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ミス東大のグラビアが炎上する、単純だが厄介な理由

 先日、ミス東大の神谷明采さんがグラビアを発売したところ、炎上したというニュースが話題となった。「なぜグラビアを発売しただけで叩かれるのか?」という擁護の意見も多く、物議を醸している。今回は、私の経験を元に、ミス東大を叩く人間の心理を考察してみたいと思う。

理由1:自分より学歴の高い女を見ると腹が立つ

 まず最初に考えられるのはここである。男性は自分のステータス、例えば学歴・身長・年収にこだわっている人間が多い。それを根拠に人間を格付けするとか、値踏みするといったことは多くないが、それでも薄っすらとプライドの中核には残っていることがほとんどだ。

 しばしば未婚化の原因は女性の上方婚志向が原因と言われる。これは間違いではない。しかし、その裏にある男性の下方婚回避志向に関しては言及されることは少ない。女性が自分よりもステータスが高い男性との交際・結婚を望むように、男性は自分よりもステータスが高い女性との結婚を嫌がる本能がある。

 学歴は単なる職業への登竜門ではなく、それ自体が意味を持つステータスと捉えられることが多い。なぜかは分からないが、同じ職歴の人間であっても東大は東大、MARCHはMARCHで、別のステータス性があるらしい。同じ大手企業の同期であっても、MARCH卒の男性は東大卒の女性に対して引いてしまうことが多いようだ。

 従って、男性にとって自分より学歴の高い女性という存在は劣等感を感じることが多い。東大卒の美女ともなれば世の多くの男性から見て苛立たしい存在だろう。内心、自分は舐められてしまうし、相手にされないだろうと思う。だから、そうしたマイナスの感情がバッシングという形に向かうのだ。

 ただし、大きな声で「自分よりも学歴の高い女が目立っているのはムカつく」ということはできない。だからこそ、「東大なのになぜグラビアやってるんだ」等の理由を無理やりねじ込み、批判することが多い。大切なのは「感情が先、論理が後」という点であり、批判の内容それ自体の是非を論じてもほとんど意味がないということだ。

 なお、東大卒の女性なのに叩かれにくい人物もいる。例えば山口真由とか中野信子はそうだと思う。なぜならあの系統の人物は「女」として見られていないからだ。顔立ちは整っている方かもしれないが、カテゴリとしては「女」よりも「インテリ」・「変わり者」といった方が近く、女性的魅力で売っているわけではない。アンチがいたとしても、それは男女の別はあまり関係なく、林修やら堀江貴文やらと言った人物に向かう可能性は大いにある。

東大生のグラビアにはこんなものもあるよ、ということを広めていきたい。

理由2:ミスコンに出る人は承認欲求が強い

 神谷さんがどうかは分からないが、一般的にミスコンに出る人物は承認欲求が強いと思う。大学生の有名人の中でも特にその傾向が強いと思う。

 クイズ番組であれば、承認欲求型の他に「とにかくクイズが好きな熱狂的マニア」という存在がいるので、テレビに出ているクイズ関係者の全員が承認欲求が強い訳では無い。政治家とか俳優も似たところがある。ところがミスコンの場合は「本業」に相当するものが無いので、承認欲求のみを根拠にして応募してくる人間が非常に多いと思う。ミス東大になるのは容姿が良いこと以上に「ミスコンに出たがる人」であることが必要だということだ。

 人を殴る人間は殴られるリスクも上がる。人にマウントを取る人間はマウントを取られるリスクも上がる。人に攻撃的・競争的な態度を取る人間が周囲から反感を買うのは不思議ではない。強盗が警官に射殺されても世間は「ざまあみろ」としか思わないだろう。興味深いのは承認欲求も似たような性質を持つことだ。その内容が攻撃的・競争的でない場合でもこの現象が起こるのは非常に興味深い。

 例えば事業で成功して金持ちになった人物がテレビやSNSで高級外車や高級ワインを堂々と自慢したとしよう。世間の多くは口には出さないものの、腹が立つと思う。内心、「泥棒に入られてしまえ」とか「病気で死なないかな」などと考える。そして、何か落ち度があればここぞとばかりにその穴をほじくって、バッシングに走る。ところが、同じ金持ちでも、大谷翔平や藤井聡太は承認欲求めいたものが一切見えないので、バッシングは起きにくい。彼らの好感度は基本的に高いはずだ。

