「鬼滅の刃」の鬼に学ぶ、憂鬱な人生との向き合い方

 

「自分がなんのために生きているかわからなくなる」


 社会人の皆さんは、こういう思いに駆られたことはないだろうか。


 社会人の人生はつまらない。好きでもない仕事を朝から晩までやって、ヘトヘトになって家に帰ってくる。テレビ見ながら食事をして、明日の準備をしたらそこで平日は終わりだ。休日は自由とはいえ、土曜は疲れが溜まって寝て終わってしまうので実質的に動けるのは日曜だけだ。昔の友達と遊ぶことが多いが、彼らとの話題も年々少なくなっていく。彼らと10年以上前のアニソンをカラオケで歌っていると、そこはかとない虚しさに襲われるものである。
 
 ある程度の歳になると未来は失われ、先が見えてくる。ただ生活を維持するために大量の業務を処理して、仕事終わりにビールを飲んで、数十年かけてゆっくりと死へと近づいて行くのである。こうなると自分がなんのために生きているのかわからなくなる。

 

「鬼滅の刃」を読みながら、このとてつもない虚無感と戦うにはどうすればいいか考えていた。


 主人公を始め味方サイドの人間たちは良い。彼らは若いし、未来がある。見るもの全てが新鮮だし、世界は刺激に満ち溢れているはずだ。純粋に勝利や理想というものを信じて突っ走っている。彼らにとっては憂鬱や閉塞感の打破よりも、戦いに勝利して生き残る方がよほど重要である。その若さに裏打ちされた勢いこそが読者に興奮を与えるのである。

 一方鬼サイドはなんの変化もなく、孤独に人を食らって生きている。あんまり面白そうな人生には見えない。全てがマンネリで、張り合いがない。憂鬱と閉塞感の中で悠久の時を過ごしていて、よくうつ状態にならないものだ。いや、なっている鬼もいるのかもしれない。そういう鬼はひっそりと鬼殺隊にも知られずに消えていくのだろう。

そんな中で数百年に渡って君臨している強力な鬼は伊達じゃない。彼らはいつ見ても活力にあふれている。彼らが虚脱状態にならないのは彼らの生き方の秘訣があるのだ。それは「目標を持つこと」である。

無惨

 無惨はいつ見ても活き活きしている。人間社会に溶け込んだと思いきや、鬼のリクルートに奔走したりと大忙しである。彼の人生を支える目標はもちろん「太陽を克服すること」である。千年の悲願のためなら無惨は努力を欠かさない。千年間ダラダラと引きこもって悲嘆に暮れるよりも遥かに充実した人生が送れたことだろう。
 鬼殺隊に討伐される最後の瞬間まで彼は新たな目標を探し求めていたし、彼の認識ではそれを次世代の炭治郎に託し死んでいったことになっている。
 自分を最高に価値ある存在と定義し、自己肯定感を守れている上に、向上心を持って頑張り続けているなんて、なんて生きがいのある人生だろうか。  
 無惨は作中の誰よりもきっと幸福だったのだ。

珠世

無惨ほどではないが、珠世もまた数百年に渡って活き活きとしている鬼である。彼女の目標は「無惨を倒すこと」である。そのためなら様々な技を磨くし、愈史郎という後継者も作っている。胡蝶しのぶが絶賛するほど医術にも詳しい。まさに「一流」の人材である。
 彼女の無惨への憎悪はもともと家族を失ったことに由来しているが、数百年の時を経て怒りは薄れるどころか強まっているように思える。悲しみが時間の経過で薄れるのは、他のことに関心が逸れて忘れていくからである。何年もその事を考え続けた場合はむしろ感情が蓄積されて憎悪は強まっていく。珠世の無惨に対する憎悪は戦国時代よりも遥かに強力なのだろう。
 復讐のために生きる数百年が幸せだったかは不明だが、とにかく彼女もまた虚脱状態になることを免れたのである。

