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書く習慣1ヶ月チャレンジ Day11 私の嫌いなところ

自分の嫌いなところは、あまりない。ただ、自分の性格を知った上で、気をつけた方がいいことはある。

例えば、すぐにやめてしまうこと。

今までの人生で、たくさんの趣味や資格、部活動やサークル活動などに挑戦し、諦めてやめてきた。
新しいことを始めたら、しばらくは熱中して取り組む。しかし、つまらないと感じたり、向いていないと判断したら、すぐにやめてしまう。長く続けようとして始めるというよりは、試しにやってみるというスタンスで新しいことに取り組むので、違うなと思ったら、さっさと見切りをつける。
もちろん、長く続いている趣味や活動もいくつかある。だが、やめてきたことの方が圧倒的に多い。そして、諦めるのも早い。

すぐにやめることのメリットは、他のことができるということだ。
何かをやるということは、裏返せば、それ以外の全ての行動をしないということだ。身体はひとつしかなく、時間は有限なので、常に一番やりたいことをするためには、それ以外のことは犠牲にしなければならない。
今やっていることと、他にやりたいことを天秤にかけ、他にやりたいことの方を優先するなら、やはり既に手をつけていることはさくっとやめた方がいい。

私はこういう考え方をするので、人に何かをやめさせることが得意だ。
例えば、友人が何かに取り組んでいて、ストレスに苦しんでいたり、不満を抱えていたりする様子を見たとしよう。私はそういう場合、すぐに友人に「やめたら?」と言う。それは、友人の幸せのために、いち早くその何かをやめさせて、全く他の可能性を検討させた方がいいからと思うからだ。

そもそも、ストレスがかかる、とは身体が緊張している状態だ。適度な緊張は、人の能力を短期的に向上させたり、集中力を上げたりする効果があるのだが、その緊張が長期間続くのなら、日々の生活においてあらゆる能力が落ちるし、集中力がなくなって注意散漫になる。
つまり、ストレスのかかる状態が長期間続くと、身体や精神の状態がおかしくなってしまい、うつ状態になる可能性が高まってしまう。これは良くない。直ちに、ストレスの根本的な原因を取り除く必要がある。
私が躊躇なく人に何かをやめさせるのは、ある活動をやめることで、その人が元気な状態を取り戻し、幸せになるだろうと判断するからである。

何かをやり始めることも勇気がいるが、やめることも同じくらいに勇気がいる。
私の周りには真面目な友人が多く、彼らは何でも一生懸命頑張ってしまう。偏見かもしれないが、典型的な日本人は、「簡単にやめること」に対して、理由を問わず頭ごなしに否定するきらいがある。碌にその人自身の話を聞かずに「もう少し頑張ってみたら?」とか、「一旦就職したら3年は続けなきゃダメだよ」とか、平気で言う。
だから、友人と話をしていて、相手が心の中では何かをやめたがっていると感じ取ったなら、私は友人に「やめさせる」勇気を与える。やめるべきときにやめる判断を先送りするのは、判断する苦しさから一時的に逃げられるのでとても楽なのだが、その先も苦しい思いをすることからは逃げられない。決断しなかったときの、ツケは大きい。
そうやって、私は友人にやめることのメリットを伝え、助言してきた。

ただ、このやめるべきときにやめるという判断は、とても難しい。正しい判断だったかは、どうしてもやめる瞬間にはわからない。
「やめる判断をするのが早すぎたな。もう少しやり続ければ、その活動の面白さがわかったかもしれないのに」ということや、
「やめる判断をするのが遅すぎたな。もっと早くやめておけば、今の活動の面白さを早く知ることができたかもしれないのに」ということはよくある。

特に、私はすぐにやめる、諦めてしまう性格なので、人よりやめる判断は遅らせた方がいいと感じている。もう少し粘って頑張った方が、やめる判断の精度が高くなる気がする。

自分の、この「すぐにやめる」性格を理解し、上手く付き合っていくために、これからはやめる時にはしっかりその根拠を明らかにし、やめた後にはそのときの判断とタイミングが良かったかどうか評価する癖をつけたいと思う。

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