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ドラマ「東京タワー」最終話感想 悲観するな

注:原作と映画の内容について言及しています。気になる方は閲覧をご遠慮ください。





終わってしまった。終わってしまったね〜〜。
映画とも原作とも違う展開で、終着点でしたね。
透詩史推しの私としては、いろいろもどかしいところがあります。
 

「一緒に暮らそう」「でも、どうやって?」
この話を最初にしているときは「でも、どうやって?」だった。
けれど、詩史さんが離婚届をパートナーに突きつけて、パートナーもそれに署名してからは、「でも、どうやって?」ではないのではないか。
いや、上の時点でも、「でも、どうやって?」では、ない。
詩史さんは自由に物件を借りられるだろう。そこに2人で住めばいい。透が大学を辞めて、就職する必要はない。
私はここがどうにも気になって、「なんで?」と思いながらドラマを観ていた。観終わった後、今でも「なんで?」と思っている。

一緒にいたいなら。一緒に暮らしたいなら。どうしてもそうしたいなら。どういう方法を使ってもそうすればいい。透が大学を辞める必要はない。
「一人前」という言葉がしっくりこなかった。何を、どうして、一人前、なのだろう。
今通っている大学に、そのまま通って、医師を目指せばよいのだ。そうしたくないなら別だけれど、それなりに気持ちがあるのならば。
学費を親に出して貰っているからということだろうか。学費。……詩史さんが出す(勝手に決める)。
でもそのことを詩史さんは言わないのだ。
何故?

大学に通い続け、医師になった透に、詩史さんは多分、不安を抱き続ける。
「だって あなたには 未来があるじゃない」と。
だからだ。


「孤独」という空気で惹かれ合ったと自分たちを認識する透と詩史さん。
でも果たしてそれだけだろうか?
「このままだと私は あなたに依存してしまう そんな自分は嫌いよ」と詩史さんは言うけれど、果たしてそうだろうか?そうならなければならないだろうか?

「あなたに寄りかかって生きていくのはもっと怖い」、
「自分を愛せるのは自分だけ」
と言葉を並べる彼女には、そうだね、と頷く自分がいたけれど。


「これからは 一人で 生きていくことにしたの」
「冷静になって考えて 自分で決めたの」
詩史さんがそう言ったとき、透が「提案じゃない、決定なんだ」と嬉しそうに言ったのを思い出した。

一人でいられない、一人では生きられない詩史さんが、自分の足だけで生きていこうとする。
それはわかる。それなら、わかる。詩史さんと透が離れるのも。
けれども、最後、喜美子さんと詩史さんが会話を交わす。
「一番いい思い出でいたい」
「いずれ もっと素敵な女性が現れる」
と。

その会話から考えると、やっぱり、透と詩史さんは一緒にいてよかったと思う。
詩史さんは「思い出」になる必要も、「もっと素敵な女性」に怯える必要もない。
どうしてそんなことをしなければいけないのだ。
孤独や寂しさの空気に惹かれたとしても、絶対にそれだけではない。それだけの空気ではない。
依存し合う関係性に気づいてそれをやめることだってできる。依存をやめて、関係性を続けることもできる。

何が言いたいかと言うと、どうして年上の女が「思い出」にならなければならないのか、「いつか現れる女性」に怯えて、悲観しなければならないのか、と私は微かに憤慨している。透詩史推しということもあるが。

それを「思い出」にさせなかったのが原作であり映画だよなあとも。
原作はハッピーエンドの気配がしないのであまり好きではないし、映画版の終わり方は釈然としないけれども。
じゃあドラマ版の終わり方が一番しっくりくるか、と言うとそうではなくて。

私は、「よっしゃ一緒に住もう、学費?家賃?生活費?気にすんな」みたいな詩史さんが見たかったのかなあ。そのことに遠慮しつつも「詩史さんが言うなら、それで一緒にいられるなら」と承諾してしまう透が見たかったのかなあ。なんだろうなあ。多分そうだなあ。
で、大学卒業して医師になる透と、建築家の詩史さんがパリに(映画もフランスだしドラマもフランスなんだね、と思った)透の卒業旅行に行けばいいんだよ。そうしようよ。

でもそうすると、令和版の「男の子たちが主人公」な展開ではなくなってしまうのかもしれない。
いやでも、そんなんどうでもいいから(よくはない)、透と詩史さんに一緒にいてほしかった。
詩史さんに、自分の価値を下げるようなことを言って欲しくなかった。


今回は詩史さんの悔しそうな顔やぐっと堪える顔が見られた。
人間味のある顔。
天界か何かにいるのか?という、浮世離れした詩史さんが、どんどん人間味を増していくのが楽しかった。
それでも今回、人間味を増した詩史さんの考えに、私は理解はできても賛成はできなかった。

喜美子さんと詩史さんはどうやって知り合ったのだろう。スピンオフで描かれているのかな?

「もう あんたみたいなおばさん懲り懲りだよ」という耕二の台詞は、映画を思い出した。
けれど、そこに込められている感情が違う。
映画は、まじで怒りました、何なんだよお前、だけど、ドラマは「愛していたよ、ありがとう」という想いがそこに乗せられていた。

透母と詩史さんの元パートナーとの会話も、映画を思い出して楽しかったな。 
あの二人の「苦い思い出共有知人」みたいな雰囲気が好きだ。


いろいろ言ったけれど、私の初恋の小島透を、永瀬廉が演じてくれて良かった。本当に。
ドラマというかたちで、新たに「東京タワー」を見られて幸せだった。詩史さんが板谷由夏さんというのも凄く嬉しかった。好きな俳優さんなので。


さあ、こっからまだ楽しみは続くのです。
原作!やっと読める!ドラマが終わるまで楽しみに取っておいたのだ。
何年ぶりかの再読は、私に違う感想をもたらすのだろうか。
多分、思うことが全然違うのだろうな、なんて予想をしている。
透くんが頭の中で誰の形をとって再生されるかも、楽しみ。前は岡田一択だった。


ドラマ「東京タワー」、いっぱい楽しみました。ありがとうございました!

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