見出し画像

徹底考察!JTCはなぜ新卒にこだわるのか?

 JTCの特徴は日本型雇用慣行という名前で呼ばれることもある。JTCの三本柱は新卒一括採用・年功序列・定年制であり、これは終身雇用という性質から自然に導かれるものだ。JTCの新卒信仰は強く、新卒以外ではほぼ入ることができない企業が沢山存在する。東大卒のポスドクや元キャリア官僚といった人間であっても、新卒でなければJTCからは門前払いされることが多い。それほどまでに新卒信仰は強力なのである。

 この新卒至上主義は常に批判の対象となってきたが、まだまだ健在だ。今回はJTCがなぜ新卒にそこまで固執しているのかを考えてみたいと思う。

①新卒の方が良い人材が採れる

 これは大きな理由である。JTCという業界においては新卒で入った会社で勤め上げるのが原則とされる。特に出世して社長を目指すとなると、新卒からその会社にいることが必須となる。となると、第一線の人間は転職などしないということになる。伝統的な価値観に則ると、JTCを辞めて転職しようとしている人間は、社内で出世できなかった人間や、ワークライフバランスを考えて楽な職場に行きたい人間、さらには何らかの問題を抱えて離職した人間となる。

 一方、新卒の場合は違う。有名大学を卒業して間もない若くてやる気があってしかも優秀な人間を採用することができる。中途人材は即戦力にはなるかもしれないが、長期的には新卒の人間を育てたほうが有望だ。新卒の場合は転職市場に出てこない一流の原石を取ることができるからである。

 また、転職者は別の点でも問題になる。他のカラーが付いているという問題だ。特に体育会系カルチャーが強い場合、多様性と相性が悪いことが多い。体育会系文化にとって何よりも重要なのは素直に一から環境に順応してくれることだ。余計な知恵が付いた人間は使いにくいのだ。

②解雇できない 

 これもJTCの本質に関わる問題である。JTCは一度雇った社員を解雇することは基本的にできない。入ってしまえば一生安泰となる。もし雇用が2年とか3年の契約ならそこまで相手の属性にこだわる必要はないが、終身雇用となると、同じ採用コストを掛けるなら若いほうが良いということになる。

 また、JTCは解雇できないことを前提としているため、異分子が入り込むのを嫌う。転職者は社会を知っていて、ある意味で「雑多」な存在だ。それよりも有名大学の新卒の方が遥かに低リスクだ。

③人の出入りが少ない

 これは解雇できないというJTCの性質に密接に関わっている。JTCは入ってしまえば一生安泰とも言える。学歴で例えるならば早慶の付属校のようなものだ。しかも受験の世界には東大という早慶の上位存在がいるので一般受験をするモチベーションが高いが、社会人の世界にはJTCよりも上位の存在は少ない。となると、サラリーマンの価値観は非常に内向きになる。

 JTCは人が辞めないので、転職者を採用する必要がない。優秀な社員は行き先がないので、転職自体を考えなくなる。となると、内向きな村社会となりやすい。この場合、部外者に冷たいカルチャーが作られる。同じ条件であれば優秀な転職者は外資系やメガベンチャーの方が働きやすいだろう。JTCが「他のカラーが付いた人間」を嫌うのは、村社会がゆえに外部者の受け入れが不得意なことが大きな要因となっている。

④年功序列カルチャー

 実はこの影響が一番大きいかもしれない。JTCに独特の概念は「同期」だ、JTCは学校の延長線上のようなところがあり、先輩後輩カルチャーが非常に強い。この場合、博士課程などでオーバーエイジした人間やキャリアチェンジした人間は扱いにくい。年上の部下は誰しも嫌だろう。

 その業界でキャリアを積んだ転職者であっても、やっぱり扱いにくい。職歴と社歴が一致しなくなるからである。その業界で長いキャリアを積んできている人間であっても、会社内においては「新人」であり、立場は独特のものとなる。

 転職者は「同期」がいない。これはJTCを生きる上で結構しんどいと思う。筆者も会社の入りたての時は同期と散々遊び回ったし、何回か旅行にも行った。もちろん一緒に研修で怒鳴られたこともある。こうした連帯感は先輩後輩カルチャーと合わさってJTC社会の基本をなしている。一方で業務上の関係は同期のような仲間意識には繋がりにくい。転職者はどうしても孤立してしまうのである。干される訳では無いし、表面上は会話もするが、本当の意味でコミュニティに入っていくことはできない。それがJTCにおける転職者なのだ。

