜かなければならないとも。

 どうしたら肩の力を抜くことができるだろうか。

「すぅぅ、はぁぁー」

 大きく何度か深呼吸をする。さっきよりはリラックスできている、と思う。

 僕は立ち上がり、机に置いてあるノートを開いた。この一か月で学んだことを改めて復習する。

 ここ1か月で多くのことを学んだ。そして、経験をしてきた。

 それでも自分に自信を抱くことはできない。あと約2年間の大学生活。そして、2年間の大学院生活。この約4年で僕は結城凪砂さんの期待するカウンセラーになれるだろうか。

 いや、僕はやるんだ。結城凪砂さんの代わりに。
 やってみせる。

 
 パララランッ。

 
 コールフレンド専用の携帯電話に着信音が鳴った。
 来た。
 落ち着け。今の僕にできるベストを尽くすんだ。

 2コール目にして僕は通話に出る。

「はい、こちらコールフレンドの桜川と申します」

 できるだけ柔らかい口調で話す。

『何でも相談に乗ってくれるというコールフレンドで間違いないですか』

 テキパキと話す少年の声。エメラルドグリーンの声。僕の声に近い色だ。
 おそらく高校生ほどだと思われる。

「はい。軽いお話でも、つらいお悩みでも聴かせていただきます。お名前を聴いてもよろしいですか?」

石岡いしおかと申します。それではさっそくなんですが』

 石岡くん。下の名前は名乗らない。

「はい」

 声の調子的にそこまで精神的に疲弊しているわけではない。事務的に話しているような感じだ。

『一人暮らしをしたいと思っています。ボクは高校2年生なんですが、未成年でも一人暮らしをする方法を教えてください』

 高校2年生。
 一人暮らしをしたい。どうしてそう思うのだろう。

「一人暮らし、ですか。今はご実家にお住いなんですか?」
『はい。ですが家庭の事情でボクは一人暮らしをしたいと思っています』

 家庭の事情、か。どこの家庭でもそういう事情を抱えているものなんだな。

「未成年で一人暮らしをすることは様々な困難があります。方法については申し訳ありません。今すぐ方法をご提示できませので、これから一緒に考えてゆきませんか?」
『1日でも早く一人暮らしをしたいと思っています。その方法を教えてくれる人に心当たりはありませんか』

 かなり固い意思を持っているな。どうしてそこまで一人暮らしにこだわる。
 僕は携帯電話を持っていない手でスマホを操作する。

 高校生で一人暮らしは可能。しかし、親権者の同意が必要。

「その辺りも一緒に探してゆければと思っています。場合によってはご紹介できるかもしれません」
『本当ですか』

 石岡くんは不信感を抱いた声で僕に問う。まったくと言っていいほど信用されていない。

「それがお悩みを相談いただくコールフレンドの仕事です。まずは、石岡さんのお話を聴かせていただけませんか。一人暮らしには多くの条件があります。その条件を一緒に見てゆき、方針を定めてゆきたいと思っています」
『わかりました。何から話せばいいですか』

 まずは状況を知りたい。

「学校には普段、行かれてますか?」
『はい』
「学校生活に不満はありませんか?」
『特にはありません』

 学校生活には問題がない。これは嘘じゃないとわかる。

「お友だちはいらっしゃいますか?」
『……それは、問題と関係があるんですか』

 いない、な。

 石岡くんの第一印象は自我を強く持っており、周りに流されないタイプといった印象だ。

 ひとりでいる。僕と似た声。家庭の事情。どこか石岡くんは僕と似ている気がする。

「すみません。石岡さんのことをもっと知りたくて」
『問題と関係のないことを話すつもりはありません』
「一見、関係のないことのように思えても関係がある可能性もあります。そして、僕は石岡さんのことを知って、理解してゆきたいと思っています」
『ボクのことを理解して何になるっていうんですか』
「理解しあった方が信頼できる。信頼している人間の方が頼りになるでしょう」
『それじゃあ、あなたのことも聞かせてください。一方的にこちらが話をするのはフェアじゃないでしょう』
「仰る通りです。なんでも聞いてください」
『桜川さんは今、大学生なんですか』
「ええ、そうですよ」
『一人暮らしなんですか?』
「いえ、実家暮らしです」
『いいですね。特に問題もなさそうで』

「僕も家を出たいと毎日思っています」

『そ、そうなんですか』

 少し心の揺らぎがあった。ここは信頼してくれるひとつのチャンスだ。

「僕は親との確執があります。小学生から今も、ずっと家を出たいと思っています」
『……どうして、それなのに家を出ないんですか』

 現実的に考えて金銭的な問題があるからだ。それに、大学の学費も父に払ってもらっている。今後大学院に入るときも父に頼るだろう。そういった状況で父を突き放すことはできない。

