ジョギングの先にあったのは諸行無常
それを、ジョギングと表していいものかどうかという問題はあります。
なぜかというと途中で、それもまあまあ頻繁に歩くからです。ランニングでないことは確かですし、正直なところ、半分以上は歩いていると訝しまれてもおかしくないような割合で「走って」いますので、ウォーキングと言われても支障ないわけですが、それでも確実に歩いているのとは異なると自負しておりますので、ここではジョギングということにしたいと思います。
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いたずら書きのはずなのに、決して悪い気はしないのは、お腹にある言葉のせいかもしれません。
走っていても、歩いていても、必ず見てしまいます。知っているのに、いや知っているからこそ、「消されていませんようにーー」という想いで見るのかもしれません。
ウサギなのか、別の何かなのか。
背中に生えている3つのもこもこは羽でしょうか。顔の中央にある饅頭のようなやつは鼻として、そこから出ているクジラの潮のような線はヒゲか、それともただのシワか。そんなことを考えたところで、こやつは確かにこの世の生き物ではないのです。
正体不明の変なヤツ。
そいつが
「そんなに悲しむなよ」
なんて言うものだから、
正体不明の
変なヤツの
言葉だけれど、
別に悲しいわけじゃ
ないけれど、
とりあえずは
悲しまないでおこうと
そう思ったよ。
◆◆
ここ数か月、漢江に来る度に巨大オブジェクトが増えていました。
野外美術館でも目指しているのでしょうか。いいと思いますよ、ええ。私は大賛成です。なんてったって、アートは人生を豊かにするものですから。ふと訪れた場所に、意味の分からない、四角く巨大な置物があったっていいじゃないですか。「何だこれ?」と思ったものはすべて、「アート」という一言で片付くものですよ。
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それなのに、先週行った時にはオブジェクトは撤去されていました。あんなにデカかったヤツらは、一体全体どこへやら。巨大小銭入れなんて、せいぜい2,3週間くらいしか展示されていませんでした。
そこで思うのは、諸行無常。
自然が創り出したもの、人が創り出したもの、すべては移り変わり、やがては消滅していくのです。
あの時に、これを最後にもう2度と鑑賞できないと知っていれば、四角いあいつとの時間を、もう少しだけ割いていたかもしれない・・・なんてことは一切思いませんが、あいつはもう、ここにはいないのです。
いなくなることに理由があれば、ないこともあるでしょう。あったとしても、知る必要はないのかもしれません。しかし、私には分かったのです。というか、予感していました。オブジェクトが無くなった理由ーー。
それは、噴水の季節がやって来たから!
時刻はちょうど午後5時。音楽とともに、何本もの水柱が勢いよく、次々に地面から飛び出してきました。
5月から10月までこの場所では噴水を楽しむことができます。寒い季節には噴水がないので、代わりにアートオブジェクトを飾っていたのでしょう。個人的には、噴水の有無に関わらず置いてほしいと思いましたが、風向きによっては作品が濡れてしまう可能性もあるので、仕方のないことなのかもしれません。とは言いつつも、野外にある時点で、濡れても問題ない作品だとは思うのですが・・・。
◆◆◆
いつもと同じ道をジョギングし、その先に在ったのは諸行無常。
同じだけれど、同じじゃないんです。道端に生えている草花も変われば、風の香りも、すれ違う人たちも、連れられている犬の種類も変わります。
少し前まではポメラニアンやマルチーズ、ビション・フリーゼが多かったように思います。最近は柴犬やドーベルマン、毛がほとんどないつるっつるの細長い、賢そうな犬も見掛けます。飼い犬も多様化し、移り変わっているのですね、ええ。
ではでは。
どろん!
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