猗窩座

猗窩座の目標は単純明快だ。それは「強さを追い求めること」である。猗窩座にとって強くなることはそれ自体が目的だ。無惨に尽くすとか、名誉を得るとかいった話はどうでも良い。ストイックに武術の鍛錬を続けることが彼の生きがいである。
 憂鬱やら閉塞感やらに苦しむ暇があったら努力をすれば良い。不安も恐怖も全て強くなることで解決する。価値観をそう割り切ることで彼は虚脱状態を免れているのである。 
 余談だが、強さのことばかり考えているからか猗窩座の思考回路にはかなり偏りが見られる。弱者に対する奇妙な嫌悪感は一例だろう。戦闘以外のことには極端に疎いようだ。武術に打ち込むことで余計なことを考えずに済み、辛い過去を忘れられているのかもしれない。

黒死牟

 黒死牟もまた、目標を絶えず持っている鬼である。彼の目標は前の三人ほど明確ではないが、「強さを追い求めること」「無惨に忠誠を尽くすこと」「弟を超えること」であると思われる。
 強さをひたすらに追い求める点は猗窩座によく似ている。現にこの二人は仲が良さそうだ。求道者としてお互いリスペクトし合う存在ということか。
 無惨に関しても彼の生きがいに繋がってそうだ。黒死牟ほど強力な鬼だったら、無惨を倒すか支配から逃れるかすればいいのにとも思える。しかし黒死牟は無惨に自発的に従い続ける。鬼殺隊を裏切って無惨の側についた経緯を踏まえると、彼なりの義理なのだろう。お世話になった主君のために頑張るのもまた、彼の生きがいなのである。
 黒死牟の不幸は三個目の目標が原因だ。彼は人生の目標を対人比較で設定してしまっているのだ。世の中、必ず上には上がいるものである。周囲の人と比べて自己肯定をしている人間は、いくら栄達しても挫折感を感じ、満たされないままになる。課長で終わった人は部長になった同期にコンプレックスを感じ、部長で終わった人は役員になった同期にコンプレックスを感じるのは良い例だ。エリートの世界にはこの手のコンプレックスが異様なほどに蔓延している。 
 黒死牟のように数百年間最強の座を守り続けた鬼ですら、対人比較を続けている限り劣等感からは逃れられなかったのである。

 猗窩座や黒死牟と比べると累の目標はそれほど強固なものではない。鬼になった理由も健康になりたい程度の理由だったし、彼自身が小さすぎた。無惨の甘言に乗ってわけも分からぬまま鬼になったという感じである。
 鬼としてブラブラする中で彼がたどり着いた目標は「家族を作る」ことだったのだろう。本当の家族を彼自身が殺してしまった負い目と寂しさがあったのかもしれない。
 しかし個人のエゴで作られた疑似家族というの身の毛もよだつものだ。累は疑似家族のメンバーを恐怖で支配し、気に食わない者は処刑している。このような歪な関係は10年以上前の尼崎連続殺人事件を思い起こさせる。主犯格の女は脅迫とマインドコントロールで擬似家族を形成しては保険金をかけて殺害し、数十年かけて異常な「家族」を作り上げていった。事件が発覚して「家族」が崩壊したのがよほどショックだったのか、主犯格の女は公判を待たずして自殺している。女が幼少期どのような人生を送っていたのかは未だにはっきりしないが、きっと家庭環境に恵まれなかったのだろう。
 家族の愛に飢えた少年は鬼となって何十年と時間が経っても、幼少期のトラウマから逃れられなかった。このような歪な目標はあまりオススメできない。

