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奇妙な話:宝船

 これはちょっとした笑い話になるのだろう。父方の家系に奇妙な気質を持った人々が多いことは先に述べた通りなのだが、普段は大方のことには寛容に受け止めるはずなのに、とある事実や事象に関しては頑なに首肯しようとしない節がある。

 それは「未確認飛行物体(Unidentified-Flying-Object)」、通称・UFOのこととなると途端に狭量になってしまうのである。「神仏を信仰しているから、そんな科学的飛来物体をありがたく拝むのは間違っている」というわけではない。むしろ、多くの親族が宇宙人の存在を信じているようでもある。我が一族はそういう未知の世界が大好きなのだ。

 実は、先月の夜に私の父親が、「発光しながら空を低空飛行する小さな物体を見た」らしい。それは電線より下、戸建ての屋根の上ぐらいの高さをオレンジとも赤とも取れないような光を発しながら、音もなくスーッと優雅に飛んで消えたらしい。私はこのような記事を書いている者であるから、仕事帰りで疲れているだろう父親の背中を押しながら、それを見たという現場まで連れて行ってもらった。

 予想はしていたが、人通りのあまり多くない道だった。浮遊物体を見たと声を大にして訴えても、おそらく「勘違い」の一言で済まされてしまうだろう。それは父親も充分に理解していたらしい。だから、夜空を指さして、「あの辺り?」、「何色だった?」、「スピードは?」と矢継ぎ早に問い質そうとする私のことを恥ずかしそうにしていた。

 話を聞く限り、人魂の類ではないように思えてならない。もっと人工的な発光物だったようだった。「親父、それはUFOってやつだよ、間違いないと思う」と言うと、父親の反応は目撃者だというのに素っ気ない。こういうことで嘘をついて人を揶揄う人でもないので、きっと本当のことなのだろう。それでも、「いやぁ、どうかな?」、「まあ、もうその話はいいじゃないか」などと言って、のらりくらりと核心を突くような話題を避けようとするのだ。

 全く奇妙な話だが、父親の考えることがいまいち理解できない息子がここにいる。だが、理解できないから相容れないというわけでもないのが不思議である。私は密かに彼が宇宙に思いを馳せては子どものように喜んでいる事を知っている。流星群の報せは必ず教えてくれるし、月食の夜には肩を並べて夜空を仰ぐことも屡々ある。

 思うに、私の父親は宇宙が無限の可能性を秘めているということにロマンを感じているのだろう。UFOが実在するか否かは彼にとって問題ではないのだ。手を伸ばしても届かない未知の世界――それは彼にとって不可侵の場所であり、一日の疲れを無限に労ってくれる神聖な場所なのだろう。理解してしまえば、つまらない事がこの世には沢山ある。目を背けるわけではないが、父親は「聴かぬが花」と考えているのだろう。

 だから、私は大晦日の深夜に目を覚ました父親に向かってこう言うことにした。「今年は宝船が見れてよかったね」と。想像通り、彼はきょとんとした顏で、「何のこと?」と言っていた。

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