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ヨーロッパ人と外来生物、似ている説〜

 地政学考察の範疇なのか分からないが、筆者は世界文明の発展を俯瞰的に見るのが好きである。グローバル化が進展した現在であっても国によって文明の発展レベルは様々であり、世界には巨大な格差が存在する。この格差は非常に強固であり、何世紀も大綱は変わっていない。

ユーラシアかそれ以外か

 先進国と途上国の格差というと、通常はヨーロッパと中東の格差とか、日本と中国の格差といった箇所がイメージされるだろう。確かにユーラシアの文明間の格差は大きい。これらは18世紀の終わりに産業革命が発生してから表面化したものである。

 しかし、世界にはもっと大きく深刻な格差が存在する。それはユーラシア文明圏と非ユーラシア文明圏の格差である。

 世界の貧困地域の中でも際立った後進性を見せているのがサハラ砂漠以南のアフリカ諸国である。一人当たりGDPや人間開発指数といった観点でもアフリカは常にビリ集団である。

 他に非ユーラシア文明圏と言えば南北アメリカ大陸が挙げられる。これらの地域は近世の初期にヨーロッパ人によって破壊し尽くされてしまった。他のユーラシアの文明圏を制服するのと比べ、あまりにも難易度が低かったため、正規軍すら派遣されなかったのである。コルテスやピサロといったコンキスタドールは海賊の延長のような人々であり、たった数百人の荒くれ者の力で大帝国は制服されてしまったのだ。

 他に非ユーラシア文明圏が存在したのはオセアニアである。オーストラリアのアボリジニは文明らしきものが全く見られなかった。タスマニアに至っては石器時代の延長である。ニューギニア島にもあまりユーラシアの文明は伝わらなかったので、この地域は経済的に立ち遅れている。パプアニューギニアは最貧国であり、世界でも有数の治安の悪さで悪名高い。

 格差はあるが、ユーラシア大陸の国家はそれなりに文明を築いてはいた。ヨーロッパはもちろん、中国・インド・イスラム世界はそれなりに強力な文化を持っており、比較的立ち遅れた内陸部であってもユーラシアの文明を脅かすような強大な遊牧帝国が存在した。非ユーラシア文明圏はこうした基盤がなく、あまりにも弱体だった。これはヨーロッパ人の征服の過程を見ても明らかである。大航海時代のヨーロッパ人は簡単に非ユーラシア文明圏を征服したが、アジアの文明には手が出せなかった。近代になってようやく進出したが、それでも完全に支配できない地域は多かった。少なくとも、ヨーロッパ人の大規模な入植が行われた地域はほとんど存在しなかった。

 非ユーラシア文明圏を見ていると、ヨーロッパ人の入植が行われた地域と、行われなかった地域がある。ヨーロッパ人によって先住民が駆逐された北米とオーストラリアはヨーロッパと同様の先進国となっている。ヨーロッパからの入植が行われたが現地人が過半数を占めるのがラテンアメリカと南部アフリカで、この地域は中程度の所得水準と巨大な国内格差が顕著である。ヨーロッパ人による入植が行われなかった中部アフリカとパプアニューギニアは世界の中でも最貧地域となっている。形態は違えど、非ユーラシア文明圏は世界の中でも最もうだつの上がらない地域と言えるだろう。北米では居留地に追いやられ、南米では貧困層として固定され、アフリカでは貧困国で絶望的な暮らしをしているわけである。

 このユーラシアと非ユーラシアの圧倒的な格差の原因は何か。この点に関してはジャレド・ダイアモンドが銃・病原菌・鉄の中で論じている通りである。だが、この話は何回もしているので、違った方面から眺めてみよう。

生態系との類似点

 生態学といっても大したレベルではないが、人間をある種の動物として眺めてみた場合はどうなるだろうか。外来生物を調べていると判るように、危険な外来種はユーラシア大陸の由来であることが多い。そうでなくても北米大陸の原産だ。ユーラシア大陸から持ち込まれた外来種が孤島の希少種を食い尽くすといった現象はよくある話だが、その逆はほぼ起こらない。孤島に存在する希少種が世界中に広まって脅威を与えるというストーリーはパニック映画のようだが、実際はまずありえないのである。

