1月20日 土曜日 落語鑑賞
この日は、娘二人を連れて東村山に落語を見にいきました。落語は2年前ほどから観るようになり、今回はそのきっかけとなった三遊亭兼太郎さんの会になります。
三遊亭兼太郎さんは、私がよくいっているカフェの店主の友人で、初対面がラインの電話でした。そこから、私の小学校に来ていただき、学校寄席を開きました。去年もお願いしたので、今でもお世話になっております。
兼太郎さんの落語を聞いて私も落語が好きになり、兼太郎さん以外の落語家さんの噺を聞きにいくこともあります。私が一番好きだったのは、兼太郎さんの師匠の三遊亭兼好さんです。
場の空気を一気に変えるオーラは、行ってみないと体感できないと思います。凄まじく面白いです。会場もずっと笑い続けている状態で、特に酔っ払いの噺はすごかったです。
そんな兼好さんの弟子の兼太郎さんも負けず劣らずの面白さ。間、タイミングの妙と顔芸?の素晴らしさで唯一無二の存在であると思っています。この個人がくっきりしていることが、落語をやる上では重要なのでは無いかと思っています。そしてこれは、教育、授業にも関係しています。
それは後ほど述べるとして、今回の落語も非常に面白かったです。なんとなく娘たちに合わせていただいたような気もします笑
最初の落語の回だったので、ありがたかったです。
はじめに落語とは何かという、基礎中の基礎までレクチャーしていただき、小学校4年と2年の娘たちもなんとなくかもしれませんが、落語の面白さを感じることができたのではないでしょうか。
家に帰ってこのブログを書いていると、長女が私も書きたいとのことだったので、書かせてみました。特に修正も訂正もしていないありのままの文章が以下になります。
まずびっくりしたのが、ここまで割と早めのタイピングでこの文章を作成していたということです。以前パソコンでブログの記事を書いたときは全然書けなかったので成長を感じます。
あと、緊張もあるとは思いますが、かなり重たい客になっていました。もうちょい愛想よくして!って思ったけどしょうがないですよね笑
ただ、意外と話を聞いていたことが文章からもなんとなくわかります。正直、時そば以外は話が難しいのではないかと思いましたがよく聞いていたなと思います。
まあこれも兼太郎さんの話芸があるからこそだとも感じました。ただの噺ではなく兼太郎さんの噺になっているんですよね。ここで先ほどの話に戻ります。
授業、いわゆる一斉授業では同じ教科書で教えてもその人でしかできない授業というものがあると思います。教科書は指導書という授業ガイドのようなものがあり、それ通りにやればある程度は同じような内容になります。まさに落語の噺と同じようなものです。
ただその教科書なり噺なりをどのように演じるかは、演じ手の個性に委ねられています。ここの個人的な部分が面白いと、いい授業・面白い噺となっていくんだろうとふと考えました。
今私はできる限り一斉指導の授業からは離れようとしていましが、全体に指導すべきときは、自分の持ち味を活かした話し方・聞き手への眼差し・観察を大切にしています。お互いに場の空気を作っていく感じでしょうか。
授業と落語には似ている部分があるなと思って書いてみました。落語はまた観にいきたいと思います!
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