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一瞬の奇跡みたいなもの。認知症のおばあちゃん

数年前に亡くなったおばあちゃんは
ひどい認知症だった。

夫であるおじいちゃんのことも分からず
もちろん、孫の私のこともわかっていなかった。

いろんな被害妄想で怒ったり人を疑ったりして
おじいちゃんのことを叩いたりしていた。

おばあちゃんは宮崎県にいて、私は関西にいて
なかなか頻繁には会いにいけなかったけど
たまに飛行機で会いに行った。

私はその頃、セラピストとして活動していたので
いわゆるマッサージとか足つぼなんかは得意で
おばあちゃんに会いに行くたびに足のマッサージをしていた。


おばあちゃんは、私のことを孫だとは思っていないので
もちろん名前では呼ばず
マッサージをする「先生」と呼んでいた。


ある時、不思議なことがあった。


さっきまで「先生〜」と言っていたのに
私がおばあちゃんの足を揉んでいる間だけは
私のことを孫だと認識して、名前を思い出すのだった。

足には脳のツボもあるし、
足への刺激は脳への刺激にもなるから触った方がいい、と
それは当然知っていた。

だけど不思議なのは、
足を触っている間だけ、ということ。


マッサージが終わったら
「先生〜〜またおいでくださいよ」と言う。
もう、私の名前どころか、孫だと言う認識もない。

本当に、足を触ってる間だけだった。


これはもう、「ツボ」とかそんなことじゃなくて
「ふれあい」による一瞬の奇跡みたいなものなのかも
と思った。思いたかった。

おばあちゃんは私のことをよく可愛がってくれたし
大好きだった。

認知症がひどくなって
「孫に着物を盗まれた」と言っていた時はショックだったけど

ふれあいで、
言葉ではない「なにか」をきっと感じるのだと
魂は覚えているのだとなんとなく思った出来事だった。


亡くなってからも、たまに夢に出てくる。

おばあちゃんの命日の朝には、
おばあちゃんが亡くなる寸前の心電図の音が聞こえる
病室の夢を見た。

私が結婚した時には、夢の中で
思い切り拍手をして「おめでとう〜!」と言ってくれた。

今でもきっと見守っていてくれてるんだなって
ありがとうって、たまに泣きそうになる。


思い出すたびに、不思議だったな〜と思うけど
人間ってたまにそんなことがあるのかもしれない。

気持ちは伝わってるんだ。深いところでは分かってるんだ。


そんな、おばあちゃんとの不思議な思い出。





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