 その理由は単純にユーラシア大陸が「広い」という理由による。ユーラシア大陸は広いので、色々な種類の動物が競合している。生態系は勝者総取り的なところがあるので、フィールドの規模が広いほど、競争は激しくなる。規模の経済が最も強力に働くとも言えるだろう。

 一方、島のようなところでは競争はどうしても緩くなる。島の法則といって、ウサギより大きな動物は島に住むと小型化すると言われる。競争が緩いため、わざわざ大型化する必要が無いからだ。ニュージーランドにはタカヘという飛べない鳥が住んでいたが、このような存在は競争の激しいユーラシア大陸では全く生き残れないだろう。オーストラリアやマダガスカルのような地域でも多くの固有種が見られるが、これらの多くもユーラシア大陸の競争から隔離されたからこそ存在できるのである。ユーラシアにおいて有袋類やらアイアイやらは既に駆逐されている。

 人間の文明も実は同様のことが言える。ユーラシアには多種多様な民族が住んでおり、常に様々なアイデアを交換している。人間の競争は必ずしも動物のような生存競争も存在するが、それだけではない。人間の交換する技術やノウハウはあたかも動物の生存競争のように進化する。企業の生存競争もちょっと似ている。これは人間の知性が様々なアイデアを取り入れ、優れたものだけを残すからである。「ミーム」という概念はもともとはこうした「文化的遺伝子」を指す言葉だった。ユーラシアに住む人々は切磋琢磨し、強大な文明を構築していった。

 もちろん、競合だったのは文明だけではない。ジャレド・ダイアモンドによれば、感染症の進化も重要だったという。ユーラシア大陸は様々な民族が住んでいるので、当然感染症にさらされるリスクも大きい。天然痘をはじめ、多くの感染症がユーラシア大陸では東西に撒き散らされ、人類の抵抗力も進化していった。隔離されていた他の大陸の民族はユーラシア大陸の強大な感染症に太刀打ちすることはできなくなった。

 こうした格差が数千年に渡って積み上がることで、ユーラシアと非ユーラシアの文明は大きく差が開くことになった。16世紀のスペイン人の征服者は大した技術は無かったし、そもそも正規軍ですら無かったが、それでもあっという間にインカとアステカを征服することができた。ユーラシアの勢力にとって赤子の手をひねるようなものだった。それほど格差があったのである。

 島とは行っても日本やイギリスの場合はユーラシアに含むことができる。なぜなら、これらの文化圏はユーラシアと定期的に接触しており、ユーラシアの文明と感染症に合わせて進化していったからだ。日英の優れた文明を考えても、島であることはハンデではないことが判る。あくまでユーラシア大陸の競争から隔絶されることがハンデなのである。同様に世界の一体化が進んでからはユーラシア以外の大陸に位置することはハンデではなくなった。米国やオーストラリアの繁栄を見れば明らかだろう。それでも数千年に渡るユーラシアと非ユーラシアの間に開いた格差はあまりに大きく、数百年というタームでは到底埋まりそうにないのである。

外来種としてのヨーロッパ人

 これらの生物地理区的な分類は近代以前のものである。近代になると当然構図は大きく変わってしまう。ヨーロッパ人によって世界の一体化が進み、大陸同士の交流は盛んになった。北米や南米は日本やイギリスと同じような立ち位置になったということだ。一方、気候上の障害は長らく残っている。

 非ユーラシア文明圏のうち、温帯の農耕地帯は全てヨーロッパ人によって入植が行われた。ヨーロッパ人にとって非ユーラシア文明圏を征服することは赤子の手をひねるようなものであり、ほとんど抵抗らしいものに合わなかった。まるで外来生物が在来種を駆逐するかのようである。

 近代においてヨーロッパ人による大規模な入植が行われた地域は6地域である。北米・南米・オーストラリア・南部アフリカ・アルジェリア・イスラエルだ。このうち、北米とオーストラリアではヨーロッパ人が先住民を圧倒している。そのため両地域は完全な先進国として繁栄を謳歌している。南米と南部アフリカはヨーロッパ人の入植者が先住民を圧倒できなかったため、世界有数の格差社会が構築された。ヨーロッパ人はヨーロッパの暮らしをし、先住民は最貧国の暮らしをしているということだ。ただし、南米と南部アフリカの先住民は入植が進まなかった他の非ユーラシア地域の住民と比べると豊かである。アルジェリアでは入植者が戦争の結果追放されてしまった。これはアルジェリアがユーラシア文明圏だったことが原因だろう。ユーラシアではヨーロッパ人という外来種は在来種を圧倒できなかったのだ。ヨーロッパ人によって最後に入植が行われた地域はイスラエルである。イスラエルは現在も入植者と先住民の間で血みどろの抗争が行われており、安全保障上の厳しさは南アフリカの比ではない。アフリカの黒人部族やインカ・アステカの両帝国と比べ、アラブ系ムスリムは遥かに強敵だったのである。


