出世に興味の持てない東大卒の原因分析
東大は出たものの、会社内の出世に興味が持てない人間の性格タイプについて考察してほしいとリクエストを受けた。東大に入るまでは強い意欲を盛っていたのに、卒業後に社会に出てからは会社内で出世することに全く意欲が持てないというタイプは多いのだ。筆者の経験だが、あまりMBTIタイプとは関係無さそうなので、一般的な考察に当てはめる。
まず東大卒で出世意欲が旺盛なタイプは以下である。
①挫折知らずのエリート
特に挫折することなく学者や官僚になってエリートコースを歩んでいくタイプである。ここに関しては説明は不要だろう。世間でいう東大卒エリートである。東大の中でも優秀層か少なくとも中間層上位にはいる人々である。
②災い転じて福となすタイプ
挫折知らずとは行かなかったが、新卒カードが残っているうちに就職し、そこが意外に肌にあっていたというパターンである。東大卒で企業で出世しているタイプは意外とこういう系統が多いのではないか。
③器用なタイプ
出世欲も進路へのこだわりもそこまで強くないが、元のスペックが高いため、いつの間にか頭角を表していくタイプである。典型例は安定したJTCにストレートで就職するタイプだ。置かれた場所で咲くタイプとも言える。
④上昇志向がやたら高いタイプ
多くは①〜③と被る。東大卒には上昇志向とプライドが高く、何に関しても張り合いたいタイプがいる。彼らはどの状況においても向上心の塊であり、仕事はもちろん私生活に関しても手を抜かないだろう。自分の能力の高さを常に示していないと満足できないタイプである。
⑤後がないタイプ
例外的なタイプである。東進ハイスクールの林修が典型例だ。何らかの事情でレールを外れてしまい、出世しなければ餓死してしまうというタイプだ。起業家とかYouTuberは大体これだろう。世の中には一流になればければ食っていけない業界が結構存在するのである。
東大卒で出世欲の強いタイプはだいたい上記のどれかに該当するだろう。一方で出世に興味が持てない東大卒はこのようなタイプが考えられる。
①安定志向
そもそも仕事の目的は生計を立てることであって、出世することではないという考え方のほうがメジャーではないかと思う。東大卒は確かに競争心が強いのだが、いつまでも競争していても埒が明かないと気付き、安定志向に走るものは多いだろう。
②びっくりするほどやる気のないタイプ
東大に入る人間はそれなりに器用だし、目的達成志向が強いはずだ。それにもかかわらず、全く向上心や上昇志向の無い者がいる。オタサーには結構多いと思う。就職人気企業に入りたいといった志向も無く、趣味を楽しめれば良いという価値観である。ただこのタイプは就職活動がうまく行かないことが多く、予後はよろしくない。
③下方就職
ほとんど可視化されていないが、確実にあると思っているのがJTC余生論だ。東大卒の多くは大企業に就職するが、社会的威厳という観点では結構ダウンするのではないか。東大の肩書と同等の社会的威厳は一流企業の部長クラスまで行かないと得られない可能性がある。言ってしまえば会社内の地位はよほど出世しない限り、東大の達成感や社会的威信には遠く及ばないので、やる気をなくしてしまうのかもしれない。
④アノミー化
学歴というのは画一的な競争で、勝ち負けがはっきりする戦いだ。一方、社会に出るとそうではなく、何が正解かはわからないし、進路の数も多い。しかし、だからといって競争が楽になるわけではなく、むしろ東大卒にとっては③で指摘された通り卒業後の社会的威信の低下に直面するため、やりたいことがわからず挫折感だけが残るという結果になりがちである。スキゾとパラノの話に近い。
⑤仕事に興味がない
これは人によると思うが、ぶっちゃけ東大受験の勉強のほうが仕事より面白かったという人もいるのではないか。文系就職した場合は仕事内容はブルシットジョブであり、裁量権も少ないので、東大受験と同等の意欲を持って頑張るという気になれないのかもしれない。(もちろん職場で口に出すことはないが)
⑥既に諦めている
そもそも就職したものの自分が社会人として能力が高くないことに気がついた人も多いのではないか。東大卒だったとしても仕事の能力が高いとは限らない。東大卒の場合、それまでの成功体験が大きかったが故にやる気をなくしやすいのかもしれない。
⑦夢がない
東大には夢がある。その先に世界が広がっているような気分になるし、大学生ということもあって楽しそうだった。一方、出世はどうかと言うと、そんなに夢があるか?というのが正直な感想である。責任が増えたり、勤務時間が長くなったりして、犠牲になるものが多いのではないかと思う。そもそも夢=中間管理職なのかという根本的な疑問がある。
ちなみに筆者の場合は③〜⑦の全てである。ただ考え方を変えると、東大卒だから会社で管理職になって出世しなければいけないという価値観のほうが偏っているのかもしれない。