この世で出逢ったことのないあの子との再会#04~やっぱり確かめたい~
前回記事の続きです。
1.やっぱり気になっていたところに知る機会がやってきた
群山(군산)の旅行から帰ってきた後も、かわいい赤ちゃんの存在が気になっていました。いるか、いないかという問題ではなく、いるということを前提として、それが誰なのかを知りたいと思っていたのです。
もちろん私が生まれる前に流産した兄だろうとは考えていましたが、この時点ではただの想像ーー、いや、妄想?に過ぎません。しかし、同じように別の巫堂(무당)に行って見てもらうのは違うと思っていました。
ただ実際のところ、気になりはするものの、積極的に確認しようとはしていませんでした。ご縁があれば・・・という程度。そもそも知る必要があるのであれば、自分から探さなくても、機会はいつか自然にやって来るものだろうと考えていたのです。
ーーそして、約5年の時が過ぎ、その機会がやって来ます。
ここでの詳細は省きますが、友人の紹介で、霊視鑑定をしてもらえることになりました。
2.最初から決めてきた
霊視を行うM氏は、豪快でさっぱりとした性格の持ち主で、こういう人と友達になったら楽しいだろうなとさえ思わせるような居心地の良さがありました。
私は「以前、赤ちゃんが憑いていると言われたことがあるのですが、今もいるのでしょうか」と、訊きました。すると、非常にあっさりとした返事が来たのです。
「うん、いますよ~。あなたのお兄さんでしょ」
ほ。
私は、やっぱりそうだったのかと思うよりも、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまいました。そのせいか、他に尋ねることはなかったかと考えを巡らせてはみましたが、特に思い浮かぶことはありません。
あとは、自分が信じるかどうかというだけの話です。
長年の疑問も意外にもあっさりと終わってしまうものだなと思っていたところ、M氏はこう話し始めました。
「2人は前世でも兄妹(きょうだい)だったわよ」
な・・・・ぬ!?
私たちは、今世だけの関係ではなかったというのです。
兄と妹なのか、それとも、兄と弟なのかは分かりませんが、M氏の話し方からすると、兄妹の可能性が高かったと思います。
さらにこう言われました。
「流産する子は、最初から決めて来ることが多いのよね。お兄さんの場合もそうだったみたいよ。最初から、お腹の中で亡くなるって決めてたみたい。その方が、あなたのことを守りやすいから」
・・・・・・え?
「ほら、上にいた方が守りやすかったりするのよね。共に生きるのもひとつの選択だけど、今回は上にいる方があなたのことを守れると思って、流産することを選んだそうよ」
ーーああ・・・・。
この瞬間、私には「守るため」の意味が分かりました。
昔、14歳で死のうとしたとき、特に、意識を失っていたあの間、上の世界ではこの子が私を助けようとしてくれていたのです。
別にM氏にそう言われたわけではありませんが(実際、昔の話は一切しませんでしたが)、そうに違いないと思いました。
そして、第1話の冒頭に戻りますが、人生の所々で守られていると感じていたのは、やはりこの子がいたからなのだと思ったのです。小さい頃からの夢のひとつが、いろんな国に住むことでした。海外を回るのです。そりゃあ上にいて、私に憑いていた方が守りやすい・・・。
そう考えると、10年以上も海外にいて、一度もホームシックになったことがないということにも、納得がいったのです。見守ってくれている人がいたので、寂しいなんて感じることはなかったのでしょう。・・・多分ね。
M氏は言います。
「たまにでいいから、話し掛けてあげると喜ぶわよ。あなたに気づいてもらえるのが嬉しいみたい」
えー、なにそのかわいい話~(きゃっきゃっ)。
「ただ話し掛けるのも難しいだろうから、名前を付けて呼んであげると良いと思うんだけど・・・。どんな名前が良いか訊いてみようか」
うんうん。
すると、「海」や「青」や「水」の印象を持つ名前が好きだと教えてくれました。
おっけー、分かったよ。それで考えてみる。
ーー家に帰ると、言われたことを忘れないように日記に書き記しました。
もちろん、名前も決めました。
が、どんな名前にしたのかは、心の中に閉まっておくことにしますね。
3.それから、今でも思うこと
それからというもの、しばしばこう思うようになりました。
この人生は、私だけのものじゃないんだなあ・・・。
人は独りで生きていけないといいますが、それは、この世界で起きていることだけではないのだと思います。もっと広くて深い、私たちの理解が及ばないような範囲で、私たちは守られているのです。
下記は、私の大好きなクリエイターさんのウリ子さんが書かれた、大好きな記事です。「この人生は自分で脚本を書いてきたんじゃないだろうか」というお話です。
私も、自分の人生は、自分で脚本を書いて来たのだと思うのです。
ただ、私には分かりませんが、その脚本は、一言一句細かく書かれているというよりは、青写真のようなものなのかもしれません。そして、作成の際には自分だけでなく、守護霊と呼ばれる方々やかわいい赤ちゃんのような子もいたのではないかと思うのです。相談役、または、顧問とでもいいましょうか。
この人生での主役は自分だ!と、主張することもできるかもしれません。
しかし、むしろ私はこう思うのです。
ひょっとしたら、自分はあくまでも色んな存在の代表として、あるいは、もっと巨大な何かの一部として、今ここにいるだけなのかもしれない、と。
(おわり)
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
心より、深く感謝申し上げます。
アリが十匹、ありがとう😊
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