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女性の地位が低い地域の共通点を見つけた

 日本の女性の地位は江戸時代に向かうにつれて下がっていったと言われる。古代は母系制社会が残っていたり、通い婚が行われていた。紫式部や清少納言のように世界的に名高い文筆家もいたし、古文には頻繁に貴族女性が登場する。中世になっても北条政子や日野富子のように独自の存在感を保った女性もまだ存在した。
 ところが江戸時代辺りに下るとそのような光景は姿を消した。女性の相続権はなくなり、嫁として夫の親族に尽くすものとされた。武家の世界では女性の存在感は皆無であり、強いジェンダロールがあてがわれていた。その極致が大奥である。たしかに有能で強い女性はいたが、隔離された女性専用の世界の内部でのみ名前を上げるようになったのである。

 同様に、世界を見回すと文明化の歴史が長い地域ほど男尊女卑の話が聞こえてくる。最も悪名高いのは農耕文明発祥の地・中東である。インドも次いで男尊女卑が強いと言われる。中国も纏足に代表されるように近代以前は男尊女卑の強い地域だった。もっとも現代中国ではそこまででもない。文化大革命で伝統文化が一層されたからである。
 一方で途上国ながらアフリカ南部や東南アジアの女性の地位はそこまで低くないし、近代以前のヨーロッパ・日本・ロシアもアラブやインドほどは低くなかったらしい。これらは比較的歴史が新しい地域である。
 時代を下るに連れて女性の地位が下がるのも類似している。中国では周の時代から少しづつ女性の地位が下がっていったらしい。古代末期の混乱で北方民族が流入し、隋唐時代に若干回復したものの、それ以降はどんどん下がっていってしまった。纏足が蔓延するのは宋の時代あたりからである。
 中国史では北方遊牧民は漢族に比べて女性の地位が高いとされる。正直部族によっても印象は異なるのだが(たとえば北魏では皇子が生まれると生母は殺されたらしい)総じて漢民族よりもマシだったらしい。モンゴル人や満州人は中国の纏足を気味悪がっていた。歴史の浅い部族の方が女性の地位が高いという点では法則通りである。

 しかし、農耕文明の歴史が長い地域になぜ男尊女卑が根付くのかは調べてもさっぱりわからない。長い時間をかけてゆっくり男系氏族制度へと変化をしていくのかもしれないし、軍事的な理由かもしれない。単なる偶然という可能性もある。
 社会学者のエマニュエル・トッドは女性の地位の低いことが特徴の外婚制共同体家族の軍事的優位性を主張し、これらの集団がユーラシアを軍事征服していったと主張する。これらの集団に征服されなかった日本やヨーロッパでは女性の地位が高いまま残ったという。これもどこまで本当かはわからない。

 ジェンダーギャップの並行比較は難しい。例えばソ連は大々的な女性解放運動が行われたため、当時の途上国では極めて女性の地位が高かった。しかしソ連の歴代の最高指導者には一人として女性はいない。一方で南アジアのインド・パキスタン・バングラデシュ・スリランカには女性元首が誕生している。だがこれらの国がソ連より女性の地位が高いと主張する人は存在しないはずだ。この手の実証はおそらく結構難しいのである。歴史の話となればなおさらだろう。今後の研究を待ちたいところである。


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