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2田舎暮らしを始める動機

《発想の始まり》
2011年3月11日のその日、私が初めてその報に触れたのは、量販店の商談から帰店する途中の京都市バスの北大路ターミナルでバス待つ人の携帯電話での会話を耳にした時であった。次々とその悲惨な悲報が入るようになり、自身の気持ちも落ち込んでいくのが実感できる状態であったのを今でも記憶する。目に触れる光景は神戸の時もそうであったが、自然の力・地球の力というものは汗を流し築いた人工物をいとも簡単に奪い去るものだと実感をした。当り前で仕事をする事の対価として金員を受け取り、まっとうな生活が出来る事に満足を得ている事に疑問を感じだした。
当時、売上が減少しその原因を掴めずにいて、各所へ営業に向うも漬物のカテゴリー全体が韓流ブームを背景にしたキムチ製品以外の漬物製品が各所で売り上げが下がっていて他の各メーカーも苦戦している状況であった。
私自身も営業苦境に落ちた時には、新しい発想で新製品を売り場に提案して
それなりに売り上げを確保して人並みに生活をするだけの利益は何とか確保をしていた。
そんな霧中の思考の中で、金で買えないモノもあるはずを強く感じていた。、

某雑誌に記載された私の製造した漬物の画像


京都市北部の山間部にいる叔母の家に小学生の頃の夏休みに宿泊して、現地の同年齢の教授を受けた遊びで、山を探検し、川で泳ぎ魚を捕まえ、谷間の狭い平地を駆け回り大阪の中心部の都会生活では経験できない楽しい経験が鮮明に思い浮かび、あの時から40年後の今から田舎へ移住したらどうなる?という発想が始まり、加えて東日本大震災に感じた事が決断をする事に影響をしていると言える。今まで経営という事ばかりにとらわれていて、何ら自己の希望や展望というものが欠如している事に気付いた。
加えて、苦労して汗して働くのであるが全く生活に余暇を楽しむ事も充実感が無い。しいていうなら、漬物製造の業界に身を置いてから趣味を持つでなく飲酒を全くしない私は、遅くに仕事を終わり夕食を外食するぐらいが唯一の無心になれる貴重な時間であった。
いったい、何の為に生きているのか?を自問する事が極端に増える日々を過ごす日々が増えてきて、周りにいる友人や知人の話を聞く都度に、ある意味に於いて貧困な毎日の生活サイクルが無意味に思えてきた。

「今までの総てを辞めよう!」
その決断を下すには時間はかからなかった。

では何をして生計を維持する?
そんな事は考えなかった。
現実からの逃避をする事だけに専念をした。

当時、京都市上京区に2階部分住める漬物製造所を賃貸物件で持っていて、これさえ始末すれば身軽になれるのだと決断し行動を決意をし、即、借財の整理をいきなり行ったら、漬物を漬ける器具や機器一式と僅か30万円の現金と偶に日帰り車旅を楽しんでいたフィアットクーペと事業で使っていた過走行の日産キャラバンが残った。

《問題発生》
住む場所が無い。所有する京都市北区西賀茂の土地家屋はサッサと親族に贈与を行っていた。整理して残った30万円は次に行動の為の保証金として使いたくない。
所有する車は売却したくない。←売っても売却金額は小額。
一番の問題は、まともな家で寝る場所が確保出来ない事で住所不定の身上だけは避けたいと切に考えていた。
とりあえず、第一に考えるのは住居の事だと結論する。
総てを整理する前に現業を続けながら、逃避する場所を探す事に専念をした。

今回記述はここまで。

明日は、田舎移住の為に起こしたアクションについて。

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