見出し画像

医師過剰時代で医学部進学はオワコンになる??

 フォロワーの方からのコメントに「医師過剰時代の到達で医者は余ってしまい、収入や社会的威信は低下するのではないか?」という疑問が寄せられた。今回はこの疑問について考察していきたいと思う。

 筆者のこの問題に関する考察は「医師過剰時代になっても医師の地位は大きくは低下しない可能性が高く、仮に低下しても医師の強みは相変わらず健在である」というものである。

医師過剰時代が予想される根拠

 医師過剰時代が予想される理由は何か。最大の要因は医学部定員である。少子化によって一学年の人数はどんどん減少しているが、医学部の定員はそれほど減少していない。

 ロスジェネ世代は一学年が200万人近くいたのに対し、医学部定員は8000人ほどだった。最近の大学受験生は一学年が110万人であるが、医学部の定員は9000人ほどだ。これが恒常化すると日本人の1%近くが医師になると思われる。相対的な人数比は2倍になったことになる。

 また、一学年の人数はこれからも減り続けるだろう。流石に一学年が70万人の今のベビーが大学受験をする頃には定員が変更されているかもしれないが、現時点でも親世代に比べれば医学部定員が多いことは間違いない。基本的に医師の供給量は昭和の2倍ほどになるだろう。

本当に余るのか

 一方、このような予想が当てにならないという見方も十分に可能である。

 まず「〇〇が余る」という言説は産業革命以来常に存在してきたが、実際に失業者があふれるといったシチュエーションは稀だった。技術革新は常に新たな需要を生み出してきたし、一説にはむしろ労働力が足りないから技術革新が促されたという見方もあるくらいだ。

 また、この手の予想が当てにならないという事情もある。専門家に「伸びる業界」を予想させたところ、ダーツで決めるのと変わらなかったという話もある。バブル期に人気だった就職先があっさりと凋落したなんて話もザラにある。こうなると、医学部定員が実質的に増大するからといって、医師の待遇が悪化するとは断言はできないのではないか。筆者は21世紀になっても医師の需要は旺盛であり、大きな変化は訪れないと考えている。

労働市場の性質

 最近、人工知能が熱い。トヨタも最高益を叩き出している。医療関係にイノベーションが無いとは言わないが、その多くは製薬会社やバイオベンチャーによって生み出されている。こう考えると医師という比較的古典的な業界に進むことは時代に逆行するのではないかという疑問も湧いてくるだろう。

 しかし、これは産業と労働市場を混同した見方だ。伸びる産業の労働者が待遇が良いとは限らないし、逆に斜陽産業の労働者が待遇が悪いとは限らないだろう。経済的実態としての人間には「消費者」「事業者」「労働者」という3つの顔があり、それぞれ支配するルールが全く異なっているのだ。

 業界の生産性と労働者の待遇が無関係であることの例を上げよう。途上国に旅行したことがある人は現地の物価が明らかに安いことに気がついたのではないだろうか。先進国と途上国の生活水準は一人当たりGDPから予想される数値ほどには差がない。

 これはバラッサ・サミュエルソン効果と呼ばれる現象によるものだ。背景には非貿易財の生産性があまり変わらないことがある。日本とカンボジアの自動車産業には大きな格差があるが、日本とカンボジアの床屋にはあまり生産性の差がない。ところが日本の床屋がカンボジアの床屋と同じ待遇かというと違うだろう。この分が先進国の物価の高さに反映されていると考えられる。

 日本の自動車産業と床屋には大きな生産性の格差があるが、日本の床屋がカンボジアの床屋と同じ暮らしをしているわけではない。これは労働者の賃金がその産業の生産性と無関係だからである。先進国のサービス業従事者が多いのは製造業があまりにも効率的で雇用を産まなくなったからだ。自動車工場は数人で回せるようになったので、余った労働力が人手を欲する別の業界に回すことができ、社会全体の生産性が上昇したのである。

 労働市場を規定するのはその産業が「人手を必要するか」という点であり、その産業の革新性とは何も関係がない。労働者の賃金は商品市場や株式市場とは本質的に違うところで決まっているのだ。もちろん現実的には労働組合や効率賃金の影響で無関係とは言えないのだが、それでも大綱は揺るがないだろう。

