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中居正広の女性トラブルを聞いて、中居くんがかわいそうと思ってしまう話

このたびの件で、被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げます。被害者の方々が感じている痛みや苦しみは想像を絶するものであり、そのような行為は決して許されるものではありません。本記事は、被害者の思いを軽視するものではなく、事件の背景や社会的な課題について考える一助となることを目的としています。


怒りと失望の先にある『かわいそう』という感情

中居正広の件が報道される中で、多くの人は怒りや失望の感情を抱いているでしょう。
しかし、その一方で「かわいそう」と感じてしまう自分に気づき、戸惑いを覚える人もいるのではないでしょうか。
筆者もその一人です。

「なぜ彼がそのような行動を取るに至ったのか?」という問いがあり、それを探ることで事件の全体像がよりクリアになるのではないかと思います。

どんな行動にも理由がある

筆者はどんな凶悪犯にも背景や理由があったと考えます。そのため、単に加害者を非難するだけではなく、「なぜそのような行動に至ったのか」を探ることが重要だと思うのです。それは決して加害者を擁護するためではなく、同じような事件を繰り返さないために、私たちが学ぶべきことがあるからです。

中居正広の件においても、彼が犯した行動の背景にどのような環境や心理的な要因が影響していたのかを考えることで、社会全体として何を変えるべきか、どのようなサポートが必要かを見つける糸口になるのではないでしょうか。

力づくで押し潰すような報道と世論

一方で、今の社会では、性被害を犯した人に対して、上からプレス機で押し潰すように厳しい非難が浴びせられ、聞く耳を持たずにすべてを「悪」として扱う傾向があると感じます。
もちろん、性被害は許されるべき行為ではなく、加害者にはその責任を負う義務があります。しかし、すべてを非難一辺倒で終わらせてしまうと、問題の背景や原因に目を向ける機会を失い、結果的に社会が抱える根本的な課題を解決できなくなってしまいます。

私たちは、被害者への配慮と加害者への責任追及を重視しつつも、その両方を超えて事件の本質を見つめ直す視点を持つべきではないでしょうか。

環境が生む「加害性」— 中居正広の背景を見つめ直す

中居正広という一人の人間が、なぜこのような行動に至ったのか。その背後には、彼が生きてきた環境や周囲の影響があった可能性を考える必要があります。

15歳で今とは雰囲気が違う、閉鎖的な芸能界に入る。

中居正広が芸能界に入ったのは1987年。当時は今のようにインフルエンサーが存在せず、一般の人々が想像する以上に閉鎖的な環境でした。また、先人がまだ少ない時代であり、成功するための「正解」が明確ではなかったことが彼の生き方に影響を与えたのではないでしょうか。

芸能界という特殊な環境は、時に過剰なプレッシャーや孤立感を生み、それが人間関係や自己コントロールに影響を与えることもあります。こうした背景を考えずに、個人を単純に糾弾するだけでは問題の根本解決にはつながらないのではないでしょうか。

ジャニー喜多川氏の問題が映し出す、芸能界の歪んだ構造

ジャニー喜多川氏の性被害についても、多くの被害者が声を上げるようになり、ようやくその実態が明らかにされつつあります。

中居正広も、その閉鎖的な芸能界で若手として過ごす中で、こうした不健全な構造の影響を受けた可能性があります。彼自身が直接の被害者であったかどうかはわかりませんが、同じ環境にいた者として、その影響を無視することはできません。

そのような歪んだ環境は、彼らの精神的な健全さや価値観に大きな影響を与えたのではないでしょうか。

この問題を単に一部の加害者や被害者の話にとどめるのではなく、芸能界全体の構造的な問題として捉え直す必要があります。

ジャニー喜多川氏が築き上げた体制が、どのようにして現在まで続き、何を変えていくべきなのかを議論することが、これからの大きな課題です。

「責任」と「理解」

加害行為そのものは許されるべきではありません。
彼には罪を償う責任がありますが、我々には理解する力も必要だと考えます。

非難するだけでは、同じような事件が繰り返される可能性があります。被害者への寄り添いはもちろん重要ですが、同時に、加害者がその行動に至った背景を理解することも必要ではないでしょうか。これは加害者を擁護するのではなく、社会が同じ過ちを繰り返さないための視点を持つことにほかなりません。

中居正広の行動がどのように彼自身を追い詰めたのかを考えることで、私たちは新たな問題提起ができるはずです。

「かわいそう」と感じる理由とは?

この記事を通じて考えたのは、こうした理解もないまま報道され、非難されるだけでは問題が解決しないということです。
そして何より、そういった環境で人生のほとんどを過ごし、捻じ曲がった倫理観を持ってしまった彼自身の姿を思うと、やはり「かわいそうだ」と感じてしまいます。

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