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【歌舞伎】感想 三月大歌舞伎@歌舞伎座第一部 『花の御所始末』 2023年3月12日

・・・ちょっと予想してなかったこの観劇後感。

ほうおう(松竹歌舞伎会の会報誌)で「シェイクスピアの「リチャード三世」に着想を得た“悪の華”を描く異色作」という解説を読んだ時から「ほぉ、面白そう」程度の期待感はあった、けど、そんなもんじゃなかった。

ちょっとーなに!めっちゃくちゃ面白いじゃんーーーーーー
悲劇!悲劇!悲劇に次いでまた悲劇!悲劇のてんこ盛り!
救いがない、救いようがない、救いなんかいらない、
悲劇好きのアナタ、呼ばれてますよっ!!!

って感じに雪だるま式に膨れ上がる興奮とフリーフォールのようなカタルシス。帰宅後にはイヤホンガイド「耳寄り屋」の「Web講座&アウタートーク ¥400」まで購入してしまった。
以下、感想を

<シェイクスピアと歌舞伎の親和性すごい!>
<あー京都に幕府があってホントによかったよねっ!!>
<ねぇ、これ帝劇でも見たい!!!>

っていう切り口で書いていきます。
※公式さんの解説を含めネタバレを含むのでご注意ください。

と、そのまえにいきなり<余談>
※舞台感想ではないので興味の無い方はすっ飛ばしてください。

家を出ようと支度していたら母(在宅介護中)から「ウ〇コが出た~」と呼びかけが。どうして今ーーー( ;∀;)と思いながら片付けてアワアワしながら飛び出す。こういう時って、忘れ物をしやすいんだよなぁ。よくあるのがハンカチで先月も歌舞伎座でガーゼハンカチを買ったっけ・・・が、今日は大丈夫なはず・・・と思いながら駅につきホームに向かうエスカレーターに乗ったところで気づく
「忘れたよ!!!チケット!!!!!」(胸中雄たけび)

しかーーーし、慌てることはない!!!事情を話して確認が取れればすぐに臨時のチケット(手書き)を発行してくれる。

臨時チケットはこんな感じ
名前と席番は消してます

松竹歌舞伎会経由で購入していればすぐ確認も取れて、他のお客様が皆さま着席し開演してもしばらく空席であれば・・・なんて待たされることもない。安心と信頼の松竹クオリティ。だからってわけじゃないけど気をつけよう(^^ゞ
そして、こんなことがあってもやっぱり紙チケが好き♡

行きがけに三越でお弁当を買う。今回は神田明神下みやびさんの「ちび弁おむすび」、幕間にかき込むには最適なサイズ。他にもこれくらいのボリュームだったら美濃吉の「美味串合わせ」が好き。おかずだけで米がないので少食かつ糖質オフしたい人におすすめだ。しっかり食べたいときはGINZA6で刷毛じょうゆ山登りののり弁を求めることもある。もちろんいずれも美味しいです!

みやびの「ちび弁おむすび」

このコロナ禍の3年あまり歌舞伎を含めあらゆるエンターテインメントは辛酸をなめた。そしてかつてはあり得なかったような形でも少しずつ回復の灯をともし続けた。その灯が次第に大きく、明るさを増しつつある中で、歌舞伎座も幕間における客席・ロビーでの食事(黙食&一部エリアを除く)や大向こう(専門の担当者による)が復活している。私も弁当は外部からの持ち込みだがお茶やコーヒーそしてめでたい(たい焼き)などをいただくのが楽しい。あとはロビーでのグラススパークリングワインが復活する日を待つばかりだ。

で、閑話休題、肝心の舞台の感想へ。
まず

<シェイクスピアと歌舞伎の親和性すごい!>と思ったよ!!!

「花の御所始末」は『昭和の黙阿弥と称される宇野信夫が、シェイクスピアのリチャード三世から着想を得て書き下ろした。(中略)暴君と恐れられた足利六代将軍義教を描いたスケール大きな史劇で、義教が一気に頂点まで上り詰めて行く様子、そして、次第に狂気に苛まれて末路を迎えるまでをスピーディーな展開でドラマチックに描き出す』というもの。

「ほうおう」3月号より

将軍になるために計略をめぐらせ、父を、兄を、近臣を殺し、そのほかの人々も次々に死へと追い詰めていく主人公・義教を演じるのは当代松本幸四郎さん。

「花の御所始末」ポスター

歌舞伎の物語って時に残酷だ。
それは日本の古代中世の価値観・風習に立脚してるから仕方ないんだけど、身分の上下問わずいともあっさり「お、殺しやがった」「あ、死んだ」ってことが起こる。『寺子屋』なんかいつ観てもつい泣いちゃうけど、よく考えたらひどい話だもん。でもそれが「忠義/美談」の立ち位置で提示される。