 もし逆に突き放されてしまえば、僕の夢は叶えられないから。

 だが、僕の事情をそのまま話すのは、間接的に石岡くんの希望を否定することになる。

 金銭的に厳しいから止めておいた方がいい、そう捉える可能性がある。いや、この子ならそう捉える可能性は十分に有り得る。もし彼の希望を否定してしまったら信用を失う。

 石岡くんの希望を否定しない、そして嘘ではないことを話す。

「家を出る勇気がないからです」
『……勇気、ですか』
「石岡さんは僕と違って勇気があります。だからこうして電話してくれた。まずは、勇気のある自分を褒めてあげてください」
『……はい』

 これでフェアだろう。

「石岡さんはどうして家から出たいんですか」
『……ボクも、親との確執があるからです』
「お母さん、お父さん、どちらにご不満を抱いていますか」
『……母、です』
「そうなんですね」
『桜川さんはどっちなんですか』
「僕の場合は父です。父は元暴走族で、そのときからの友人と未だに関係を持っており、よく家に招き入れます。そして粗暴な性格をしています。僕は反面教師として育ってきたんで、そういった人たちが苦手で」
『……暴走族。怖い、ですね』
「ええ、すごく怖いです。だから、自分の気持ちを正直に話すことができません。話しても、きっと理解してくれないだろうと思ってしまっているんですね」
『それは、わかります』

 石岡くんが嫌なことを思い出したのか、少し声がくすむ。

「わかっていただけますか。それはとても嬉しいです」

 僕は微笑む。

『ボクの場合は、母が昔から過干渉で、それですぐに癇癪を起して、全然ボクの話を聞いてくれない。それどころか、ボクの考えなんて一切受け入れてくれなくて、なんか、まるでボクの人生を自分の人生だと思ってる感じなんです』
「それはおつらいですね。きっと僕よりもつらい。よく今まで耐えてきましたね」
『……はい。今ボクが通っている高校も母が勝手に決めて入らされた学校なんです』
「そうなんですか。他に通いたい高校があったんですか?」
『はい』
「それはどういった高校なんですか?」
『ボクの唯一の友だちが入った高校です。偏差値的には同じくらいなんですが、今ボクが通っている高校は母の母校でもあって』

 なるほど。石岡くんは今までの人生をほとんど母に決められたレールの上を走らされていたのだろう。そして、このままだとずっと母の望むレールに乗せられる。そう思っている。

「このままだと、ずっとお母さんの望む人生しか歩めない。自分の望む人生を歩めない」
『……はい』

 石岡くんの声色がかなりくすんでいる。最初に思っていたよりも重い悩みだった。
 これぐらい、結城凪砂さんだったら一発でわかったはずだ。僕は……。

 いや、落ち着け。ここまで来たんだ。悪くないはずだ。

「石岡さんは将来の夢とかってありますか?」
『一応』
『聴いてもいいですか?』
『……その、学校の先生です』
「立派な夢ですね。どうして先生になりたいと思ったんですか?」
『ボクが中学の頃、友だちを作るきっかけを作ってくれた先生がいたんです。いっぱいいる生徒の中で、ボクのことを考えて動いてくれた先生に憧れたんです』
「とても素敵な先生ですね。そのとき思いませんでしたか? ああ、人のために動ける優しい人ってこの世にいるんだなって」

『よく、わかりましたね』

「僕は中学生の頃、カウンセラーに救われた人間なんです。だから、カウンセラーを目指しているんです」
『そうなんですか。なんか、失礼かもしれませんが、ボクたち、似ていますね』
「僕もそう思っていました。だから、一緒に問題に対して向き合えるんじゃないかなと思っています。そして、自分の夢に向かって一緒に進める仲間だとも」

『……仲間』

「はい、一緒に頑張ってゆきましょう」
『はい。ありがとうございます』

 石岡くんの声が少し明るくなった。少しは信頼してくれたかな。

「現状については理解しました。これからどうしてゆくか、一緒に考えてゆきましょう。つらいときはまたいつでもご連絡ください。無理に耐えなくていいんです。つらいときは僕にその気持ちを吐き出してください」
『ありがとう、ございます。また、連絡します。……ボクも、色々考えてみます』
「はい。それではまたご連絡お待ちしております」
『はい、ありがとうございました』
「それでは失礼します」
『失礼します』

 通話は終了した。

「ふぅー」

 電話をしている間、緊張のせいかずっと立ち上がっていたので疲れた。
 僕はベッドに座り、考える。

 親との確執、か。どうしたものかな。
 僕と石岡くんでは、状況が似ているようで全然違う。石岡くんの場合は人生が懸かっているんだ。本来ならここまでの悩みはコールフレンドの領分を越えているかもしれない。

 でも僕は、僕の力で彼の役に立ちたいと思った。

 僕は行方先生にコールフレンドの連絡報告をし、その旨を伝えた。行方先生も納得してくれた。
 いや、期待してくれているのかもしれない。

 僕はその期待を重いプレッシャーと捉えず、行方先生が信じてくれている自分に自信を持つ形で胸に秘めた。

 そして報告が終わった頃、母から夕飯ができたと言われ、僕はリビングへと向かった。
 


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