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サル日記 その5・ご縁があれば

グルメビーフバーガーが…



…食べたいぃぃぃ!!!


字面を見ただけで、もう強い。
肉汁あふれるパティ、とろけるチェダーチーズ、クリーミーなアボガドスライス…考えるだけでうっとりする。

うちの近所、
図書館や買い物の行き帰りに通る道の一角に、昨年、新しいグルメビーフバーガーのお店が出来た。

「マツコの知らない世界」にも出演したバーガー通、えどぽよさんのインスタにも、さっそく紹介されている。
いいなーいいなー私も食べたい

しかし、母を在宅介護している今の私にとって、それはなかなかハードルが高い。
ほぼ毎日、朝昼晩の三食を、自分と姉の分を含め、私が作っているからだ。

時々、日中に、映画や歌舞伎、舞台を見に行くが、母の昼食を用意したら家を飛び出し、映画館の売店でホットドッグセットを買ったり、デパ地下のお弁当を幕間にかき込む。
そして観終わったらすぐさま劇場を飛び出し、惣菜を買って帰って来る。

少し時間が取れた時でもなんとなく、少しでも早く家から、日常から離れたくなって、電車に乗ってしまう。

だから「家の近所で気ままにハンバーガー」ということが、意外とできない。

お店の詳細を調べると、不定休で、開店は11:30。
テイクアウトならいけるかも?でも待ち時間がかかりそう。
いや、あの名店「ファイヤーハウス」も出前館でオーダーできる時代だ。デリバリーできないかな?

店の公式はインスタのみ。問い合わせもDMから、となっている。(今どきっすね)ということで、DMでたずねてみる。

「初めまして、お尋ねします。貴店のハンバーガーは事前にオーダーしておいて、指定日時に取りに行くことはできますか?」
「メッセージありがとうございます。申し訳ありませんが、当店はテイクアウトをしておりません」
「そうなんですね、わかりました。いつか行きます!」

…って書きながら、私は心の中で思う。
『きっと、この店にいくことは無いんだろうなぁ…』と。

『縁がないってことなんだなぁ』

こういう時、私の脳内には中島みゆきの「縁」が鳴り響く。

縁ある人 万里の道を越えて 引き合うもの
縁なき人 顔をあわせ すべもなくすれ違う

こういうことは、勤めているときから、よくあった。
かわいいカフェ、美味しそうなラーメン店、老舗の和菓子屋さん。
それらがまだ開かないうちに、その前を通って、通勤の駅に急ぐ。
そして勤務地の定食屋でランチを食べ、退勤後には居酒屋で飲み、地元の店が閉まった頃に帰ってくる。
いつの間にか「地元の行きつけ」が歯医者とクリーニング屋とマツキヨだけ、になっている。

我々オタクは、「縁」という言葉をよく使う。

『お友達の〇〇ちゃんからご縁をいただいて、光一くんのSHOCKを観て来ましたぁ』みたいな感じだ。

別に「誘ってもらった」「譲ってもらった」「交換が成立した」「普通に当たった」でもいいような場面において、あえて

「ご縁をいただいた」

と言ってみたりする。
確かに、貴重な「機会」は貴重な「縁」だ。

でも、こういう、いかにもめくるめく感動と興奮に満ちた世界には飛び跳ねながら駆け寄って行くくせに、すぐ目の前、すぐ隣の身近な日常とは、すれ違いの毎日だ。
そしてそれは、自分から「縁」を繋いでみようと思って動かない限り、ずっとそのままだ。

つい先日、かつてお世話になった方が亡くなったという知らせを受けた。
ご自身も体が不自由なのに、よく私の母のことを気遣う声をかけてくださった。
そこそこ近くに住んでいるのに、もう十数年も、お逢いしていなかった。
なんとなく、「縁がある」の反対語は「縁がない」ではなく、「不義理」なんじゃないかと、胸が痛くなった。

昨日は映画を見に行った。
母に昼食を出したら、後を姉に託し、駅に急ぐ。
上映時間には早いけど、有楽町でランチでも食べよう…

そしてふと気づく
「こういうときに、あのハンバーガーの店、行けたよな」

その店ができる前、そこには老舗のロシア料理屋があった。
高齢のご主人が、病に倒れるまで厨房に立ち続け、その後は意思を受け継いだアルバイトの方がお店を守り、2021年暮れに惜しまれつつ閉店した。
そんな店に、私はその前を行き来しながら、一度も入ったことが無かった。

「ご縁があればそのうちに」とか言ってないで、
あのハンバーガーを、食べに行こう。





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