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メンタルがきついので自殺しに行きます

地方公務員 最下級管理職(9)

結局段々病気休暇の取得ペースが上がってきた11月の朝、岩崎から「メンタルがきついので自殺しに行きます。これまでのことは全て書き残してあります。」と自殺を宣言する電話がありました。私は、メンタルヘルスマネジメント検定のラインケアコースを取得していましたが、メンタル障害者の自殺予告の場合の対応について、身近な見聞も経験もなく、テキストだけの知識でしたが、すぐに家族の協力を求めることと、すぐに医師にみせなければならないことだけはすぐに想起できました。ただ、ほぼ、はったりだとも思いましたので、放置しようとも思いました。

センター長や職員課と相談したところ、アリバイ作りの為か知りませんが、自宅へ行くこととなりました。私は、冷静だったかどうかについては記憶がありませんが、「確率はゼロではない。本当に死んだら通夜、葬式は出ざるを得ないだろう。奥さんから自殺死体となった岩崎の亡骸に「会ってやってください」と言われたら自殺死体を見なければならないだろう。」と物語を創作して自ら具合が悪くなるのを覚えました。

奥様に電話したら、出勤したものと思い込んでいたようで相当驚かれていました。

センター長あてには現業ユニオンの役員から電話がかかって来ているようで、岩崎はその者にも電話をしたに違いなく、自宅の住所や電話番号を教えろ教えられないで悶着になり電話で怒鳴りあっていました。

岩崎の自宅をヤフー地図などで調べ、センター長と大至急向かい、奥様と面会することとしました。

自宅には、どちらが先に来ていたかよく覚えておりませんが、結局、西部センター長、私、東部センターの現業ユニオン役員、北区にある市立学校の用務員(現業ユニオンの役員かどうかは不明もしくは覚えていません)が奥様の許に集まる形となりました。

行き先やらの心あたり、最近の様子など僅かに聞かせてもらったところ、「先週、釣りに行くのを楽しみにしていましたが天候が悪く行かれずにがっかりしていた。」「行き先としては良く県外の方に釣りに行く。そこに友達が居そう。」程度の情報提供がありました。直近の様子をもう少し聞きたかったのですが、北区の用務員が「そんなことは今聞くことなのか。今は探すことに全力を傾けるべきだ。あんたたちが岩崎にやってきたことは全部聞いている。必ず仇を取らせてもらう。厳しく追及させてらう。」と恫喝されました。仕方ないので奥様からの情報提供は断念しました。結局、現業ユニオンの北区の者が県外まで探しに行くことになりました。奥様は解散後、警察に捜索願を出しました。

岩崎の釣りに関しては、どこかのセンターの職員と病気休暇中に出かけていたとの情報もありました。

自宅で通された部屋は立派な仏壇があり、死んでしまうやつのことを心配しながら仏壇の部屋に座らされているのも独特の雰囲気がありました。

夕方、会えてはいないものの連絡が取れた北の用務員から電話がありました。やはりそこへ行っていたそうで。すぐに、岩崎からも連絡がありました。明日すぐに病院に行くよう指導しました。

岩崎は釣りに行っていました。病気休暇の期限も切れて出勤しなければならないが釣りもしたいしで自殺騒ぎを起こしたとしか思えません。かつて聞いたのか読んだのか覚えておりませんが、自殺する者はある意味すごく勇気があるようにみえるが実は判断能力がなくなって自殺する自覚もなく自殺してしまうらしいです。その理論からすれば、岩崎は確信犯であったと断ぜざるをえませんし、この日、前所属の東部センター庶務係長にもどう対応したら良いか電話しましたが、「しょっちゅうだよ、行き詰まるとやるんだよね」的な冷めたい話しかありませんでした。冷たい話ではありましたが、そのことからしても、自殺の宣言が確信犯であるとしか思えません。

翌日、岩崎は主治医である隣の市にある市立病院に行きました。主治医の出勤日ではありませんでしたが受診しました。主治医には週明けに通院することとなりました。

主治医の診断ではありませんでしたが、診断は確かうつ病とかうつ症ではなく抑うつ状態だった記憶があります。その診断書により2週間の病気休暇が認められました。

話はややそれますが、本市では受診日を起算日として、そこから診断書で示された期間について病気休暇を付与しています。ということは、自殺宣告日は自己欠勤という欠勤扱いになるはずでしたが、提出された診断書では、自殺宣告日を起算日として療養期間が設定されていましたので、釣りに行った疑惑付きの自殺騒ぎを起こして多くの人々を巻き込む迷惑をかけたにもかかわらず、病気休暇という有給の特別休暇を与えてしまうこととなってしまいました。欠勤日が1日でも加算されていけば、免職にまた一歩近づくという西部センターにとっての喜びがありましたが、自殺騒ぎの日が単なる病気有給休暇になってしまったことで、センター全体に落胆や激怒が蔓延しました。

翌週、予定通り主治医に診てもらったそうですが、前週の診断書(2週間)で様子を見てと言われたそうです。

2週間では足りなかったのか、2週間の診断が気に入らなかったのか、主治医にあしらわれたのか、何が原因かわかりませんが、主治医を変えてしまいました。

次の主治医は、岩崎自宅の最寄りの駅近くにあるメンタルクリニックでした。市立病院の診断日数だけでは我慢できず、年始まで延長し、それでも足りず、結局1月末まで休み、90日の病気休暇を年度内に2度消化しきることとなってしまいました。

自殺騒ぎの日が欠勤ではなく病気休暇になったことで、私の落胆、挫折感は大きなものでした。

自殺騒ぎの後、職場職員たちの強い要望から、なんとしてでも岩崎を退職に追い込まなければならないと考えました。一連の言動は、病気由来とは言え、やっていいことと悪いことがあるとの怒りも覚えておりました。(つづく)

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