堕姫・妓夫太郎

 前述の累よりも遥かに健全な人生を送ったのは上弦の陸、堕姫・妓夫太郎だろう。妓夫太郎の目標は「妹を守ること」である。
 大体の自己啓発本に「他人のために尽くすことは幸福感に繋がる」と書いてあったりする。家族のためと思えば、苦しい仕事も一生懸命に頑張れると感じているサラリーマンは大勢いるだろう。守るべき家族の存在は、生きがいとして強力なのである。
 一方の堕姫は人生の目標めいたものは見つけられない。普段から無邪気で楽しそうである。彼女がそうしていられるのは妓夫太郎という依存先のおかげだ。上弦の陸は「二人で一つ」であり、孤独な他の鬼とは条件が異なるのだ。また妓夫太郎は堕姫を遊郭に潜入させている。もちろん餌となる人間の物色がメインだろうが、それ以外に妹を少しでも社会に戻してあげたいという意図が存在したのかもしれない。兄の献身的な優しさのおかげで、堕姫は鬼にしては珍しく百年の孤独を回避することができたのである。

玉壺

 上弦の鬼の中で最も過去が描写されていないのが玉壺である。幼少期から残忍で奇妙な人物ではあったらしい。人生の葛藤についても殆ど触れられていない。彼にまつわるエピソードは壺や他の芸術作品の話ばかりだ。
 おそらく、彼はそういう人間なのだ。彼の目標は「作品を作ること」なのである。ただひたすらに自分の好きなことに熱中し、それ以外のことに関しては興味を持たない。他の鬼と張り合ったりということもなく、趣味の世界で楽しく生きているのだ。
 
武力に関しても強い関心はなさそうで、作中でも戦闘中にもかかわらず職人の集中力に感動して戦闘をおろそかにしている。
 鬼滅の刃のファンブックによれば無惨は「壺が売れるから」という理由で玉壺を気に入っているらしい。無惨は玉壺の趣味や個性をそれなりに尊重しているようだ。上弦の鬼のモチベーション維持に関しては上手な男である。
 玉壺は傲慢で精神不安定な主人に対しても臆することなく、壺の素晴らしさについて語っているのだろう。異形の姿に成り果てていても、その時の彼の表情は少年の頃と変わらずキラキラ輝いているのだ。

半天狗

 半天狗の生き方は他の鬼とは少し違う。彼の目標は「生き残ること」である。純粋に生き残りたいという欲求だったら他の鬼も大差ないだろう。しかし半天狗の特異な点は、その欲求が人生そのものの目標に設定されるくらい強力である点だ。彼はただ今日生き残っただけで幸せを感じるのである。
 日々生き残っただけで幸せを感じる社会人は少ないだろう。平和で豊かな現代日本では壮年期の人間はほとんど死ぬことはないからだ。しかし第二次世界大戦中のワルシャワのように絶えず人が殺されるような状態では、今日という日を無事に生き残っただけでもう格別の幸福なのである。
 会社の人間を見回していても、会社が倒産し壮絶なサバイバルを繰り広げて運良く大企業に潜り込んだタイプの人間は、プロパーとは価値観も幸福感も異なっていた。出世ややりがいなど眼中になく、ただ安定した給料をもらっているだけで満足しているような印象を受けた。生きるか死ぬかのサバイバルをくぐり抜けた人間にとっては、退屈な日常も格別の幸せに感じるのだろう。進んでサバイバルしたい人間は皆無だろうし、社会人としての生き方の模範になるかはわからない。ただ社会に出ると、このような人々の存在はしばしば目にする。

童磨

 作中に登場する鬼の中でもひときわ特殊な精神構造を持っているのが上弦の弐・童磨である。そのため彼には人生の憂鬱や閉塞感についての悩みは皆無だろう。彼のアイデンティティを支えるような目標は存在しない。メンタルが強すぎて目標を必要としないのだ。
 童磨は確かに戦闘技術の向上に強い関心があるし、宗教団体の経営にも力を入れている。ただそれらを頑張ることが人生の根幹になっているとも思えない。ただ面白いから打ち込んでいるだけで、それらを失ったところで彼にとってはどうってことはない。別のアクティビティを見つけるか、のんびり女を食って過ごすかだろう。
 彼のメンタリティは特殊なので、このテーマにおける考察にはふさわしくないかもしれない。ただ驚くべきことに、稀ではあるが童磨のようなメンタル強度100%の人間は現実に存在する。彼らは普通の人間の悩みとは無縁なのだ。私はこの手の人物に人生に関して話を振るのは避けている。

