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やっと気づいた母の気持ち

久しぶりに母が入院している病院へ見舞いに行った
少しづつ規制は解けてやっと対面で面会することができる様になってきた

病院の近くに流れる川の川沿いは桜並木になっていて幼い頃よく母と散歩したことを思い出していた

生憎、桜の開花が遅れて例年ならば見ごろに時期だがまだ蕾のままだった



母が脳梗塞で倒れたのも桜の便りが聞こえ始めた3月下旬だった

あれから4年・・・

母の体は以前の半分くらいの体重になって、鼻から入れた管で栄養を入れることで生命を維持している

元気な頃の見る影もなく痩せ衰えて、苦しいのか大きく口を開けて頭を左右に揺らしていた

15分間という限られた時間での面会

会話が出来でもなく、私からあれこれと近況を話してみたりする

間が持たず、よく歌ってあげていた「ふるさと」や最近ゴスペルのイベントで歌った「花」(春のうららの隅田川〜)
を小さめな声で歌ってみたり・・・

それに反応しながら顔をもたげ「帰る」とやっと聴こえるような掠れ声で必死に訴える母の姿を見ながら様々な思いが込み上げてきていた

鬱になり、カウンセリングを受ける中、生育歴を話すうちに母に対する嫌悪や恨み、悲しみ、怒りが沸き起こってきて距離を置いた時間があったこと

コネクションプラクティスやNVC,IFSという心の学びを重ねるうちに心の奥深くに眠っていたトラウマ、インナーチャイルドが目を覚まし訴えかけてくることでの葛藤

ようやく、鬱から這い上がり新しい目標に向かって歩き始めた矢先に母が倒れた、それと同じタイミングでコロナでのロックダウン・・・

そのことによって、避けてきた実家の課題と直面しなければならないことと心の葛藤で気が狂いそうになっていたこと

心の傷みと私という存在の意味、この世に生まれたことの役割についてずっと悩み、苦しみながら1つづつ玉ねぎの皮を剥くように解放していった4年間

そんな長い時間を経て、やっと母の本当の傷みや苦しみ、そして喜びに辿り着いた様に思う

母が常に大声で怒っていたこと、つい手が出てしまうことの奥にわかってもらえない悲しみや怒り、もどかしさなどが混在していたのかな

いつも、人の前に出てみんなを引っ張っていくような存在だった母は、誰よりも甘えん坊で寂しがりやで臆病だったこと

それを隠すように強さを強調していたのだろう・・・

私が娘を心の拠り所としていたように、母も私のことを心の拠り所にしていたことをだいぶ時間が経って、お世話になったおばさんに教えてもらったこと

私のことをだめだと厳しくしていたけれど、見えないところで自慢していたこと

愛情というものは、美しいばかりではなく、歪んでいたり、偏っていたり、不器用すぎる母の愛を受け止めきれなかった子供の頃

母となり、さらに厳しい目で母をジャッジすることで母という役割の支えにしていたこと

全てがかき混ぜられながら統合していくかのように私の中に飛び込んできた

母が旅立つ前に気づくことができてよかった

もう、前のように会話することはできないけれど残された時間を大切に
母の不器用すぎる愛を抱きしめながら過ごせたら

全てのことが浄化されていくのかもしれない



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