学校間序列の生態学的考察
以前の記事で筆者が学歴考察を行う上で考え出した法則、偏差値キルヒホッフの法則と学力対数の法則について論じた。今回も似たような趣旨の記事である。
筆者が今回提唱したいのは「学歴ニッチの法則」と呼ぶべきものだ。趣旨は「同じような生態学的地位を持つ学校ほど厳格に序列化される」というものである。ここでいう生態学的地位とは所在地・学費・学部系統などを指す。要するに、似たような種類の学校同士ほど厳格に序列化されてしまうのである。
生態学的地位
今でこそ「ニッチ」といえばマーケティング用語となっているが、元々は生物学の「生態学的地位」という概念のことを指す。生息地が同じとか獲物が同じとか、生活時間が同じとか、生態系における「居場所」「ポジション」のようなものである。例えば同じ空を飛ぶ動物であれば翼竜と鳥は似たようなニッチであるということが言える。オーストラリア大陸に住んでいたフクロオオカミは犬とニッチが被っていたため、あっという間に絶滅してしまった。
ニッチに関する法則として競合排除の法則という経験則が存在する。同じニッチに2つの種が存在することは出来ず、必ずどちらかがどちらかを圧倒してしまうという法則である。先程のフクロオオカミの絶滅も競合排除の一例だ。全くキャラが被ってしまえば、どちらか片方は差別化出来ずに絶滅してしまうのだ。
経済で言うと、アマゾンやマイクロソフトが一切の競合を許していないのも同様かもしれない。新幹線といったインフラにも言える。これらは経済学で言うところの独占的競争というやつである。競争はあったとしても、新幹線の競合は飛行機や高速道路であり、同じ経済的ニッチの鉄道路線ではないのである。
これらの競争においては個体数が増加することを前提としていた。学習塾であれば優れたカリキュラムの塾はどんどん校舎を増やしていくだろう。ところが、学校は学習塾と違って定員を増やせないため、全く性質が変わってくる。学校の場合は競合排除の法則が「序列化」という形で現れるのである。ある意味で価格弾力性の極限とも言える。学校の偏差値とはある種の市場における価格に近い性質を持っている。
生物において現れる競合排除の法則が、学校の場合は序列化として現れる。ニッチが被ると現象が生じるのは両者共に同じだ。学校の場合は似たような地域や学部系統、私立か国立かという種別が「ニッチ」の要件となる。例えばAとBという2つの学校があったとして、Aの方が偏差値が高かったとする。AとBの所在地が違えば「Aにも行けるけどあえて近場のB」という人もいるだろう。ところがAとBが隣にある場合はAを取りやめてあえてBに行くメリットはなくなってしまう。結果としてAに合格できる人はみなAに進学してしまい、Bに進むのはAに偏差値的に届かなかった人となる。「上位互換・下位互換」となってしまうのだ。
偏差値最高峰の三つ巴
どこの大学に入るのが難しいかという疑問は常に議論の対象になっているが、最上位の大学学部間の難易度比較はパターンが決まっている。それは文系・理系・医系である。ここでいう理系とは医学部を除くものとする。
日本最難関は東大理三、その次は京大医学部というのは決まっている。議論の対象となるのはは阪大医学部〜千葉大医学部辺りの医学部と東大理一・理二、及び東大文系である。この文系・理系・医系の三つ巴の対立は時代によっても絶妙に変化する。例えば現在は東大理一の偏差値が東大文一や地方旧帝医学部を上回っている。しかし、2000年代は逆だったようだ。ドラゴン桜では「理一が一番簡単」とまで言われていた。これに慶応医学部を加えると更に議論が難しくなる。
一方、興味深いことに文系・理系・医系内部の序列は遥かに入れ替わりにくい。例えば法学部凋落が明らかとなった現在であっても、東大文一・文二・文三の難易度序列は入れ替わっていない。東大理一と理二も同様だ。東大文一や千葉大医学部が東大理一を抜くことはあっても、東大理二が東大理一を抜く可能性は低いのである。