響凱

 響凱はあえて最後に取っておいた鬼である。彼は生きがいの獲得に失敗した鬼だからだ。
 
彼の目標は元々「小説家として売れること」だったのだろう。その目標は鬼になっても変わらず、人間の頃と変わらぬ執筆活動に励んでいた。しかし才能が無さすぎたのか、嫌になってしまったのか、彼はこの目標を放棄してしまう。趣味の鼓も腕前は大したことがなく、玉壺のようにアイデンティティを確立できるまでには至らなかった。その後響凱は下弦の鬼として強さを評価されるようになったらしい。しかしこれも体調の問題で挫折し、下弦から格下げされてしまう。
 彼の心のなかにあったのはまさに憂鬱と閉塞感、そして乗り越えようもない挫折感である。彼は最期、血鬼術を炭治郎に褒められて涙を流して死んでいった。よほど承認に飢えていたのだろうか。
 孤独と挫折の中で悶々と苦しんでいた響凱。彼は閉塞感から逃れようとして、足掻き続けた悲しき鬼だ。もし炭治郎に倒されることがなかったら、おそらく虚脱状態になって人知れず消滅していったのだろう。そしてこの悲哀は多くの人間にとって他人事ではないのだ。

数々の鬼の生き様を見て、私達は誰を真似できるだろうか

 現実に鬼たちのような人間がいたらどうなっているだろうか。無惨や猗窩座は仕事にただがむしゃらに打ち込むことで活き活きとした人生を送っているだろう。猗窩座は会社にいたら、ワーカホリックな人間として恐れられると同時に敬われていそうである。

 黒死牟もよく似ているが、猗窩座よりも他人と比較する傾向が強く、挫折感を感じやすい。このような人物は優秀な高学歴エリート集団に沢山存在するのである。

 玉壺は一方で仕事はそこそこ、趣味に打ち込むタイプだろう。職場ではうだつが上がらないかもしれないが、彼にとってそれはどうでも良いことだ。土日には喜んで趣味のサークルに出かけるし、定年後も変わらず楽しんでいるだろう。ただこういうタイプは場合によっては結婚が縁遠くなるという懸念事項があるかもしれない。

 妓夫太郎は家族を何より大切にし、家族のために頑張る、ある種模範的な社会人の姿である。昭和の典型的なサラリーマンのメンタリティと言っても良い。妓夫太郎の生い立ちを考えれば安定したサラリーマンは楽園だろうし、この手のタイプは意外と仕事に関しても精力的だったりするのである。

 累のような生き方はあまり良い結果を産まないだろう。社会から切り離された共依存は他人を不幸にするし、最期は自分も不幸になることが多い。

 全く参考にならないのは童磨である。このような生まれつきアタマの配線が壊れているタイプは普通の人が真似することができない。童磨は人間時代から普通の鬼よりも遥かに人間離れしていた。こういう人物はしばしば社長室にいたり刑務所にいたりするのだが、いずれにせよ普通の人には関係のない話である。

 残念ながら響凱のような生き方を余儀なくされる人物も世の中には沢山存在する。彼らの人生は長い孤独と挫折感との戦いだ。誰も承認してくれないし、誰とも打ち解けることができない。劣等感が強すぎて幸運に繋がる物事が逃げていっているのかもしれない。人生に目標設定に失敗し、運悪く響凱のような状態になった人物はどのように挽回すれば良いのだろうか。私自身、よく分かっていない。誰か教えてほしい。なぜなら響凱は私が冒頭に述べた憂鬱を一番感じていそうな人物だからだ。
 





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