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【ギフトシネマ会員インタビューvol.5】上村悠也さま 〈後編〉

途上国の子ども達に映画を届けるNPO法人World Theater Project(以下、WTP)は、団体発足以来、多くの方達に支えられ活動を続けてまいりました。
どのような方達がどんな想いで支えてくださっているのか。
活動を支えてくださる大きな存在である「ギフトシネマ会員」の皆さまに、お話を伺っていければと思います。
第5回目のゲストは、上村悠也(かみむら・ゆうや)さん。WTPの活動初期からメンバーとして活動し、理事まで務めた上村さん。
今回は前編に続き後編として、WTPの理事退任後も形を変え、会員として応援くださる上村さんに迫りました。そこにはこの活動の可能性を信じる彼の想いがありました。

(聞き手:飯森美貴、記事:菊地夏美、取材日:2023年8月3日)

WTPの活動の意義は「かもしれない」をたくさん贈ること。

―現在は理事を退任され、活動からは離れていらっしゃいますが、退任後も本当に様々な形で応援してくださっています。それはなぜなのかお聞きしてもいいでしょうか。

そうですね。まずそもそも、理事を退任してメンバーから外れるという選択は、「もう応援をやめます」ということではありませんでした。人生の状況が変わってきたタイミングだったなか、どうしても深く関わることが難しくなり、その状況で理事やメンバーとして関わるよりもお互いにとっていい選択はなんだろう、と考えていました。その結果、ステージを変えて、メンバーとしての活動から違う形に切り替えます、というくらいのつもりだったので、そもそも応援から離れるつもりではなかったというのが大前提でした。

そのうえで、理事の退任挨拶の時にも話したんですけど、この活動の意義は子ども達に「かもしれない」をたくさん贈ることなんじゃないか、と思ったんです。要は「可能性」、WTPの言葉で言うと「夢の種」なんですけど、あえて「かもしれない」という言葉で。

WTPのイベントにて理事退任の挨拶をされている上村さん

笛吹きが主人公の映画を観たら、笛吹きを目指す道もあると気づくかもしれない。サッカー選手の映画を観たら、サッカー選手が夢の選択肢になるかもしれない。この活動のスタートってそういう願いだったと思います。だけど、実際にその夢を叶える子がどれくらいいるのだろうという思いが、活動メンバーの中にはあると思うんです。

―本当に・・・。日々葛藤しながら活動しています。

でも人生って、何がきっかけになって、どう変わっていくか、子ども達どころか自分のことですらわかりませんよね。わからないからこそ、実る実らないを問わず、たくさんの「かもしれない」に触れる機会は大事だと思うんです。

大人にできることは、そういうふうにいつか芽生える「かもしれない」ことをたくさん贈っていくことなんじゃないかと思ったんですよね。道を選ぶのは子ども本人でいいのだけど、そもそも選べる状態にするために。

昔、「Might is Right」っていう言葉に出会ったんです。本来の意味は「力は正義なり」とか「勝てば官軍」。なんですけど、Mightには「力」以外に「かもしれない」という意味もありますよね。僕は誤読して「かもしれないは正しい」って読んじゃったんです。今思うとなかなかいい誤読で(笑)、理事退任のときに「かもしれない」というキーワードが出てきたのは、その記憶からだと思います。

そういう「かもしれない」を引き続きたくさん贈ってほしいなという想いを、退任してからも変わらず持っていました。だからメンバーとして労力で貢献することからは離れても、代わりに寄付という形で応援を続けようと思って今に至ります。

―「かもしれない」をたくさん贈ること、響きました。やっぱり映画となると「かもしれない」を届けることしかできなくて、「絶対」を届けるのは難しいじゃないですか。なので、「絶対」を求められると難しいし、「絶対」を届けられないのに寄付をもらうことはいいのかなという迷いもあるんですけど。そういうご挨拶をしてくださって、そういう想いで理事を務められて、今も同じ想いで応援してくださるというのはすごく励みになります。

やっぱりそうなんですね、よかったです。

「子ども達の夢を広げる」っていうビジョンを掲げているのであれば、夢が広がったというデータを出さなくちゃいけないとか、結果を示さなきゃいけないというプレッシャーがあるはず。そういう努力ももちろん大事だと思います。だけどあまりにもそこにとらわれすぎると、もしかしたら変化を起こすことに夢中になって、コントロール欲みたいなものが芽生えてしまうかもしれない。支援者の一人としては、そういうプレッシャーはかけたくない。

そもそも映画って自由に観て、自由な感想を持って、自由に解釈すればいいものですよね。目指している成果から逃げるという意味ではありませんが、もう少しプレッシャーを手放して、「かもしれない」を届けられていること、「種まき」自体の価値にも目を向けていいんじゃないかと今は思います。

WTP活動中に子ども達と一緒に遊ぶ上村さん

―「種をまく」ということが、結果的に花を咲かせなきゃいけないという気持ちになるとしんどくて。上村さんのように種をまき続けるというところに共感してくださって、応援してくださる方が多いのでそれが本当にありがたいなといつも思っています。

もし思っていた花が咲かなくても、観た映画に触発された心から、誰も思ってもみなかった別の花が咲くことだってあるかもしれませんよね。そもそも映画を観る経験自体が楽しいものだし、届ける意義はあると思います。WTPがしっかり選定している映画ですし。

種まきをして、もしも咲かずに土の中で終わった種があったとしても、それは土の栄養となり、土壌の一部として生きているとも言えますよね、きっと。

―ありがとうございます(泣)
上村さんは、ギフトシネマ会員を一時休止されていましたが、ありがたいことに再度ご支援くださいました。その理由も同じようなお気持ちからでしょうか。差し支えなければ教えてください。