都立高の没落と私立御三家の勃興
東大合格者ランキングの歴史を追いかけている人間なら誰しも知っているのが都立日比谷高校の没落と、それと入れ替わるような開成高校の躍進だ。これほど劇的な学校の入れ替わりは珍しいだろう。
1960年代まで東大合格者ランキングの上位は都立進学校が占めていた。頂点に君臨するのは日比谷高校で、その次に来るのが西高校、その次は戸山高校である。ところが1970年以降、学校群制度の世代が大学受験を始めると、変わって開成・麻布・武蔵の私立御三家が上位に君臨するようになる。これ以降、現在に至るまで開成高校は頂点に君臨し続けている。
ここで興味深いのは、都立高の没落から変わって浮上した私立進学校が戦前からそこそこの地位に就いていたことである。私立のトップスリーは戦前から開成・麻布・武蔵の三校だった。都立高と私立校の序列は入れ替わったかもしれないが、成り上がった私立校は私立内部の序列で相対的に上位だった学校であり、私立高校内部の序列は変化しなかったのである。
2010年代になると都立進学校が復活するが、そのメンツは驚くほど1960年代と似通っていた。都立高で一番手は日比谷高校、二番手は西高校だった。戸山高校は四番手である。三番手には国立高校が入ってくるが、この学校は多摩地域にあり、通学圏がそこまで被っていなかったのが要因である。
序列化が強固な例
これらの例を見ても分かるように、学校の属性が似通っているほど序列化は強固となる。あえて序列が下の学校に行く理由が無くなってしまうからだ。
例えば序列化が強固と思われるのは京大と阪大である。東大に行けるけどあえて京大という人は存在するが、これは両者の立地が遠く離れているからだ。一方、京大と阪大は通学圏が被っているので、京大にも行ける生徒があえて阪大に進学するメリットは、東大と京大の比較に比べて少なくなってしまう。同様に神戸大が阪大に勝つのも難しくなってしまうだろう。
同様に関西の進学校である灘と甲陽学院も序列化が強固である。灘高校は1950年代に公立進学校が没落すると同時に凄まじい勢いでのし上がったが、それと軌を一にするように甲陽学院の偏差値も上昇した。両者の絶対的地位は上昇したが、序列は変わっていない。甲陽学院にとって灘は永遠のライバルだ。両校の受験日は同じなので、基本的に灘を受ける勇気がなかった者が甲陽学院に進学している。ここまで厳格に序列化されている例は珍しい。
一方、なぜか序列化を免れている例もある。例えば早慶やMARCHの内部はそこまで大きな差がない。世間で同列の大学とブランディングされているからだろうか。しかし、早慶とMARCHの間には厳格な序列があり、今後逆転される可能性も皆無と思われる。早慶を蹴ってあえて国立に行く生徒はいても、早慶を蹴ってあえてMARCHに行く生徒はいないからだ。早慶やMARCHのような「学校群」は内部の序列化を進行させない効果があるのかもしれない。
渋幕と県千葉のミラクル
さて、この偏差値ニッチの法則がうまい具合に作用し、鮮やかな逆転劇に成功した学校がある。それは渋幕と県千葉である。本来だったら渋幕が県千葉を逆転するなど考えられないことだったが、偶然に助けられて渋幕は県千葉の完全上位互換となっている。
渋幕は新興の進学校で、そのままでは千葉県トップになるのは難しかった。渋幕の躍進を助けたのは中高一貫化である。お陰で渋幕は中学受験という県千葉とニッチが被らない場所から生徒を取ることができ、一気に進学実績を上げていった。
渋幕の進学実績が上がると、以前の記事で挙げた「偏差値キルヒホッフの法則」により、高校受験の偏差値も県千葉を上回るようになった。この段階で渋幕は県千葉よりも格上の進学校とみなされるようになった。ここで県千葉は焦って中高一貫化を行ったのが、これがいけなかった。県千葉はこれによって渋幕の完全な下位互換になってしまったからだ。後からニッチを移動した結果、逆転が起きてしまうという珍しい例である。