ケア労働の相対的な需要増大

 近代以前の人類の大半は農業に従事していた。産業革命と同時に農業の生産性が上がり、それほど食料生産に人手が要らなくなったので、彼らは都市に出て工場労働者になった。その工場労働者も製造業の生産性の上昇によってそれほど人手を必要としなくなったので、労働者はサービス業に向かった。

 しかし、生産性が上昇したからといって、別に農民や工場労働者の待遇が他の産業を上回っていたわけではない。両者に関係性はないからだ。単に労働者が人手を必要とする産業に移動しただけである。政治家や企業の上級管理職は100年前と仕事内容は大きく変わらないはずだが、それでも依然として地位は高いだろう。重要なのは「その仕事が人手を必要とするか否か」なのである。技術革新で人手の要らなくなった業界から、人間しかできない仕事へと移動することで生産性は上昇してきたのだ。

 21世紀の日本で人手を要する産業は何があるか。製造業はもちろん、サービス業も次々と省力化が進んでいる。タクシー運転手のような仕事もいずれ機械化されるかもしれない。こうなると、おそらく最も多くの人手を要するのは「人間に直接関わる職業」だろう。企業の上級管理職や学校の先生はその代表格だろう。両者の仕事スキルは戦前からそう変わっていないと思われるが、それでも社会的地位はそこそこ高い。

 しかし、何よりも需要が(相対的に)増加するのはケア労働である。この分野は生産性が特に低く、大量の人手を要している。一人の人間がボタン一つで自動車を大量生産できる時代になっても、一人の人間がケアできる人数は限られている。

 技術革新が進んだからと言って保育士や介護士が機械化されるとは考えにくい。むしろこれらの産業の生産性の低さは社会の足を引っ張っており、深刻な社会問題になっている。こうした業界に人手が引き寄せられていくことは間違いないだろう。未来の日本はAIで浮いた運転手等の人手を介護に回す形で成長していくものと思われる。

 この点、医師の属する医療業界は今後も人手が必要であり続けるだろう。医療はケア労働の最たるものだからだ。介護士や看護師の上位存在として医師の需要は存在し続ける。現代日本では学校を卒業した女性の1割近くが看護師になっているらしい。ましてや医師が余るとは到底考えられない。

医療需要の増加

 さらに医療そのものの需要も増大するだろう。日本は高齢化が進むからだ。今後の日本は労働力不足によって高齢者が中心の世の中になるだろう。したがって社会の構成員の平均的な健康状態は悪化することになる。

 しばしば高齢化中心の社会というと介護老人のイメージが強いが、その限りではない。むしろ高齢者になっても働いている人間が多くなることは間違いない。令和の70代は昭和の50代の感覚だろう。

 ここで重要なのが医療である。昭和に比べてこれからの日本は遥かに医療の助けを借りて活動する人間が増えていくはずだ。もはや最も重要な産業といっても良いだろう。中高年から老年期の人生にとって最も重要なのは健康状態である。50代を過ぎると病気の話が増えてくるのはそのためだ。

 また、これはちょっとしたパラドックスなのだが、医学が進歩すると医療の需要は増加する。結核が治るようになったら若くして死ぬはずだった人間が、老人になってまた病院に通うことになるからだ。人類がガンを克服すれば今度はアルツハイマー病やその他の老年病との戦いが始まるだろう。

 というわけで医療の需要は無尽蔵であり、増加することはあっても減少することは全く考えられない。しかも先述の通り医療業界は機械化に不向きとくれば尚更だ。建設業界や自動車業界とはわけが違うのだ。21世紀の日本にとって人々のQOLを増大させるのは道路の建設よりも健康状態の向上となるだろう。

働き方

 医学部進学熱はとどまることを知らないが、これは特に女子において顕著である。もはや医学部入学者の4割が女性となっているようだ。

 ポリコレ的には物議を醸す発言かもしれないが、女性は男性に比べて体力面で不利だし、出世に対する執着も平均すると男性より低いだろう。となると、医者が余ると言っても、見た目ほどではない可能性もあるだろう。また、女性医師の増加で労働強度が全般的に下がった場合、ドサクサにまぎれて「社内ニート」的な男性医師が出現する可能性も考えられる。

