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経済が壊れても動植物は育つが、地球が壊れたら動植物はおろか、それに支えられている人間も死ぬ

ソフトエネルギー社会(1)

はじめに


 人生終わりに近づいたり、終わりにしたくなると、身辺整理をしたくなるのか。
 
 その時、本箱から1982年に書いた卒業論文、タイトルは「代替エネルギー開発におけるソフトエネルギーパス理論の有効性」が出てきた。B4の原稿用紙で当時はワープロすら無く、当然手書きだ。

 厳しい学科で、万年筆で書かねばならず、修正液、ボールペンは不可だったから、ことさら厳しかったことが思い出され、懐かしくて、つい読んでしまった・・・。絶句・・・。あまりにもひどい。よくこんなもので卒業できたものだ。
 
 正直、色々な書籍のダイジェスト版みたいなものである。上手につぎはぎできて完全犯罪は成立したものと思っていたが、読み返すと、どの書籍が出典かはわからないにしても、引用したことはバレバレだった。ホントよく卒業させてくれたと思う。あまりにもひどいので、そして面倒くさいので、卒業という名の放逐に遭ったのかもしれない。
 
 恥ずかしいやら、口惜しいやらでリベンジしたくなり、当時の卒論の構成を参考にしながら、改めて卒論を書き直した。
 
 ただ、卒業後は2浪したものの、その後は地方公務員に奉職し、ほぼ定年まで勤め上げた。だからその間、勉強ももちろん研究もしていないし、文章を書く能力も当然に養われていない。稟議書などいくら書いても文章力など上がらない。
 
 だからどうせ自分限りのものだしということで、懲りずにタブーを犯した。新聞や書籍からふんだんに引用し、それに自分の文章を付け足してそれらしくした。
 
 それでできたものは本箱に埋め殺してしまえば良かったが、当時の卒論よりは多少分量が多く書けたし、「案外、時代に合ってんじゃね?」みたいな慢心も出てきたためか、ついうっかり出版社に応募してしまった。
 
結果は当然ボツ。
 
というか、シカト。
 
 でも、今の経済的勘定からすると到底「ソフトエネルギー社会」は成立しないが、物理的には十分成立することがお分かりいただけると思う。
 
 暮らしはソフトエネルギーに見合ったものにすれば良いのではないか。
 
 24時間社会を動かし続ける必要はないし、つまり夜は家で寝ろということだ。
 
 電気という高級なエネルギーに拘泥するのもおかしい。
 
 儲ける仕事に従事する者が社会を支える者たちよりも偉く、たくさんのマネーを抱え込むのもおかしい。
 
 たとえていうと、狩りに出た者ばかりが私腹を肥やすのがおかしい。
 
 拡大を強いる経済もおかしい。
 
 暮らし方や思考・思想のチェンジで人類は持続可能になる。
 
 ソフトエネルギー社会にしなければ人類は滅亡する。
 
 小間切れにして連載にします。(つづく)

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