関東の公立進学校を見ていると、偏差値ニッチの法則が色濃く出ている。日比谷高校は共学かつ高校単独校なので、開成や筑駒とニッチが被らず、躍進に成功した。横浜翠嵐も同様に差別化に成功している。翠嵐の場合は湘南の立地が遠すぎるのも幸いしている。浦和高校は高校単独校ではあるが、男子校であるため、開成との差別化が日比谷ほど成功していない。県千葉は最悪で、渋幕と同じニッチにあるため、後塵を拝している。
その他の進学校
偏差値ニッチの法則を考えれば、全てではないものの、多くの進学校の栄枯盛衰を分析することができる。
急速な没落をした有名進学校として有名なのは学芸大附属である。この学校はシステムが特殊であり、他の有名進学校と被っていなかった。学芸大附属の急速な没落はこうした事情が影響していると思われる。実のところ、都内国立御三家(筑附・筑駒・学大附)の挙動はバラバラだが、これは三校共にシステムが大きく違っていて、ニッチが被っていないことが原因だろう。筑駒の場合はむしろ開成や麻布の方がニッチが被るのではないかと思われる。
聖光学院の最近の躍進は凄まじく、栄光学園とは逆転したと思われるが、これも栄光学園の立地が影響しているのではないかと思われる。奇妙なことに、翠嵐と湘南が逆転したのと軌を一にしている。どうにも、この二校はそこまでニッチが被っていないのかもしれない。栄光や湘南の生徒が聖光や翠嵐の下位互換とは思っていなそうだからだ。ちなみに神奈川県の公立進学校の序列が混乱し続けた最大の要因は学区制なのだが、これもまたニッチを強制的に分断して序列化を崩そうとする試みである。
大学の強固なヒエラルキー
高校と比べ、大学のヒエラルキーは非常に強固であり、100年以上変わっていない。高校の場合は進学実績という指標があるが、大学の場合は客観的な指標が不十分だからだ。結果として、人気だから人気という状態になる。大学の格付けはいつまで経っても一番上に東大があり、その次に京大があり、早慶があり、MARCHがあり・・・といった感じなのだ。
これは高校と違って大学はニッチ化が難しくなっているという事情もあるだろう。大学の場合は一人暮らしをする人が多いため、地理的なニッチ化が難しい。その上日本の就活ではどこの大学を出たかが重視されるため、なおさら序列化を崩すのは困難である。大学の偏差値の上下動は文系・理系・医系の間と首都圏・地方の間で若干の上下動があるに過ぎず、極めて安定した挙動を見せている。
その点、最近偏差値が激変しているのは女子大かもしれない。時代の変化で女子大が時代遅れになっているからだ。しかし、この際も女子大内部の序列は変化しておらず、女子大というニッチそのものが地盤沈下しているのである。
まとめ
偏差値ニッチの法則はあくまで傾向であるため、全ての挙動を説明できるわけではない。早慶の格付けが変わらない理由など、説明できない動きは存在する。それでも「ニッチが近い学校ほど逆転するのが難しい」という傾向は明白である。ニッチが極めて近い学校、例えば灘と甲陽学院のようなケースで逆転を起こすのは難しいだろう。同様に逆転が難しい組み合わせとして開成と海城とか、桜蔭とJGがあるだろう。序列化をかき乱す要素が存在しないため、序列がそのまま固定化されるからだ。
高校よりも大学は更に固定化の動きが激しい。地理的なニッチ差は減少するし、学部系統の差も医学部のような特殊な学部を除けばニッチ化がそこまでされているとは言えない。特に文系はどこに行ってもほとんど進路が変わらないため、序列化は極めて厳格なのである。
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