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石炭は使っちゃいけないんだから使わないことも考えよう

地球のため、全人類、夜は戒厳令(130)

「石炭は使っちゃいけないんだから使わないことも考えよう」

天然ガスが高騰し、「石炭争奪 遠のく『脱炭素』」(2022/9/23読売新聞朝刊12版6面)だという。
そのため「気候変動対策よりも目先の電力危機」になってしまった。
これが高じて「世界の石炭需要は」「23年はさらに増加し、過去最高を更新する可能性があるという。」
石炭を争奪するほどエネルギーが足りないのだ。
使っちゃいけない石炭をだ。

「エネルギーの安定供給が政策の一丁目一番地」かもしれないが、需要の中味を吟味せず闇雲にその需要を満たすために供給を拡大してもいいものだろうか。

需要つまり経済が過剰とは考えないのか。需要の中味を再検証し、これに合わせてライフスタイルを改めようとは思わないのか。
話は簡単だ。

経済の総量を減らすことだ。

中味を吟味するのであるから全てを等しく縮小するのではない。

まずは「戦争経済」を止めよう。
戦争はただでさえGDPの数パーセントを国によっては食ってしまう。それに限らず、戦争で破壊行為が行われれば、やらなくて良かったはずの復興(消費)が行われることにもなる。
これも余分な経済だ。

生存に不可欠な経済は減らせないが、当座はなくても大丈夫な経済も少なくない。
取捨選択することで経済の総量は見直せるはずだ。
経済が小さくなることで給料が減り、食うに困ると考えるかもしれないが、そんなことはない。

経済が縮小しようが拡大しようが、理論的には地球の能力に変動を及ぼさない。採集できる農林水産業の成果物に変動はないことになる。
食料の分配が適正に行われれば食うに困ることはないはずだ。

給料も減らないで済むはずだ。
資本主義経済は、労働者が資本に組み込まれて、その成果の一部を搾取されたうえで給料という形で支給される構造になっている。
経済が小さくなっても搾取の割合を小さくすれば今の給料を維持できる。

ライフスタイルや経済構造を見直すことで、今と同じような暮らしは維持できるはずだ。
労働時間(経済時間)を昼間だけにするとか、生涯に行く旅行の回数を減らすとか、生涯に買う洋服の枚数を減らすとか、少なくとも食うに困ったり、不幸にはならないはずだ。

経済構造やその規模を見直さないと、エネルギー供給拡大のイタチゴッコは、地球が壊れるまで続いてしまう。

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