見出し画像

人類の終焉を穏やかに迎えたい

地球のため、全人類、夜は戒厳令(187)

「人類の終焉を穏やかに迎えたい」

人類は地球という有限の世界に暮らす以上、いつかは存続できなくなり滅亡するはずだ。

しかし、その時期や仕方は人類次第だ。

人間の人心がもれなく切り替わり、資本主義経済という化身に仕掛けられた洗脳を打破し、拝金主義をやめれば、遠い未来に穏やかにその終焉を迎えることができそうだが、資本主義経済に洗脳されたまま拝金主義を続ければ、近い将来に厳しい形で滅亡の憂き目に遭う。滅亡に至らないにしても厳しい形で多くの者が命を落とすことになる。

経済のルーツは資源・エネルギーと地球の機能だ。どれひとつ欠けても経済どころか人間の生存自体不可能になる。一方、その資源・エネルギーを消費すれば温室効果ガス、温熱、廃棄物が排出される。

人類がいま享受している資本主義経済は、誰よりも多く得ようと努力し続けないと何も得られず生存は保障されない。つまり、死を意味する。だから人類はもれなく「もっともっと」とやっているのだ。

地球という閉じた空間で「もっともっと」とやってしまえば破綻するに決まっている。

破綻の兆候は毎日報道されている。

天気予報では連日、何年ぶりとか言っている。何年ぶりが連日だ。温暖化による気候変動の表れだ。
戦争のニュースも「もっともっと」の延長線上にあるものだ。もちろん核兵器も「もっともっと」を得たいか守りたいから止められないのだ。
新型コロナも「もっともっと」と開発を進めたから、かつてだったら触れることもなかったウイルスに感染してパンデミックになった。
世界中の雇用がおかしくなっているのも「もっともっと」と雇用者側がやるからだ。

こうやって破綻のサインが幾つも出ているのに、経済に洗脳されてしまった人類は、気づくことすらできない。

気がついたところで、政治が邪魔をする。

選挙制度がちゃんとしていない国々は論外だが、たとえ民主主義が機能していても、人心が「もっともっと」のままなら、「もっともっと」を主張する者が立候補して、「もっともっと」を求める者の票を集めて当選する。もちろん「もっともっと」の政治がいたずらに進められてしまうだけだ。

地球の人口は80億人になった。気の遠くなるような、絶対に限りなく近い絶望的な人数が人心を切り換えなければならない。それも同時にだ。同時がmustだ。

「もっともっと」は奪う存在だが、逆に「足を知る」や「どうぞどうぞ」の心は「もっともっと」の餌食になり易い。「もっともっと」と「どうぞどうぞ」は共存できない。だからだ。

人類は資本主義経済という化身からの洗脳に敗北した。資本主義経済の害悪を克服するにはその洗脳を解いて人心を改める以外に無い。

もう地球は取り返しの付かないところまで来たとする説もあるが、引き返すことができる可能性は限りなくゼロに近いが、ゼロではない。

私はおおよそ8割方人生を終えたはずだ。残りの2割でなんとか道筋をつけてこの世を過ぎゆきたい。

死んだ後の地球にも未練がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?