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「労働のトリレンマ」という社会人の宿命を乗り越える方法

 私の学生時代の友人が考案した概念がある。それは「労働のトリレンマ」というものだ。簡潔に言うと、給料・やりがい・労働環境が全て手に入る職業は存在しない、というものである。

 確かに、この3つはトレードオフの関係にある。これは労働市場というものが持つ特性のせいだ。給料が高ければ労働環境が劣悪でも人が集まるし、やりがいが高ければ給料が安くても人が集まるし、労働環境が良ければやりがいがゼロでも人が集まるだろう。

 具体例を挙げていこう。給料が高い職業と言えば何と言っても金融機関だ。しかし、金融の良くないところはやりがいがゼロのところだ。ブルシットジョブである。金融機関の人間から仕事のやりがいの話を聞いたことはないし、そもそも気分が悪くなるので仕事の話自体をしないことが多い。労働環境に関してはケースバイケースだ。最近の日系金融は労働環境がかなり良くなっているので、ブラックとはあまり思わない。外銀はブラック極まりないが、その代わりに給料は遥かに高い。基本的に給料が高い職業は金融・保険・コンサルといったブルシット産業である。

 次にやりがいの多い職業を見ていこう。代表格は研究者やアニメーターといった趣味要素を持つ職業だろう。これらの業界は子供の頃から憧れる人が多い。ところがこの手の職業は食っていくのが難しい。給料は非常に安く、しばしば労働環境はブラック極まりない。やりがい系の職業の人間は常にブルシット会社員と自分を比較して、優越感を感じたり、劣等感を感じたりしている。最近は官僚もやりがい搾取の実態が表に出てきており、人気が無くなっている。

 最後は労働環境だ。ホワイト度の高い職業の代表格は大学職員だろう。こうした職業は一定の人気がある。それに大学職員は比較的生計を立てやすい仕事でもある。ただ、大学職員は教授のやりたがらないブルシットジョブをやる仕事なので、当然やりがいは少ない。

 このように、給料・やりがい・労働環境の3つを併存させている仕事は非常に少ない。このトリレンマに頭を悩ませている人間は多いだろう。本当は学者になりたかったが、食っていく自信がなく、大企業でつまらない仕事を続けているというケース。就職の切符を捨ててお笑い芸人になったが、アルバイトで食いつないでいるというケース。他にも枚挙に暇がない。

 この状況を打破する方法は無いだろうか。実はある。それは参入障壁だ。一般労働市場の力によって労働のトリレンマから逃れられないのであれば、一般労働市場から何らかの手段で抜けてしまえば良い。

 典型例は医師・弁護士・公認会計士の三大国家資格を取得することだ。こうなると、同業者としか競争しなくて良くなる。この手の資格業は所得者が食っていけるために政治的にカルテルが作られているので、明らかに待遇が良い。難関資格業の給料・やりがい・労働環境の総和は一般労働者を大きく上回っているだろう。年収1000万のサラリーマンと年収1000万の医者では後者の方がやりがいがあることが多い。なぜなら年収1000万のサラリーマンはどこにも行けないが、年収1000万の医者は他に稼げる選択肢がありながら、あえて大学病院等に残った人物だからである。やりがいと労働環境を捨てるなら、圧倒的に医者の方が給料は高い。要するに、資格業と非資格業は露骨に待遇が違うのだが、その差が給料だけに反映されている訳ではないので、見えにくい。

 こうした資格で保護されていない一般人はどうやって生きるべきだろうか。会社員には第二の参入障壁がある。それは年齢だ。資格業と違い、一般労働市場では年齢が最重要と言っても過言ではない。新卒就職市場は一般労働市場とはやや差別化されているので、就業者はより良い条件で仕事に就くことができる。ホワイト高給型の保守的な日本企業は新卒至上主義であることが多く、やはり一般就職市場から若干切り離されている。JTCに入ってしまえば解雇規制と労働組合のお陰で労働市場から抜けられるので、資格業には劣るが、安泰である。

 新卒カードを失ってしまうと、かなり悲惨だ。30代・40代と年齢に応じて付ける職業のランクは下がっていくと考えて良い。給料・やりがい・労働環境の総和は新卒就職市場よりも低くなるので、低賃金ブラック企業でつまらない仕事をさせられるリスクが出てくる。いわゆるワープアである。転職する人間もせいぜい30代までであり、それ以降に一般労働市場に出ていくのは自殺行為である。

 以前の記事でも述べたが、金・やりがい・労働環境を高い水準で手に入れるには、一般労働市場の魔の手をいかに逃れるかというのが重要になって来る。一般労働市場はマルクスの言う「失業者予備軍」そのものであり、社会人のQOLを引き下げる魔物である。会社員に自由がないのは一般労働市場が下にワニのように待ち構えているからだ。医者が基礎研究に進まないのは強力な理由がある。基礎研究は他の学部の出身者でも可能なので、待遇が引き下げられてしまう。低賃金でブラックになってしまうのである。一般労働市場をせき止められないことがQOLにいかに打撃を与えるかがよく分かる。

 最後に、起業するという方法もある。これが究極的には一番実入りが良い。起業家は市場で競争しているかもしれないが、あらゆる労働市場から完全に切り離されている。なにせ資本家である。会社が儲かれば儲かった分だけ懐に入るし、面倒な仕事を人を雇ってやらせることもできる。余裕があれば好きな慈善事業に精を出すこともできるだろう。

 一般労働市場において、労働者の価値は年齢に伴って下がっていく。人間の体力は20代がピークだからだ。ところが、資格業や大企業は高齢の方が給料が高いことも多い。起業家は経営状況にもよるが、高齢でも君臨している人は多い。これは市場原理から切り離されているからこそ、可能なことだ。資本主義の原則には外れるが、職業的成功の秘訣はいかに労働市場から逃げるかであり、しかも逃げている人間の方が社会的に尊敬されるという逆転現象が起きている。

 40代以降の労働者は一般労働市場に出ると非常に危険なので、正社員や資格業のような参入障壁の世界に「立て籠もり」状態になる。彼らの閉塞感の原因はここだろう。しかし、実際の社会はこの年代の人間に率いられているという奇妙な現実が起きている。市場原理の美名とは裏腹に、一般労働市場は社会人の幸福を奪うワニのような存在だ。そこには無数の青葉真司や山上徹也がうごめいている。若いうちにいかに利権を手に入れるかで人生は決まってくるのである。


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