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いじめは根絶できないのか

地球のため、全人類、夜は戒厳令(121)

「いじめは根絶できないのか」

「職場でのパワーハラスメント対策が中小企業でなかなか進まない。」(2022/8/29読売新聞夕刊4版8面)という。タイトルの通り、「職場のいじめ 遠い根絶」だろう。

子どもの頃から、いじめられっ子で、近年はパワハラでメンタル障害を患い、職を失うことになった。
私としては、体験や近年いろいろな本を読むことで、いじめは人間の本能であると確信した。

太古の昔、人間は狩猟・採集や栽培で食料を得てきたが、まったくの自然任せや運などにより、常時かどうかはきとしないが、一部の者が食料にありつけず命を落とし続けてきた。
すると生存のためには、食料にありつける側に常に入っておく必要があり、ありつける集団に入り、入っていたとしても、その順位は重要であったろうと思われる。

「承認欲求」などは、まさに集団に入れてもらえることや、順位が上がることで生存が保障されることになり嬉しくなったのだろう。その名残だ。

いじめやパワハラは「承認欲求」とは別の角度からの、集団での生き残りや順位維持を図るものだ。

いじめることでターゲットを集団から排除する、排除すれば選外が減る。あるいは順位を転落させて比較優位を得る行為だ。だから、いじめを自慢したり、楽しんでしまう者が出る。

子どものいじめは、まさに理性がまだまだ低い分、本能に近いから、どんなに理由を教えても無くなることはないだろう。
みんな平等などと教わったとしても、なんとなく誰々ちゃんはお勉強ができて、誰々ちゃんはお勉強ができないといったことなどわかっている。
順位が低ければ、いろいろ不利益になることも知っている。
順位を上げる本能が起動する。

大人の場合、上司・部下という順位が確定しているから、本能が起動することは無いとも思えるが、それは早計だ。
上司は上司として、誰から見ても上司であることの確認が必要だ。
部下ができる奴なら上司は部下との比較で威厳が下がるから、そして追い抜かれる恐れもあるから、どうしても潰しておく必要がある。

逆に部下ができない奴なら自分の手柄にも響き、同じ階級同士間での競争に敗北するから、どんな手を使ってでも成果をあげさせたいし、成果が上がらないのであれば、何が何でも排除してしまいたくなる。

このように、いじめは比較優位を求めるという本能から出るものだから、どんな対策を打とうが根深く根絶は難しい。

いじめられる側がメンタル障害になるのは、太古から続くいじめが、生存を脅かす死を意味するものだからだ。生存の脅威を目の当たりにし、正常でいられることの方が難しい。
そして本人が万策が尽きたと実感したから自殺するのだ。もう生きられないのだから。

いじめは肉体ばかりではなく、魂も殺してしまう。魂は傷つけられたら生涯治癒することはない。

難しいことだが、本能を乗り越え理性を発達させないといじめは根絶できない。
人間はこのように、まだまだ本能に支配されている。
 
本能から生まれたものだからなのか、資本主義経済は本能と極めて親和性が高い。
まさに比較優位を争っているし、市場の独占を目指す(他者を排除)し、広告なども生き残りや比較優位を求める承認欲求に近いものがある。少しいじめとは違うが、成長や拡大に無批判なのも本能だ。むしろ親和性が高いと言うよりも雁字搦め(がんじがらめ)といった方が良さそうだ。
地球が量的限界、機能的限界を超え、温暖化し気候変動もますます加速している。
経済が過剰なのだ。
京都議定書やらいろいろ世界で約束しているが、世界の異常気象減っていますか。
減っているどころか、増える一方というのが実感だ。
少なくとも資本主義経済のやり方では解決できないことの現れだ。

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