見出し画像

「昭和⭐︎毒まんじゅう」

コンビニの前に繋がれているワンコちゃん。



尻尾を振り振り、健気にご主人様を待っている。



そんな幸せな光景を目にすると、私も動物を飼いたいと思う。



その昔、お袋が子守唄代わりに毎晩飽きるまで話してくれた、あの物語。




故郷の増え続けるクマ騒動をニュースで見て思い出した。




今回はそんなお話でございます。




私が生まれる前の時代、野良犬が増え保健所が解決策として、毒入りまんじゅうを撒くことになった。




昭和のある日、街は増えすぎた野良犬に溢れていた。




野良犬による人的被害や農作物被害がさらに増え続け、深刻化する前に、厳格なルールの下に個体数調整という対策の検討に踏み込むことはやむをえなかった。




保健所は問題の深刻さから、夜な夜な街を回り、毒の仕込まれた「まんじゅう」を広くばら撒いていた。




暗い夜に、それを食べた野良犬と野良猫は、次の朝には静かに息を引き取っていった。




早朝、保健所は死骸を回収し、毒まんじゅうも慎重に片付けた。




ピンポン玉ほどの大きさのその毒まんじゅうが、街に散らばっていく様子は、誰もが不安と戸惑いを感じる光景だった。
狂犬病の脅威も漂っていた。




毒まんじゅうが撒かれる日は、夕方拡声器の音とともに車がゆっくり通り抜け、回覧板が何度も廻ってくる。




子供たちは、学校の先生による注意を受け、繰り返し毒まんじゅうの危険性を教え込まれた。




犬や猫を飼う家庭も、毒まんじゅうがまかれる数日間は注意が必要だった。




野良犬や野良猫に名前をつけ、可愛がっていた子供たちは、毒まんじゅうから救うために様々な手段を講じた。




玄関横のメーターBOXの中に無理矢理詰め込まれたり……口元にガムテープを巻かれた犬もよく見かけられた。




可哀想だが致し方なかった。




また、恐ろしいことに、庭に飼われていた犬に向けて、毒まんじゅうを投げ入れる狂者も現れ、悲劇が続いた。




人間に飼われているのにも関わらず、毒まんじゅうで命を落とす動物たちの数は増え、保健所は非難の的となった。




保健所の窓ガラスは割られ、落書きがされ、人々は愛犬を失った悲しみに怒りをぶつけた。




その当時、亡骸を庭や公園に埋めたため、周辺から火の玉が見られる現象もあったが、その光景は次第に減少していった。




そして、この毒まんじゅう制度を契機に、保護団体やボランティアが相次いで結成され、愛する動物を失う苦しみを二度と味わわないよう、人々は共に努力し、新たな時代を迎えていった。




現代社会では、動物たちの最期に火葬などの儀式が行われ、その遺骨はペット専用の墓地に埋葬されることが一般的だ。




また、遺骨の一部はメモリアルペンダントに組み込まれ、愛しいペットとの絆をいつでも、いつまでも一緒に感じられる手段として人気を集めてる。




お袋は、暫く、子供を授かることが無かった。寂しさゆえか、白色の柴犬を子供のように可愛がっていた。




その愛犬の名前を「シロ」と名付け、お袋の心の支えとなっていた。




ある日、悲劇が起きた。
玄関前に繋がれていたシロは、毒まんじゅうを食べてしまったのだ。




空気は重かった。
犬は涙を流すらしい。
シロの瞳から涙がこぼれ落ちた。




お袋は優しさと悲しみを抱え、苦しみもがくシロを精一杯強く抱きしめた。




最期を迎えながら、お袋の心には静かな誓いが湧き上がった「もう子供はいらん」と、シロとの別れの瞬間にそっと口にした。




その誓いの奥には、愛おしい思い出と、シロへの深い愛情と感謝が永遠に刻まれていた。




私には兄がいた。
残念ながら産声を上げることはなかった。




後に末っ子長男として私が生まれた。
私が生まれた瞬間「ニ郎」と書いて「シロ」と名付けたかったと言っていた。
今でいうキラキラネームかはわからないが………。




今も「シロ」は遠い空の上でキラキラと輝き、見たこともない私を見守っているかもしれない。



大好きな母と一緒に。





この記事が参加している募集

ペットとの暮らし

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?