ー本日はどうぞよろしくお願いいたします。さっそくですが現在はどのようなお仕事をされているんでしょうか? 現在は札幌で旅行関連の仕事をしています。具体的には旅行サイトの運営だったり、インバウンド向けの営業だったりですね。元々東京生まれ東京育ちなのですが、2020年8月に仕事で札幌に転勤してきまして、札幌と相性が合うなと感じました。以来、札幌内で転職したりして、ずっと札幌に住んでいます。 ー札幌での生活、憧れます。札幌のどんなところが気に入られたのでしょう? ゴキブリ
カンボジアで体験した忘れられないシーン。―本日はインタビューにご協力くださりありがとうございます。 まずは武藤さんとWTPのはじめての出会いについてお聞きしたいです。 はじめは、私がちょうど独立した8年前くらいに、WTPの「ビブリオバトル」という映画イベントについての記事をYahoo!か何かで見たんです。独立するタイミングだったこともあり、「私も何かやれることはないかな」と思って、WTPのウェブサイトからダイレクトに連絡をしました。別件で東京へ行く際に「お話を聞かせてくださ
きっかけは奥さま。 オススメされた本をほんの数時間で読み終えた。―本日はインタビューにご協力くださりありがとうございます。奥さまもご参加ありがとうございます!まずはじめに、深谷さんとWTPの出会いは何だったのでしょう? はじめは、WTPのことを全く知らなくて、きっかけは妻が俳優の斎藤工さんの大ファンということでした(笑) 妻は僕のことをヒトシではなく、漢字の音読みで“しゅんくん”と呼んでいるのですが(笑)ある日、「ねぇねぇ、しゅんくん。工くんがね、『ゆめのはいたつにん』っ
教える仕事を通じてできること。―本日はインタビューにご協力くださりありがとうございます。小池さんは高校で校長先生をされていると伺いました。 現在65歳なのですが、校長の仕事は60歳で定年のところ62歳まで延長して勤めまして、その後は転職して、現在もそこで働いています。 ―転職されたのですね。ちなみに校長先生になる前は高校の教員をされていたかと思うのですが、科目は何を教えられていたのでしょう? 工業高校で、工業を教えていました。専門は機械なんですけどね。内容としては鉄であ
考えたくないことを考えるのが経営―すごいなぁ…。国税庁の数字によると20年続く会社は0.4%と言われていますが、今振り返られて、続いてきた理由はなんだと思いますか? (しばし考えて)感性の面と理性の面があると思っています。まず感性の面でいうと、やりたいことの志が崩れないということ。「日本の街並みを変える」という志を34才で持ってしまった暁には、そんな簡単にやめられませんよね(笑)。 理性の面でいうと、どうしたら会社が潰れてしまうかを常に考えています。会社が大きくなって社員
日本の街並みを自然素材で満たしたパイオニア―家山さんには長年お世話になっていますが、いつもこちらの話を聞いていただいてばかりで、そういえば家山さんのお仕事についてお聞きしたことなかったなと思いました。私の中で家山さんは「すごい人」であり、「木と森の人」であり、「あちこちの森を飛び回っている人」というイメージなのですが、具体的にはどのようなお仕事をされているのでしょう? 僕自身はキャリアでいうと、大学卒業後の10年間、建材、木材の商社でサラリーマンをやった後、1998年にチャ
つくりたかったのは優しさの映画祭。―本日はインタビューにご協力くださりありがとうございます。まずは南光くんとWTPのはじめての出会いについてお聞きしたいです。 WTPのことは高校1年生の時から知っていて、めちゃくちゃ面白い団体さんだなと思っていたんです。すぐに関わりたいと思ったのですがなかなかそういう機会はなくて、どこかで繋がる機会がないかと模索していました。そして初めて直接お話できたのが、僕が生徒会で上映祭を企画している時にメールを送った時でした。 映画祭のコンセプト・
生まれてきたんだから私にしかできないことを―本日はインタビューにご協力くださりありがとうございます。まず始めに久美子さんのお仕事について教えてください。 高校卒業後、さまざまな仕事を経験しましたが、今は5年前に立ち上げたアクセサリーブランドの運営をしています。初めは本業の傍ら、副業としてスタートしたのですが、昨年本業という形で独立しまして、今は月に一度オンラインショップをオープンして販売会を行なっています。 個人事業主なので、アクセサリーのデザイン・制作だけでなく、材料
