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ブルシットワーカーの頂点としての公認会計士を考察する

 職業に貴賎なしとはいうが、筆者が最も尊敬する職業は何かと考えていた。それは公認会計士だ。筆者は会計士を本当に尊敬しているし、手の届かない高みの存在に見えている。筆者はブルシットジョブに苦しむ一市民なのだが、いろいろ経験していると、このブルシットジョブという業界の頂点に立つ専門職は公認会計士なのではないかと思うようになった。

 ブルシットジョブの分類法はいくつかあるが、専門性に応じて二つに分けてみたいと思う。一つは上司の飲み会のロジのような大企業に特有な総合職的業務、もう一つは難しい契約書のチェックなど、民間企業のビジネスにまつわる難易度の高い業務である。公認会計士が代表するのは後者の方だ。

 筆者の会社を見回しても公認会計士の資格の保持者は見つけることができる。転職が多いが、新卒で入って来たり、在職中に取った人もいる。全員もれなくかなり優秀である。これは会計に関する高度な知見を持つとか、そもそも会計士試験を突破できる人間は優秀という理由もあるのだろうが、それ以外に会計士の仕事とブルシットジョブとの本質的な関係の強さがあるのではないかと思う。東大入試が学問への資質を良く表しているように、公認会計士はブルシットジョブへの資質を表しているのではないかと感じる時がある。

 公認会計士がブルシットジョブの帝王である理由を考えてみよう。

 まず、社会に出て実感することは、国家資格は強いということだ。コンサルや金融専門職のような仕事はこれといった資格がないため、転職や独立の難易度が非常に高い。こうした非資格型専門職は明確な基準が無く、企業内部での勝手なラベリングという側面もあるため、専門性という観点では弱い。ましてや普通のJTC総合職であれば、基本的に外の世界では通用しないと考えた方が良い。東大卒で大手JTCで30年のキャリアを積んだとしても、敬われるのは会社の中だけで、一歩外の世界に出れば看護師や薬剤師にも及ばない。これらを考えると、ブルシットワーカーとしての市場価値はコンサルや金融専門職よりも会計士の方が上回ると考えて良いだろう。また、議論あるところだろうが、企業の取締役会に名前を連ねたいのであれば、総合職で会社に入るよりも会計士や弁護士になった方が早い。これらの仕事は特定の会社に地位を依存していないため、中立的な立場で参加できると考えられているからだ。

 資格試験において最難関クラスの特徴は「専業受験生がいること」だろう。この条件に該当するのは弁護士・弁理士・司法書士・会計士・不動産鑑定士・税理士・アクチュアリーなどだ。この中で最もブルシットジョブの頂点と言えるのは会計士だろう。ビジネスエリートが入社するときにまず最初に取らされるのは簿記だろうし、簿記の知識はいろいろな業務に繋がってくる。会計監査はありとあらゆる企業と名のつくものに不可欠だし、個人でビジネスをやる上でも財務の知識は重要になってくる。不動産鑑定士やアクチュアリーは特殊性が高く、税理士や弁理士は弁護士・会計士に劣後するので、頂点とは言えないだろう。

 伝統的に最も難しいとされているのは弁護士だ。社会的な認知度も弁護士の方が会計士よりも高いだろう。しかし、弁護士はブルシットジョブの帝王とは言えない要素がある。第一に弁護士は最高裁を頂点とする公的機関の一部という性質を持ち、裁判官や検察官のような公務員に進む人間がいる。最高裁判事は弁護士からも選ばれており、法曹は必ずしも民間のビジネスエリートに留まる存在ではない。第二に弁護士は離婚などの一般民事事件や刑事事件を扱うこともあり、これまた丸の内で働いているようなビジネスエリートとは様相を異にする。第三に冤罪被害者への弁護など、弁護士には社会活動的な側面を持つ仕事がある。このような社会派弁護士は弁護士の業界の中では少数派かもしれないが、ブルシットワーカーにこのような存在は見たことがない。

 というわけで、ブルシットワーカーの帝王は公認会計士じゃないかと思う訳である。何事もトップランカーに注目することが重要だ。日本の大学受験が東大中心で動いているように、公認会計士を考えればブルシットジョブの本質が見えてくるだろう。

 三大国家資格のうち、会計士が弁護士や医師と全く違う点がある。それは「会計士をテーマにしたフィクション作品が皆無であること」だ。これこそがブルシットジョブの本質を表しているかもしれない。ブルシットジョブは自分の仕事に関する分かりやすい社会的意義や人間ドラマを想定できないので、物語にできないのだ。同様に、子供の将来の夢といった項目にも公認会計士は上がりにくい。このような性質は金融専門職やコンサルにも該当する。