 ここに追い打ちを掛けるのが働き方改革である。ついに医者にすら働き方改革の波は押し寄せているようだ。こうなると、医者の人数が増えたところで労働力の供給量はそこまで増えないだろう。

 今後の日本は労働力不足によって定年延長になる公算が大きいが、医師は定年が存在しないので、これまた無関係である。

賃金水準

 医師の仕事が無くなることはないし、むしろどんどん増えていくかもしれない。学校の先生のような慢性的な過労状態になる方が予想できる。

 ただし、あまり期待できないのは賃金水準である。大きく下がることはないだろうが、今よりも上がることはあまり期待できないだろう。特に新規の開業は難しくなっていくことは容易に想像できる。ここは歯医者を考えれば明らかである。

 とはいえ、医者の賃金水準はほとんどの先進国で高い。やはり仕事柄、給料は高いようだ。特に産業の低迷している国でその傾向が強い。と考えると、今後の日本で医者が食えなくなっている時は、その他の産業はもっと食えなくなっているだろう。

東大VS医学部論争への影響

 最近は東大理一の人気が高まっており、2020年代の日本で医学部はそこまで流行っていないようだ。しかし、今までよりも医学部の希少性が低くなったとしても、依然として「東大より医学部」は続くだろう。むしろますます医学部志向が強くなるかもしれない。

 その理由は仮に医師の賃金水準が8割とか7割になったとしても、以前の記事で取り上げた医師の強みはそのまま維持されるからだ。医師はフロービジネスであるため、一部の勝ち組医師が仕事を独占するということは起こり得ない。根本はケア労働なので、現場で患者を見てナンボである。経営側に回る層は収入が減少して苦しくなるかもしれないが。

 業界にはそれぞれカルチャーがある。こうしたカルチャーは長年の慣習と業務の性質から必然的に派生してくるもので、そう簡単には変わらない。これまで挙げた医学部のメリット、例えば転職しやすい・専攻を選びやすい・現場の地位が高い・勤務地を選びやすい・定年制がない、といったものはこれからも引き継がれるはずだ。

 むしろ今世紀後半の日本では東大を出たほうが進路に困るかもしれない。国内の人口が減少し、今の首都圏の人口規模は現在の関西に近くなる。特に現役世代の人口は半分になるだろう。となると、東大卒が行くような大企業は一部の成長産業を除いて軒並み斜陽のはずだ。AIの導入などで採用も少なくなるかもしれない。これはメガバンクなどに現在進行形で起きていることである。

 大卒文系人材の凋落の要因については長くなるので別の機会にしたい。

まとめ

あくまでここで書いた話は個人の見解に過ぎない。専門家ですらこの手の予想は当たらないのだから、ましてや筆者の知るよしもないだろう。ただし、なんとなくの予想を付けることくらいはできる。

 医学部定員が現状のままでも医者の地位が大きく下がることはないだろう。以前よりも開業医が稼げなくなるくらいだ。これは医者という人々がその社会的責務の重さから、ある意味で守られる立場であることが背景にある。だから医者が食えなくなるような大幅な人員増は無いだろうし、少子化が進むといずれ定員も削減されるものと思われる。

 というわけで、医者の界隈の不安とは裏腹に、医者の相対的な地位はむしろ上昇していくかもしれない。少子高齢化が進んだ地域、例えば秋田県のような地域を考えれば未来の日本の姿が分かるだろう。こうした地域では医者を除けば高学歴の人が能力を活かせる就職先は少ない。市役所・学校の先生・一部の地場産業くらいだろう。今後医学部志向は高まっていると考えられる。日本より深刻な少子化に苦しむ韓国はソウル大からどんどん人材が医学部へ流出している。日本でも既に地方都市に高学歴の人間が付ける職は医者くらいだ。こういった事情を考えると、まだまだ医者は安泰な業界と言えるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?