リーダー育成研修に参加して出会ったWTP―本日はインタビューにご協力くださりありがとうございます。 早速ですが、普段はどんなお仕事をされているのでしょう? 初めて菊地さんやWTPの皆さんにお会いした2019年は、会社の医薬部門にいて、研究職から研究企画職になって3年ほどが経った頃でした。今年3月に異動になり、IR(インベスター・リレーションズ)担当部署にいます。会社の株を投資家の方に買ってもらうお仕事で、決算説明会を主幹したり、そのための資料を作成したりしています。 ―今
WTPの活動の意義は「かもしれない」をたくさん贈ること。―現在は理事を退任され、活動からは離れていらっしゃいますが、退任後も本当に様々な形で応援してくださっています。それはなぜなのかお聞きしてもいいでしょうか。 そうですね。まずそもそも、理事を退任してメンバーから外れるという選択は、「もう応援をやめます」ということではありませんでした。人生の状況が変わってきたタイミングだったなか、どうしても深く関わることが難しくなり、その状況で理事やメンバーとして関わるよりもお互いにとって
いろんな物語に出会い、蓄えておくと、 いつかピンチの時に支えになるかもしれない。―上村さんは長らくWTPに関わってくださっています。WTPとのはじめての出逢いのきっかけを教えていただけますか? 僕は学生時代にTABLE FOR TWOという、アフリカ・アジアの子ども達に給食支援をするNPOで活動していて、当時一緒に活動していた後輩から紹介されたのが最初でした。 卒業後のことですけど、彼が何かで代表の教来石さんとお会いしたんですね。そのとき、WTPの前身のCATiC(キャテ
個人の支援だけでは限界がある 企業としても何かできないか ―本日はインタビューにご協力くださりありがとうございます。まず最初に久岡さんがどんな方なのかお伺いしたいのですが、普段はどんなお仕事をされてるのでしょう? メインは介護施設の運営をしています。父が立ち上げた社会福祉法人きらめき会を手伝っている形ですね。千葉と埼玉、横浜に小規模多機能居宅事業所や特別養護老人ホームなどがあって、ご利用者の方やご家族が笑顔で任せられる施設作りを目指しています。 ―久岡さんが介護施設に寄付
日本茶を世界へ。無知の先にあった試練―仲嶺さん、今日はありがとうございます。まず始めに、仲嶺さんのお仕事について教えてください。 都内のIT関連企業で、組織開発領域での新規事業の立ち上げを担当しています。社員は少人数で、自由な社風の会社です。社長が社員のやりたいことを応援してくれるという恵まれた環境にいまして、私は日本茶が好きなのですが、仕事の傍ら日本茶を海外に販売する会社を個人で経営しています。 ―日本茶を海外に向けて販売する。きっかけは何だったのでしょう? 2013
カンボジアのお祭り 小さなテレビで映画を観た夜―筑井さんはもう10年近くWTPにご支援くださっています。差し仕えなければ、支援に至るきっかけを教えてください。 WTPと出会った時のことは鮮明に覚えています。ある時Facebookを見ていたら、タイムラインにWTP(当時はCATiCという名前でした)の活動が流れてきたのを見たのです。カンボジアで映画を届けている活動と知って、脳天をぶち抜かれたような衝撃を受けました。 僕は2003年から1年間、カンボジアに住んでお寺で日本語教
カンボジアの子ども達と 自分の子ども時代の姿が重なった ―宮沢さんは、WTPにご支援くださる前から、カンボジアの子ども達を支援されていましたよね。きっかけは何だったのでしょう? 私が横河電機を定年退職する少し前、会社の先輩たちが、カンボジアのコンポントム州に小学校の校舎を寄贈しました。完成した小学校を現地に見に行くツアー(後の‘’横河オークン会‘’主催のツアー)というのがあり、ずっと気になっていたのですが、まだ会社員で長い休みも取れないからと我慢していたのです。 2005