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気づけは10年経ったパリ生活を、ちょっと振り返ってみた。

「フランス」とか「パリ」って、いつの時もパワーワードだなと感じる。

新たに出会う人たちに自己紹介をする時には、

どこに住んでるとか仕事は何をしてるとかが、初めの話のとっかかりになることが多いのだけれど、

この時、このパワーワードが出た瞬間、相手の目の中の何かがキラッと光るのが見える。

その時私は、ちょっとだけ申し訳ないような気持ちになる。

だって、大部分の人は「フランス」とか「パリ」という言葉に、やっぱり素敵なキラキラした何かを想像しているのが伝わってくるからだ。

でも私のパリ生活は、その期待に添えるようなキラキラしたものではないので、なんだか彼らの夢を壊してしまうみたいな罪悪感を、ピリリと感じてしまう。


私がパリに住むようになったのは、全くの偶然だ。

たまたま乗った飛行機で隣の席になった人と、何かの縁で再会し、私たちは惹かれ合うようになった。

その後この彼と結婚して一緒に暮らすようになるのだけど、その彼がパリに住むフランス人だったというだけで、私は特にフランスにつながる何かの勉強や仕事をしていたとかではない。

この国に憧れる気持ちがあるわけでもなく、

強いていうなら、フランスだのパリだのってちょっとお高く止まったイメージがあって、むしろ鼻白んだ目線を持っていたのに。

そんな私がもう10年以上パリに住んでるだなんて、人生って本当わからないものですね。


今こうしてnoteを書き始めた私は、

最近あっというまに渡仏後の生活を振り返るような気持ちになることが時々ある。

多分パリでも広がるコロナウィルスの影響から、自宅で過ごす時間が増えたからかもしれないし、

この秋に新しいパートナーと籍を入れるための準備をしているうちに、なんとなく感傷的な気持ちになってるのかもしれない。

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自分が生まれ育った国から出て、別の国の言葉やそこでの考え方や習慣を学んで生活していくのは、想像以上に厳しい。

当時はそれまでの自分のアイデンティティが壊れるのを感じたし、

誰かのサポートがあったとしても、やはりそれは自分でしか解決することができないとわかってるから、その分孤独感は増していく。

結婚も離婚もここで経験した。

就職したブラック会社のパワハラともとも戦ったし、鬱で入院したこともある。警察に相談したり、弁護士を探して一緒に裁判所に行ったこともあったな...。

できれば避けたく、嬉しくない経験をいくつもした。

どちらかというと、辛い出来事の方が多かったような気さえするが、それでもフランスから出ようとは思わなかったのは、「自分の人生を自分で選ぶ」ことができるという実感が持てたからなんだと思う。

こうあるべきとか、これが普通だとか、こうしなきゃダメみたいな圧力がないので、自分の思うようにこれからの生き方を自分で決めることができた。

そしてたまたま私の場合は、そうあれた場所が自分の生まれた国ではなく、縁あって住むことになったフランスだった。

このことを一番感じたのは離婚を決めた時。

「もしフランスに居なかったら、私は離婚できずに終わっていたかもしれないな」と、ふと思う。

だから辛い時期を経た後でも、同時に何か一つ前に進むめたような気がして、少しずつ自信を持つことができた。

これが後々、私の財産になっていると思う。

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「自信は、買ってでも持て!」と言っていたパワフルな知人を思い出す。

まあ、これはもちろんメタフォーではあるのだけど、彼の言わんとすることはわかる。

自信や自己肯定感ってメチャクチャ大事だ。

これを無くしたら、メンタルってやつはいともあっさり深い暗闇に落ちていく。

挑戦しては砕け、また挑戦して...。

そんなことを10年以上繰り返した私も、ちょっとずつ失敗とともに積み重ねた自信のおかげで

現在私は自分の会社を持ち、新しいパートナーとの生活で満たされた気持ちで暮らすに日々感謝している。


時々カフェで友人と、フランスのダメっぷりを揶揄しながらも、

結局は私はここでの生活が気に入っていて、まだしばらくはここで生活し続けるんだと思う。

繰り返すが、私のパリでの日常は全然キラキラはしてない。

でも毎日が愛おしいと思えるこの生活は、私の大事な宝物。



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