 そして、承認欲求の招く反感は単なる金持ち自慢に限らず、承認欲求全般につきまとうことが多い。「社会貢献を頑張っているアピール」のように社会に明らかなプラスの内容でも、場合によっては単に目立っているだけでも、バッシングを引き起こす。とある芸能人が性転換を始めたというニュースを見て嫉妬心が掻き立てられる人間は多くないだろうが、それでもバッシングが起こるのはこれが理由である。

 最近はSNSの発達により、承認欲求を解放しやすい環境になっている。従って、承認欲求が強い人間が世間から叩かれる頻度も上昇している。ミス東大の炎上も、もしかしたら承認欲求の強い人間が理由を付けられて炎上するというお決まりの展開かもしれない。

理由3:目立っている人間への劣等感を解消したい

 上記の理由と合わさっているが、目立っている人間はそれ自体が理由で叩かれやすい。自分よりも学歴が上の人間に対する反感が原因なら、ミス東大に対する反感は東大においてこそ一番少ないはずだ。これは全く事実ではないと思う。むしろ東大生の間においてこそ、一番叩かれる可能性は高い。

 東大生の間では、しばしばこのような形で人前に出る人間に対する反感があるのは間違いない。彼らはプライドも競争心も強いので、自分と同年代の東大生が「キラキラと」活躍しているのを見ると、強い劣等感を感じてしまう。従って、このマイナスの感情を解消するために、様々なはけ口を用意する。バッシングはその1つだ。ミス東大に対して何らかの批判をすることにより、自分の優位性を確認するのである。例えば「ミス東大は悪いことをしていた」(なのでもう表には出られまい)とか「ミス東大は将来どうするのか」(なので就職活動している自分の方が出世度は上だ)とか「ミス東大はプライド高くてしんどそう」(なので自分の方が幸福に生きられる)といった具合だ。

 これはもちろん東大に限らず、社会の有名人全般に通用することである。だから、有名人のスキャンダルはとにかく売れる。有名人叩きは世間の人間が抱えている劣等感のガス抜きになっており、人々は有名人を叩くことに酔って、有名人が必ずしも自分より優位な存在ではないこと、自分は有名人を評論する立場にあること、を確認するのだ。叩かれる側のみならず、叩く側も実は承認欲求の発散を求めているのである。

承認欲求は知的生命体の性欲

 現代は有名人が生きにくい時代だ。SNS上の炎上で、自殺に追い込まれた人間もいる。これらのトラブルは兎にも角にも承認欲求の問題が根底にあることが多い。そもそも、承認欲求という概念自体がSNS時代に作られたものだ。

 承認欲求は性欲に近いと思っている。性欲は適切な水準であれば人間にとって実りあるものだし、少子化時代において社会的な必要性も高い。しかし、性欲が過剰すぎたり、発散の仕方が下手だったりすると、深刻なトラブルになってしまう。承認欲求も同じだ。性欲がゾウリムシの時代から存在する生物の原始的欲求とすれば、承認欲求は人間が社会的な知的生命体であるからこそ生じる欲求だろう。承認欲求は知的生命体にとっての性欲だと思う。特に、思考能力の高い人間ほど、この問題はこじらせやすい。

 今までは承認欲求が形のつかめないものだったので、モヤモヤとした反感が蔓延していた。知的障害者の性欲がしばしば関係者にとって問題になるように、自分がメタ認知できない欲求ほど厄介な問題はない。叩く側も叩かれる側も自分が何をしたいのかわからないまま承認欲求の発散を求めており、ある種の中毒状態になっている。こうした不幸を回避するには、承認欲求の問題をメタ認知し、折り合いをつければ良い。叩かれる人間はしばしば自分の承認欲求に無自覚だ。だから被害者意識が募り、自体が悪化する。承認欲求は程々に、世間を刺激しないように、人に反感を買わないように、と気を付けよう。

 なんとなく叩きたくなる有名人がいたとしても、内容云々ではなく、承認欲求が強いだけだと考えれば割り切れる。それよりも、有名人を批判することで自分が同様の承認欲求モンスターになっていないかを自覚するべきだろう。とは言っても、承認欲求は適度に発散したいものなので、「他人に貢献する」とか、「人を笑わせる」といった、なるべく他人にも利益のある方法を心がけたほうが良い。自慢やバッシングは生産性が無さすぎる。




余談

 私は幼少期から不注意が酷く、何をやってもミスばかりだった。慌てていて、自動改札機にコインを投入し、改札を破壊したこともある。仕事が始まると、あまりにもミスが多くて、「なんで東大なのに」などと言われることが多かった。別に学歴が高いからミスが少ないなんて道理はないだろうと思うのだが。ミス東大の名にふさわしいのは私の方かもしれない。

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