 給与面の事情もある。JTCの場合、年功序列により年次が上がるに連れて給料は上がる。これは言い換えると若手の給料はかなり低いということでもある。JTCは若手の無制限の献身によって高齢社員が得をするという構造になっている。ある意味で年金制度のような社会契約が存在する。転職者は社内において若手の下積み期間を経ていないので、経済的には「ずるい」存在となる。かといって、転職者の給料を同等の職歴の人間より下げる訳には行かない。こうした事情により、JTCは転職者の受け入れが難しい土壌があるのだ。

⑤出世競争

 JTCにおいては誰しも入社した時は社長を目指すものだ。高校球児が甲子園を目指して頑張るようなものだ。ほぼ全員が挫折して会社を去ることになるが、重要なのはそこではない。頑張れば自分も社長になれるかもしれないというナラティブこそが重要なのである。JTCは出世競争の結果がではじめる時期をなるべく遅くしている。40代後半まではなんとか出世のチャンスが残されていることが多い。会社生活のうち20年から30年は出世という希望を信じて頑張ることができるわけである。

 この効用は社員のみならず会社にとっても大きい。社員は出世を目指してやる気を持って働いてくれるからだ。会社は社員に夢を抱かせ、大量の労働力を動員できる。それは社員の幸福度にも寄与しているわけである。

 ところが、転職者は先述の理由により、JTCの出世争いにおいては極めて不利な状態にある。JTCにおいて重要なのは業界での評価ではなく、集団内での評価だ。正直、転職者が重要なポジションに就くことは難しいだろう。JTCと転職者の関係は金と職務ありきのドライなものである。新卒で大企業に入った時のようなキラキラとした輝きはそこにはない。お互いあまり期待していないのだ。

JTCに入るには、新卒に越したことはない

 こうした事情により、JTCは新卒以外で入るのが難しくなっている。新卒で入って年功序列カルチャーに順応した人間以外はどうにも居場所を見つけにくいのだ。これはJTCが人気の就職先であるという事実も関わっている。JTCに入れば莫大な社会経済上の利益があるため、その椅子は争奪戦だ。新卒という自分の市場価値が最も高い時期でなければこのような難関に合格するのは難しい。

 筆者は高校受験で中高一貫校に入っているのだが、JTCの新卒主義との共通点を見出すことは可能だ。どちらも高度に選抜された集団であり、人の出入りが少ないため、非常に内向きなのだ。部外者は露骨に邪険にされることはないが、人間関係はどこか疎遠であり、最終的に重要なポジションについているのは全てインサイダーである。アウトサイダーは馴染むのにエネルギーを吸われてしまい、大きく実績を挙げる人物が少ない。いたとしても外向きの方向に発揮したほうが有利である。

 内向きな集団は集団外で実績を挙げている人間を評価しないし、下手すると敬遠するきらいがある。こうなると、歴が長い人間はそれだけで優位に立つことになる。このような集団に部外者が入っていくのは難しい。JTCはダイバーシティに関して極めて弱く、女性の登用も長年に渡って進まなかった。

なぜこのようになったのか?

 それにしても、これらの特徴はなぜ生まれたのか。結局のところ、それは終身雇用という慣行に由来している。一度採用したら首にできず、定年まで社員の面倒を見る必要があるからである。これは偶然定着した文化という側面もある。

 日本以外の国では新卒一括採用は一般的ではない。ただし、世界のどの国でも新卒主義の業界がある。それは軍隊だ。士官学校を出て、先輩後輩カルチャーの下で年功序列社会を生きている辺り、JTCとそっくりである。これは転職市場が存在し得ないという特性が原因だ。出ていく必要がないJTCと行き先がない軍隊、良く似ているのだ。

 ただし、最近JTCの新卒主義は崩れている。原因は少子高齢化だ。若年労働力が貴重になるにつれ、どの業界も人を欲するようになった。JTCに無理してしがみつく必要がないので、転職する人が増える。こうなるとJTCも新卒にこだわっている場合ではなくなる。人の移動が多くなるので、社内カルチャーも部外者に寛容になる。優秀な人がバンバン転職することで、転職市場全体も活気付く。こうしてJTCの新卒主義は以前よりも緩和され続けているのである。

 JTCの新卒主義が緩和されるという話は1990年代にも囁かれていた。しかし、こうした変化は平成の30年に渡って起こらなかった。これは平成デフレの結果であるとともに、実は原因かもしれない。社会は変わらないという前提で動いた方が得であるという価値観が浸透し、平成30年間の日本は静かな停滞を続けていた。バブル崩壊で日本社会は守りに入り、リーマンショックでもびくともしなかった。しかし、令和になってついに動きが見られる。2020年のパンデミック、2022年のウクライナ戦争、そして少子高齢化による労働力不足によって日本のデフレ状態はついに解凍されようとしている。令和の日本は平成時代になかった変化を経験しているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?