見出し画像

窓際族の嫌われオジサンに救われた話

 就職して何年経つだろうか。私はそれまでの希望に満ちた世界観が就職と同時に一変してしまったし、現在も暗闇は続いている。この薄暗いトンネルからあと何年で抜け出せるのかは全く分からない。もしかしたら死ぬまで続くのかもしれない。そう思うと心と身体が押しつぶされそうな気分になってくる。

 この憂鬱はたった一つの原因から来ている。それは仕事だ。子供の時の私は仕事やキャリアといったものが輝かしいものだと信じ込んでいたので、未来を掴むために積極的だった。宇宙飛行士やサッカー選手を目指すつぶらな瞳の少年と同じだ。流石に大学生くらいになるとより現実的なキャリア観にシフトしていくが、社会に出ることが素晴らしいことだという信念は引き継がれていた。

 こうした素朴な価値観は会社に入って一年で全て消え去った。私にとって予想外だったのは3つのことだ。1つは会社員の仕事はブルシットジョブであり、自分にとっては何の興味もやりがいもないということ。2つ目は私が無能な人間であり、出世がどう見ても閉ざされていること。3つ目は会社は金を得るための場所であり、人間関係を充実させる場所ではないということだ。

 当時の私は絶望感でいっぱいだった。帰りの電車に何度飛び込みたいと思ったか分からない。それまで私はユーモラスでいいヤツと思われる方の人間だと認識していたが、会社のような場所で認められることはない。世の中には仕事が充実していたり、職場の人間関係が楽しみという人もいるのかもしれないが、少なくとも無能な人間がそうした効用を味わえる機会はゼロだろう。

 仕事のできない人間は会社では好かれないし、イジメ・悪口・パワハラの標的になる。実際に私は何度もこうした目に合ってきたし、仕方のないことだと思う。職場では仕事のできる人間のみが存在価値を認められるのであり、仕事のできない人間はただ存在するだけでヘイトを買うだろう。誰からも望まれない存在として孤立していくのが何よりも辛かった。無能は罪であり、罰を受けるべきなのだ。

 普通はここで頭にちらつくのが「転職」の二文字だと思う。しかし、私はこの考え方に懐疑的だった。私は学生時代の友人と頻繁に情報交換していたので、現在の会社の待遇が他の会社よりも遥かに優れていることを客観的に認識していた。それにスキルのない無能社員の場合は転職しても状況が悪化する可能性が高い。新卒で入った会社が一番良い会社となる。転職は問題解決にならない。この事実が絶望感を深めた。逃げ場はどこにもない。周囲は全て断崖絶壁だ。

 ある上司は「君にプロとしてのプライドはないのか」と問い詰めてきた。プロ?そんな概念はとうに忘れてしまった。人事評価の紙にそうした文言を書いた気もするが、あまりの虚しさに記憶から消し去ってしまった。5年後10年後の自分の職業人生にどんな未来があるというのか。入社した時はなにやら高邁な理想があった気もするが、もはや別の世界の出来事のようだ。新人研修の時の私の顔は満面の笑みで満ちていた。しかし、次第に表情は暗くなり、最後は職場で上司の顔を見ると泣き崩れるようになっていた。難聴やめまいも幾度となく発症した。

 そんな私にも救いの手となる人物が現れた。厳密にはその人物が私を救ってくれた訳では無いが、彼のお陰で私は救いに繋がることができた。仮にその人物の名前を「高田さん」としよう。

 高田さんは別の部署にいた人物で、私と直接関わったわけではない。ただし、その人物の噂は良く聞いていた。あまりにも振る舞いが常軌を逸していたからだ。

 高田さんは絶対に遅れずに出勤してくる。そして席に座り、何もしない。そして定時になると即座に退勤する。周囲の人間は高田さんに何も期待していないので、仕事を振ることはない。高田さんはボンヤリしているか、寝ているか、ネットをしていることが多い。

 高田さんの徹底ぶりはこれに留まらない。有給休暇は当然の如くフル消化だ。その上会社の就業規定を隅々まで読み込んでおり、制度上取得可能な休暇は全て消化している。中には人事ですら聞いたことがない休暇もあった。高田さんは休職制度も活用する。うつ病の診断書を持っているので、実質的に自由自在に休職を申請することができる。職を失わないギリギリのタイミングで休職し、ギリギリのタイミングで復職するということを繰り返していた。本当に一日単位の精密な計画性だ。

 高田さんは転勤も拒否していた。うつ病が原因で耐えられないとの理由だ。高田さんはあの手この手で会社に対して強気に出ていた。パワハラを繰り返す上司であっても、高田さんには手出しができなかった。面談のたびに「パワハラがあれば訴える」と仄めかしていたからだ。うつ病とは思えない強心臓だ。

 高田さんは当然会社では鼻つまみ者だったし、社会人としても失格だろう。しかし、私にはそれが希望になった。どうしようもない時は逃げてもいいということに気付けたのだ。そもそも私はなぜ会社に所属しているのかを考えた。それは現在の社会経済上の地位を死守することだ。社会貢献することでも同僚と交友関係を築くためでもない。多くの人がそういった動機で会社に嫌でも通っているのであり、私と何ら変わることはない。

