愉快、痛快─ウェス・アンダーソン『アステロイド・シティ』
忙しくてここ数週間記事をアップできていなかった。ようやく落ち着きそうなので、ぼちぼち更新再開する所存。
最近はいろんなことに追われていたのだけど、その合間を縫ってウェス・アンダーソン監督作品『アステロイド・シティ』を観に行っていました。
体調がまだ万全ではないから、ただ圧倒されるまま物語を追っていくので精一杯。観終わったあとはヘトヘトだったが、それでも大満足だった。
ウェス・アンダーソンの映画の良いところの一
つは、大衆娯楽として味わうこともできる自由さだと思う。有名俳優たちがこぞって出演したがるのだからメンツが華やか。
初期からずっと組んでいるジェイソン・シュワルツマンをはじめとして、これまた付き合いの長いエイドリアン・ブロディ、エドワード・ノートン、ティルダ・スウィントン、ジェフ・ゴールドブラムも登場。
そしてはじめてウェス監督作品に初めて参加するトム・ハンクスにスティーブ・カレル。案外馴染んでいて良い。
個人的には、『パブリック 図書館の奇跡』で好演していたジェフリー・ライト、その部下役に『グランド・ブダペスト・ホテル』のトニー・レヴォロリ、シュワルツマンの息子役に『ムーンライズ・キングダム』のジェイク・ライアン…といった再出演組も嬉しかった。
なかでもスカーレット・ヨハンソンの演技はすごく良かった。特に動作をかなり封じられたモーテルでのシーン。あと出演シーンが1分にも満たないマーゴット・ロビーも。あのわずかな時間が止まったような、あるいは永遠のようにも感じられた邂逅はすごく印象に残った。
それからマヤ・ホーク!あの人はこれから絶対活躍する。わたしが言うまでもなく。
ただウェス・アンダーソンの映画はこういった華やかさだけでなく、よく考えられていて演出や脚本の構造を分析する楽しさも兼ね備えている。
本作の序盤で荒野を走る長いながい列車が出てくるところは「これはアメリカ映画だ」という宣言そのもので、この胸の高鳴りは最後まで裏切られなかった。
ウェス・アンダーソンは活劇を撮れるひとだということは今さら言うまでもないが(前作『フレンチ・ディスパッチ〜』はほんとーに最高だった!)、本作でもカット割りが素晴らしくて観ているだけでうっとりした。
たとえば、下の画像のモーテルが出てくるシーンではときどき窓がスクリーンのような役割を持つ。また、ジェイソン側のモーテルにキャメラがある場合、ジェイソンの後ろ姿をナメてジェイソン側のモーテルの窓から向こうのモーテルの窓際にいるスカーレットをとらえるようなショットはあったが、窓以外の室内にレンズが向けられることはワンカットあったかなかったかぐらいだったように思う。(間違ってたらすみません)
一方、白黒のスタンダードで描かれる舞台裏でこのモーテルのセットが登場するときはモーテルの内側に向かう位置にキャメラがあり(平行方向に移動撮影はする)、その上モーテルがバラバラになった状態がわかるようある程度引きの画でとらえられている。
この違いを「場に応じて物のあり方や意義が変容する」と解釈してもいいだろうし、もっとちゃんと考えれば納得できる答えを導き出すことも可能だろう。
こういった演出やショットのごく一部を取り上げてみても分析しがいがあって、知的好奇心がくすぐられるというものだ。
また劇中、白黒スタンダードとカラーのシネマスコープの往復のなかで往年の映画と舞台の関係、役者と作者の密接な関係について語られる。これはきっとアメリカの演劇やアメリカそのものをよく知るひとにとっては楽しく批評的な文脈も読み取れるのだろうが、残念ながらわたしには生半可な知識しかなかった。一部、そして「多分わかる人にはわかって楽しいんだろうな」というところまでしか理解できなかった。悲しい。あとからパンフレットを読んで「ああ!」となったことも多かった。戯曲もっと読まないとなあと反省。
そういえば本作のパンフレット、ヴェネツィア国際映画祭での会見内容がまとまっていたり長いプロダクションノートが読める点は間違いなく“買い”。
それにしても、考えながら前に進みつつ、映画製作の規模がどんどん大きくなっても作家性を保ててるウェスのバランス感覚には、改めて驚いてしまう。しかも今回の『アステロイド・シティ』はコロナ禍初期に撮影された作品なので準備も含めいろんなことが大変だったはずだが、そんなことを感じさせない。(中盤くらいで字幕に「隔離〜」という言葉が一度だけ出てきて「ああ、そういえばコロナ禍の影響かな?」と思ったけれど、作品の全体を俯瞰するとそこまで大きな要素でもなかった)
少し話が逸れるようだが、先日小津安二郎の大映版『浮草』をはじめて観た。ホームグラウンドではない映画会社の作品であっても最初から小津の映画であることが強烈に伝わってきて、「小津安二郎は大映でどんな世界を作り上げるのだろう?」とドキドキした。そのドキドキを、『アステロイド・シティ』で670両の列車が走るさまを見たときに思い出したのだ。
ウェス・アンダーソンと小津安二郎、それぞれ異なる個性を確立したふたりを表層的な部分だけで並べて語るのは安易で危なっかしい。
しかし少なくともどちらもショットや演出に鮮烈な記名を残す映画作家であること、アウェイを逆手にとって飄々と映画を撮ってしまうところ、この2点については共通していると言ってもよいのではないか。
ちなみに…。
ここまでウェス・アンダーソンを褒めてばかりだが、ときどき観ていて何かヒヤッとすることがある。それが胸のうちで拡がると『ムーンライズ・キングダム』のようにあまり好きになれなかったりする。
あとは『犬が島』も公開当時なんとなくハマれなかったのだが、それ以外の作品は全部好き。だから好きな監督といって差し支えないと思う。
なおわたしが初めてウェスの作品を観たのは『ダージリン急行』。高校生のわたしは『グランド・ブダペスト・ホテル』の上映が終わってから興味を持ち、その代わりに買った『ダージリン急行』DVDで衝撃を受けた。何回も観たなあ。当時受験生でしたけど…。
最後に。
宇宙人の登場シーンで劇場全体がクスクス笑いに包まれたとき、いい気持ちになった。わたしもあそこは仕草のかわいさもあって笑ってしまったのだが、こんなヘンテコな映画にたくさんお客さんが来ていて(しかも平日の昼間に!)この楽しさを共有できるっていうのはそれ以上にもっと愉快なことだと思った。
あー、いい映画だった。
久しぶりだったせいかいつも以上に感想にまとまりがない。そこはどうかご容赦を。
今日はこのへんで締めましょう。
それではごきげんよう。
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