大陸の形状

 それにしてもユーラシア大陸は圧倒的に大きい。古代文明は中東で興ったが、すぐさま人口密集地帯の中国・インド・ヨーロッパへと伝わった。いずれも広大な農耕可能な土地を持ち、大人口を養う土台を持っている。ユーラシアに近接する日本列島・ブリテン島・ジャワ島といった地域もまた農耕が可能であり、大人口を養うことができた。これらのユーラシアの農耕地帯は相互に交流し、様々なアイデアを交換することができた。シルクロードによる交流は良く知られているだろう。ユーラシア大陸は東西に広いため、この点でも交流は容易だった。アラブ人がスペインまで到達したり、ロシア人が極東まで進出したのは気候が似ていたからこそだ。

 一方、他の大陸はそうもいかなかった。北米は大人口を養う素地がありながら、他の地域と交流が無かったため、農耕文明がほとんど育たなかった。南米の平野地帯も同様である。メキシコとペルーの高山地帯には文明が育っており、現在ではアステカやインカといった名前で知られている。しかし、彼らにしても相互の交流は無かったとされる。南北方向の交流は気候の問題で難しかったのだ。中米の密林地帯は一応繋がっているが、現在ですら交通の難所でシルクロードに変わりうる存在にはならなかった。

 オーストラリアの場合もユーラシアとの交流は皆無だった。ユーラシアの文明との交流はジャワ島の辺りまでは入ってきたのだが、そこから先へは思うように伝わらなかったのである。これは海によるものと気候の違いによるものだろう。オーストラリア大陸の農耕地帯は南東部であり、ユーラシアからここへ到達するのはまず不可能である。オセアニアとユーラシアの境界はどこかという問題は難しいが、バリ島とニューギニア島の間のどこかである。これは生物地理区の境界とも一致する。

 残るはアフリカである。基本的に北アフリカはユーラシアの一部という扱いを受けることが多い。エジプトを始め、北アフリカは古来からユーラシアとの関わりが深く、文明が花開いてきた。境界となるのはサハラ砂漠である。サハラ砂漠以南のアフリカは北アフリカのような文明地帯が花開くことはなく、原始的な部族社会が長い間続いていた。ただし、アフリカの場合はやはり気候の問題でヨーロッパ人による入植は進まなかった。

 これらを考えると、地域の相互交流を妨げる要素は海と気候であることが判るだろう。これは生態系の分ける障害と驚くほど類似しているのだ。

生物地理区との類似性

 生態学には生物地理区という概念がある。大陸ごとの大まかな生物種の違いに注目し、分類したものである。その領域を見てみよう。

 なんと、これまで繰り返した議論と面白い具合に似ていないだろうか。アフリカ大陸はサハラ砂漠以南と以北で分かれており、北アフリカはユーラシアの側である。南北アメリカ大陸の境界はやや変な感じになっているが、北と南が別という点でやはり興味深い。オセアニアとユーラシアの境界もバリ島とニューギニア島の間を通っている。重要な相違点として、ユーラシアが旧北区と東洋区に分かれているところくらいだろうか。 アフリカの中でマダガスカルは独自の生態系を築いていることで知られるが、実は人種的にもマダガスカルはアジア系であり、アフリカの中では特異である。

 これらを踏まえると、生物地理区を基に人類の文明を論じることができる。ユーラシア大陸の中でもインドと東南アジアはやや文明が遅れた状態にあった。世界史の資料集を眺めてみれば容易に分かるだろう。明らかにインドと東南アジアやヨーロッパや中国ほどは高度な文化を発達させていない。近代においてはヨーロッパ人に簡単に植民地化されてしまった(それでも非ユーラシア地域とは比較にならないが)。その理由を考えてみると、生物地理区が思い当たる。インドと東南アジアは気候的な理由で北の方面との交流が難しく、やや遅れた状態になってしまったのではないかというものである。