 ではブルシットジョブのナラティブとは何かという問題になる。大きく分けて二つある。一つは金だ。もう一つは競争である。監査法人・大手法律事務所・金融専門職・コンサルといった仕事に携わる人間の自慢や自己アピールをよく見ていると、この二つのどちらかに言及していることが分かる。「外資金融」などの単語で検索してみると、大体は「30歳で2000万」とか「激務労働に耐えてパートナーに昇格し・・・」といった文章が並ぶ。JTC文系総合職であればここまでの拝金主義はないだろうが、その代わりに社内の出世と人間関係の話が大半を占める。

 これをほかの職種とは様相を異にする。例えば学者に仕事の話を聞けば長々と専門分野に関する解説を始めるだろう。医師の中にはもちろん拝金主義的な人間も多いし、大学病院の激しい出世競争で消耗している人間も多いだろうが、それでも最新の医学に興味を持ったり、患者さんに寄り添うことを第一に考えている人もいるはずだ。決して社会的威信の高いとは言えない塾講師であっても、自分の担当科目について語ったり、生徒指導について色々と思ったりとするだろう。少なくとも、金と競争以外の話題が出てくるという点でブルシットワーカーとは異なっている。

 また、学歴に注目することもできる。公認会計士は高卒でも合格できるし、その点では門戸が広い資格である。合格者の平均学歴は大体早慶からMarch辺りだ。早慶と言っても慶応経済のような上位学部ではなく、商学部である。東大卒もいるが、少数派だ。これは決して会計士のレベルの低さを表す訳ではない。東大卒にとっても会計士は難関だし、河野玄斗氏曰く東大理一と同じくらいの難易度らしい。

 これが意味するのは何か。大体学歴とブルシットジョブの能力の相関がこの辺りであることを示すのではないか。Marchよりも早慶の方が合格しやすいが、早慶以上はあまり関係がない。少なくとも東京一工に入るような能力とは関連性が低そうだ。一方で日東駒専以下の大学の出身者であっても驚くほど優秀な人物はいる。これまた公認会計士と同じである。

 また、公認会計士の特徴を考えると、それが高校までの勉強に登場しない、「大人の勉強」であることが分かる。多くの人間は大学教育の段階でも触れることがない。筆者が幼少期より慣れ親しんだ、宇宙の図鑑とか文学的に評価の高い作品とか政治経済の解説書といったものは、学校教育との親和性が高かったとしても、大人の世界で求められる頭の使い方とは大きく異なっていると感じる次第である。筆者の周囲を見回しても、東大卒の優位はブルシットジョブの才能ではなく、知識教養とか理系の素養の方に表れているように思える。オミクロン株が流行した時、周囲でオミクロンというギリシャ文字を知っていたのは東大卒ばかりだった。しかし、これは実務能力の才能とは全く関係がなさそうだった。

 筆者の周囲を見ていると、学力上位0.1%に入る天才の中に公認会計士の道に進んだ人物を知らない。多くは医学部か理工系に進むし、文系に進んだ場合は大半が東大文一だ。文一の優秀な同級生を考えると、弁護士はいても会計士は見たことがない。筆者は科学五輪に出場したことがあるのだが、そこで見た天才たちと会計士はあまり縁がなさそうだ。公認会計士という仕事は学術的な興味とは全く違う分野なのではないかと思うのである。彼らの内、文系に進学した人間はほぼ全員が官僚になっている。

 こうなると、学術的な能力に長けた人物が実社会であまりぱっとしない原因もわかる。しばしば仕事に頭は関係ないという言説を見るが、筆者はあまり賛同できない。ブルシットジョブには才能があるし、それらに天才的に長けた人物は確実に存在する。それが単に高校や大学で問われる学術的な才能と著しく乖離しているのだ。理学部や文学部で博士号を持っているような人物が公認会計士の試験に合格したという話は聞いたことがない。

 何かの業界に入るときはそのトップ集団を念頭に置くことが大切だ。文系のビジネスエリートとして念頭に置かれるべきは会計士だろう。会計士の仕事や生き方が肌に合うと思えばブルシットワーカーへの適性は高い。筆者の知人でもブルシットジョブのセンスが異常に鋭敏という人間はいる。会社の仕事が簡単すぎてつまらないので、公認会計士の予備校に通うらしい。会計士の仕事とビジネスマンの能力の相関は極めて高いのではないかと思うのである。医師の知り合いには一般企業で勤まらなそうな人間を見たことがあるが、会計士は本当に見たことがない。仮に性格面で問題があったとしても、実務能力が低いというケースは見たことがない。逆にポスドクや塾講師のような人物を考えると、公認会計士の試験の才能が高いとは言えないのではないかと思うのである。

 しばしば英文学や社会学に興味を持って就職の段階で後悔する人間が多いのだが、これは文系エリートの本質が公認会計士であることに気が付いていないからではないか。文系の人間が社会で評価される頭の良さとは、会計士の才能であり、一般に思われている文系学問ではない。東大文系の知人を見ても教養や学術への興味が深い人間ほど、社会に出てから苦しんでいることが多く、これは学校教育と社会のギャップが原因なのだろう。

 

 

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