根本の想いは一緒です。ただ、さらに気持ちは強まっているというか。

コロナ明けの10周年イベントだったかな。その少し前から、一身上の都合で会員を中断させてもらっていたんですけど、イベントに参加した時に、今後のチャレンジのお話を聞いて気持ちが動いたんです。今ちょうど取り組まれていると思うんですけど、同じ子ども達に4回映画を届けてその変化を探る、という取り組みのお話です。

映画を届けた子どもの数とか、映画作品数とか、どうしても「量」を求めてしまいたくなる気持ちって出てくると思うんですよね。支援者にも報告しやすいでしょうし。

だけど、そこの誘惑に負けないで、「量」だけでなく本気で「質」も求めにいくチャレンジ精神に触れた時に、素晴らしいなと思いました。そういう新しいチャレンジをするときは、当然、失敗やうまくいかないことが出てくると思うんですよね。

その時に「支援者からもらったお金で失敗してしまった……」みたいな罪悪感を持つことは、特に寄付で成り立つNPOには多いのかなという気もしていて。でもそれを罪悪感に思ってしまうとチャレンジできなくなってしまう。

だから、少なくとも顔を知ってくれている僕からのお金は、失敗もともなう挑戦に気兼ねなく使ってほしいと思っています。安心してチャレンジしてもらって、失敗したとしても次への学びになればいい、という気持ちで今は寄付を続けています。

―そういうお話を聞くとより一円の重みを感じます。

いやいや、いいんですよ。「これは投資すべきチャレンジだけど、失敗するかもしれない……」と思ったら、極端な話、「これは上村からの寄付分だと思えばいいや、やっちゃえ!」と思ってもらえれば(笑) イベントでみなさんの熱意に触れて、今は色々試して実験を重ねることが必要だと思ったんです。

そういう意味では、もしかしたらお金を託す気持ちは以前から変わっているし、よりみなさんが伸び伸び自由にやりたいことに挑戦するために使ってもらえたらいいなと思っています。

WTP活動中、映画配達人のエン・サロンさんとの一枚。

「夢」と言えるかはわからないけど、「こうありたい」という自分なら強くある。

―そんな想いで再度ご支援くださったんですね(泣)イベントが終わって上村さんからのご寄付に気づいた時、とても背中を押された気がしていましたが、託してくださったお金だけではなくて、想いにも恥じないようにチャレンジしていきたいと改めて強く思いました。
それでは最後に、上村さんの今の夢はなんでしょう?

「夢」って言っていいのか、ちょっと迷う自分がいます。自分の理想像の考え方には3種類くらいありそうな気がして。

一つは、英語で言うと「Do」で、「これを成し遂げたい」というものですよね。例えば「◯◯マラソン完走したい」みたいな。

もう一つ、「サッカー選手になりたい」みたいなものは、「Belong」に近い気がしています。普通英語では「Be」を使うとは思うんですけど、僕の中では「ある役割や立場に所属したい」みたいに、Belongの感じが強い気がしています。僕自身、昔はサッカー選手になりたかったのですが、あの感覚はやっぱり「Belong」な感じでした。

最後の一つが「Be」ですね。立場や肩書きや所属先みたいなステータスに関係なく、「こういう自分でありたい」というもの。

それでいうと今は、「〜〜を成し遂げたい(do)」とか「〜〜になりたい(Belong)」みたいな大きな夢って、そういえばあまりちゃんと持っていないなと気づきました。一方で「Be」は強くあるんです。人の持っている可能性が理不尽な理由で閉ざされてしまう世の中に、なんとかしたいなと思うことが多くて。だから、「自分が触れた相手の可能性を拓ける人でありたい」という「Be」の想いはいつもあります。

あとは「豊かに惑う」というキーワードがあります。頑なな信念を持つよりも、ちゃんと「本当にそうかな?」と自分を揺らしてみることができる、そういう柔軟性を持っていたいという「Be」です。そうすると足場がぐらついたりもするのですが、揺らぐことができないと寄り添えないものもたくさんあると思っていて。でも、ただ惑うだけだと苦しいので、「これって豊かなことだよな」と思いながら惑いたい。

素晴らしいです。WTPも子ども達に将来の夢を聞いた時に職業に限定してしまうのではなくて、楽しく友達と映画を観たことで、明日頑張ろうとか、人に優しくなりたいなとか、お父さんとお母さんに親孝行したいなとかそういうレベルの、職業の夢ではなくて、こうありたいという思いや小さなDoをいだいてくれればいいなと思っています。

WTP活動中、子ども達との一枚。

遠くの大きな夢だけでなく、身近な小さな変化も大事にする姿勢、素敵ですね。

「こうありたい」というBeを持っていると、「じゃあそうあるために今はこれをしよう」と、目の前の小さなDoを見つけて積み上げていく感じなんです。将来というよりも、「いま、ここ」のDoを。そうして積み上げた先に、きっと叶うものがあるだろうという感覚があります。そう思えると、今目の前でやっていることに豊かな意味づけができる気がします。

近年は割とそういう生き方に変わってきていたんですけど、こう話しながら、社長に最近「健全な野心を持ったら」と言われたことを思い出しました。なるほど、「野心」か、と。確かに「猛烈にこれを成し遂げたい」みたいな野心的なものを持ってる時って、強いパワーが出てくるんですよね。だから、「Do」と「Be」、「地道な積み重ね」と「野心」、そういう両輪を回しながら生きていけたらいいなと今は思っています。


YUYA KAMIMURA
英治出版株式会社にて勤務。
近年は、 90分の対話からその方へのおすすめの5冊を選定する「対話選書」も実験中。
自分に子どもができて中学生くらいに成長したら手渡したい本・ナンバーワンは、
冒険家・星野道夫の『アラスカ 光と風』(福音館書店)。



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