また、「色悪」というものもある。先月、当代片岡仁左衛門さんが演じた「霊験亀山鉾」の水右衛門など「徹底した冷血漢ぶり」「色気も備えた極悪非道さ」と謳われ、他にも東海道四谷怪談の田宮伊右衛門とか桜姫東文章の釣鐘権助なんかもそうだけど、とにかくなんでそんなに殺すのかね?と思うけど「でもかっこいいからしゃあないか」となる。(しゃあなくない、ダメ、ゼッタイ)この妖異な物語を味わい、非日常の世界を楽しむのも歌舞伎の醍醐味だ。

一方、今回感じ入ったのは、今自分が立っている現実世界に通じる、人間として不変の「苦悩」の様相だ。
 
幸四郎さん演じる義教と、当代中村芝翫さん演じる管領・畠山満家の二人で繰り広げる丁々発止の場面は特に見ごたえがあった。
上り詰めるに従って、腹心だったはずの満家を遠ざける義教。実は義教は先の将軍の胤ではなく、母と満家との不義の子だった。気を病み、義教に縋って取り乱す満家。一蓮托生だったはずなのに、ここぞと言う所に来て実の父である自分をないがしろにするのは「それはお前の『良心』がそうさせるのだ」と言うセリフは圧巻。悪魔に魂を売り渡して真人間としての路を断って生きてきた義教に心の深淵を覗かせ共に狂気に引きずりこもうとする。ザ・シェイクスピアの世界!震えた。
 
いやーうまいよね、芝翫さん。
この方にはどれだけの人物像の引き出しがあるのだろうか。今回も、臣下ながらも冷血漢ならではの剛強さで若君・義教を精神的に屈服させ、果ては蜘蛛の糸のような執拗さで父として息子を支配し続けるという複雑な役どころを見事に表現される。
私は特に芝翫さんびいきと言う訳ではないのだが、何を見てもつくづくうまいなぁと思う。特に2021年九月大歌舞伎で演じた「お江戸みやげ」でひょんなことから推し役者と一夜を共にするチャンスをゲットしちゃう(で、結局しそこなう)行商おばちゃん“お辻”なんかはホント愛らしかったし泣けた。芝翫さん、シェイクスピア(オセロー)もやってるしね、本当にうまい。安心と信頼の芝翫クオリティ。

義教は美しき若君の面影も失せて歳を重ねるごとに荒み、悪い顔になっていく。誰よりも恐ろしい奴なのにいつも何かを恐れている。気づくと第一幕にいた人々は殆ど死んで、みんないなくなっている。このあたり、ちょっと鎌倉殿の13人を思い出させた。

そんな中で唯一生き残り、義教を討たんとする安積行秀を演じるが片岡愛之助さんと言うのもまた一興。
腹に刃を突き立て「魔道に堕ちても閻魔大王!!!」と叫んで果てる義教。そうだ、たとえどんな道に堕ちようと、どの世界に転生しようと、行った先では己が頂点!このすさまじさ、これぞ惡の華。
 
このストーリーとキャラクターたちが存分に活きたのは、北山~東山文化が隆盛した室町中期に時代設定を求めたことだろう。鎌倉や江戸だとこの憂愁さ漂う壮麗な世界観は造り得なかったのではないか。
つくづく

<あー京都に幕府があってホントによかったよねっ!!>

って思った。
そうじゃないと花の御所にならなかったよねっ!(私は関東の人間だけど)
クライマックス、義教が能の「鵜飼」を披露するという筋で能装束になる。鵜使いの老人、実は亡霊という役どころ。絢爛な衣装を纏い城内の自室から能舞台へと歩いて行くところを、盤を180度転換で見せるのだが、その二つのセットの間までも城内の廊下に見立てられ、書き割りがきめ細かく施されている。そこに咲き乱れる曼殊沙華。あぁ、義教はこの世からあの世に歩いて行くんだな、と思う。この演出・美術の美意識にもしびれた。


今回は定式幕ではなく富士の緞帳。永谷園!

こんなにすごい演目、何で知らなかったんだろうと思ったら、今回40年ぶりの上演だそう。そして初演は六代目市川染五郎、すなわち当代松本白鴎さんが主演で昭和49年(1974年)になんと帝国劇場で上演されたそう(出典:ほうおう3月号)
えええええー帝劇ー

<ねぇ、これ帝劇でも見たい!!!>

これゼッタイ帝劇合う!歌舞伎座で歌舞伎も良かったけど帝劇ゼッタイいい!帝劇で見たいよーーー


しかも満家は初代白鴎すなわち当代の御父上(出典:イヤホンガイド)なんかもう系譜エモーショナル!今回、当代の染五郎くんは畠山左馬之助という満家の嫡男役で出てたけど、これゼッタイ染五郎くん主演で帝劇でやったほうがいい、6年後くらいに(半端だねオイ)そして満家を幸四郎さん!やろう!(どこへの呼びかけ?)
あ、でも帝劇だと東宝主催になっちゃうからやっぱり日生劇場か新橋演舞場にして松竹主催でやってください!お願いしますーーーーー

あぁ、本当に素晴らしい演目だった。「花の御所始末」観られてよかった👏👏👏


・・・と、いつの間にか長くなった。
振り向いたら誰もいなかった感覚。
そんな中で、最後まで読んでくださった方、本当に有難うございます。
どうぞゆっくりお休みください。

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