 こう考えると、途端に楽になった。仕事に対する余計なモヤモヤが消え、割り切れるようになったからだ。会社=イジメられに行く場所、と定義すれば、期待をせずに済む。そもそもサラリーマンになることが人生の目標だったことは一度も無かった。仕事をプラスの動機でやっている人物を私は殆ど知らないし、楽に金が貰えればそれに越したことはないはずだ。私は仕事をやり過ごすことに注力した。仕事とは病気の治療と同じであり、それ自体はマイナスでも、より価値のある趣味・家庭・生活には必要なものだ。

 会社の人間関係も断ち切った。「会社の人間と付き合うな」ということは巷でも良く言われることだ。所詮は金のためのドライな関係に過ぎない。退職すれば繋がりは切れてしまうし、昔の友人のようにプラスの効用をもたらしてくれる存在ではないだろう。職場の人間関係に費やしていたエネルギーは、小学校や中学校時代の友人との交友関係を掘り起こすことに注ぐようになった。

 上の年代の社員を観察してみたこともある。どれもこれも死んだ魚のような目をしていたし、仕事に前向きな意欲を見出しているようには思えなかった。彼らは何が楽しくて生きているのか全く分からない。確かに出世して高い地位に就いている人間はいたが、何が嬉しいのかは分からない。出世しないデメリットは社内の人間に尊敬されないことだが、私はすでに会社の人間との関係を断ち切っているので、どうでもいいことだ。社内の肩書などどうせ定年したら「無」になる。社外の友達と付き合う時に出世度がどう関係するだろうか。

 このことを気づかせてくれたのも高田さんだ。彼はなんと妻子ある身だった。家族仲はどうも円満のようだ。きっと趣味も充実しているに違いない。彼はちゃんと会社の外でプラスの生きがいを見出している。長時間労働で嫌いな仕事を押し付けられるより、子供の成長を見届けたほうが人生にとって価値あることは間違いない。自分の家族が会社で威張っているかどうかなんて気にする人はいないだろう。

 私は高田さんに触発され、即座に婚活を始めた。幸い、学生時代の友人の紹介で素敵な女性と出会うことができた。やっぱり昔の友人関係は頼りがいがある。困った時はいつもこのパターンだ。金や役職といった世知辛いことを気にしないでいられた過去の遺産を運用しているようだ。

 現在、私の生活はまあまあ落ち着いている。仕事をある種の「病気の治療」として割り切ったことで、日常の指針を立てることができた。自分のQOLを下げる仕事というものが生活に占める割合を少しでも抑制することが至上命題となる。職場で意識することはいかに業務をやり過ごすかであり、他のことは一切求めない。人間関係を断ち切っているので、上司に過剰に気を遣ったり、後輩に舐められたりという心配もない。

 病気になると当たり前だと思っていた健康がいかに幸福なものかを実感するという。仕事も似ているだろう。社会人が幸福を感じる時は何かプラスの出来事があった時よりも、マイナスの出来事が無かった時のことが多い。そのマイナスの最大要因が仕事なので、仕事のもたらす害からいかに自分の身体と心を守るかが大切となる。

 現在の自分を好きになれるかは分からない。今の姿は決して憧れた自分では無かったし、同級生がテレビに出ていたり、論文が高く評価されているのを見ると劣等感を感じる時もある。しかし、理想を求めればきりが無いし、今自分のできる最大限の目標を追い求めるべきだろう。

 子供の頃は学者・外交官・裁判官など色々な夢が浮かんでいたが、全て夢で終わった。私に才能は無かったし、肝心な時に頑張らなかった者に栄冠は訪れない。これは過去の怠慢に対する刑罰なのかもしれない、そう思う時もある。しかし、健康を失った人間が喪失を受け入れて前に進むように、私も現実を受け入れて前に進むようにしたい。会社生活のお陰で失ったものは多いが、老年期の人間が退行を受け入れるように、私も受け入れることができた。昔のような希望と楽しみに満ちた日々は二度と戻ることはないが、日常にささやかな幸せを見つける努力ができるようになった。きっと20年前の高田さんも同じ気持ちだったはずだ。そう思うと孤独では無い。

 暗黒の会社生活と失われた可能性、これを嘆いても仕方がない。これらは必要な代償と覚悟を決め、自分にとって真に価値のある何かに打ち込むべき時代だ。私がnoteを始めたのもこの一環である。自分の考えたことや面白いと思ったことが日本の誰かに伝われば、きっと自分にも生きている意味があると実感できるだろう。「自分にとって本当に価値のあることに意識を注げ」、これがきっと高田さんが背中で教えてくれたことなのだ。以前の私にとって、纏わりつく死の影に抗う唯一の光は高田さんだった。会社では唾棄される存在でも、他の場所では誰かの支えになれることだってある。時には名前も知らない誰かの命を救うことだってあるだろう。私は高田さんのお陰で生かされ、今日を生きている。


 

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?