 同じくアラビア半島も気候的な理由で立ち遅れてしまったのではないか。イエメンはユーラシア大陸ではあるが、その社会経済上の発展度合いはアフリカに近い。生物地理区で見るとイエメンはアフリカと同じ区分である。灼熱のアラビア半島によってイエメンはユーラシアから隔離され、同様に立ち遅れてしまったのかもしれない。アフリカで唯一大文明が花開いたエチオピアもユーラシアの文明から隔離された状態にあり、十分にポテンシャルを活かせなかった。

 ただし、ユーラシアの区分は人種的な区分とは異なる。ユーラシアの人種はヒマラヤ以東にモンゴロイドが住み、ヒマラヤ以西にコーカソイドが住んでいる。これは東洋区と旧北区の区分とは全く境界が異なっている。この点で生物地理区を根拠とした地政学は弱みを抱えている。

交流可能性が勝敗を分ける?

 これまでの議論をまとめると、文明の発展を左右するファクターは少なくとも近世までは交流できるフィールドの大きさではないかと思われる。ユーラシア大陸は全大陸の中で突出して大きく、多数の農耕地帯を抱えていた。そのため何かを発明する人間の数が多く、文明の進歩が早かった。一方、非ユーラシア文明圏の北米・南米・オセアニア・サハラ砂漠以南のアフリカは人口規模が小さい上に相互の交流も絶望的だったため、小さく分断されて文明はほとんど進まなかった。

 ユーラシア大陸内部での格差も生物地理区で説明できるかもしれない。ユーラシア大陸のうち、インドと東南アジアは気候的に他の地域と交流が難しく、文明が入ってきにくい状態にあった。それでも非ユーラシア文明圏と比べれば交流は盛んであり、大人口を抱えていたことによって、文明の遅れは中程度に留まった。同様にアラビア半島南部も気候的な理由でユーラシアの文明が入ってきにくく、立ち遅れた状態にある。日本からイギリスにかけての温帯地帯は最も人口が多く、相互の交流も容易だったため、ユーラシア大陸の中でも特に文明が進みやすかったのではないか。この中で最も人口規模が大きかったのは中国だったが、東アジアとユーラシアの西部は交通がやや大変だった。そのため、東洋と西洋は均衡を保っていた。近代以前の格差はほぼこれで説明が付くだろう。

 近世になるとユーラシア内部での格差が目立つようになる。これもある程度は交流可能性で説明可能である。西欧は大航海時代で新大陸との交流が可能になり、一躍世界貿易の中心地となった。文明間の格差は縮まるどころか加速し、西欧は世界中と交流してますます豊かになっていった。一方、東アジアは大人口を抱えていたが、決定的な時期に鎖国政策をとってしまったため、文明が停滞してしまった。

 この時代に交流可能性で重要なことは海洋にアクセスできるかであり、この違いによって西欧は東欧より先んじることができた。その中でも島国のイギリスがトップランナーとなったのである。東アジアは近代になるとようやく鎖国政策を撤回した。東アジアにおいてもトップランナーは島国の日本だった。俯瞰的に見ると、他の文明地帯と交流が容易か否かが勝敗の鍵である。それは地理的な障壁もさることながら、環境面が類似しているかも重要なのかもしれない。近代において経済成長に成功している国の条件は高緯度にあることと沿岸部にあることであり、これらの条件は文明のトップランナーである西欧との交流を盛んにしているのだろう。

 ただし、近代における格差は地理的要因だけでは説明がつかないことも多い。バルカン半島がいつまでも貧しい理由や、アメリカのメキシコの経済格差が一向になくならない理由も地理的要因では説明が難しい。地理万能論が当てはまるのは近世までであり、近代においてはまた別の要素が大きくなってくると言えるかもしれない。

 また、近代における格差は見かけこそ大きいのだが、年数ベースで数えると実は近代以前ほど大きくはない。アメリカとメキシコの格差は50年〜70年ほど開いているが、これは近代以前にユーラシアとそれ以外の間に開いていた数千年という格差に比べれば誤差のようなものだ。そう考えると、世界の文明格差は縮小しているのかもしれない。


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