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「気にしても仕方ないことを気にしない」って難しい

「気にしても仕方ないことを気にしない」

って難しいよねっていう話。僕は精神を安定させる上で、「気にしても仕方ないことを気にしない」ことがすごく大切だと思っています。

その着想に至った背景

僕がこの着想に至った背景の一つに、中学生ぐらいから現在まで継続している目の病気があります。幸い生活を送る上で大きな影響はありませんが、常に厄介な症状に悩まされ続け、特に高校時代はしんどかった記憶があります。

その他、もともと自分自身がメンタルの好不調の波が激しいということ(最近になってようやくかなりコントロールできるようになった)や、いわゆる「メンヘラ」的な人をよく見てきたことも影響していると思います。

そのような事情から僕は「まず自分が幸せであることが一番大事である」と考えるようになりました。そのため、いくら悩んでも自力ではどうしようもないもの・自分の課題ではないもの(=治療法がないことや出自等)を嘆くことは自らの幸せに寄与しない→合理的に考えて生産性のある行為ではないためそこにリソースを割くのはもったいないという考えを抱くようになりました。

その代わりに、「気にして意味があること」は気にする

その代わりに、自らの幸せに寄与しそうなことを考えたり、実行したりすることに自分のリソースを使うことを提案します。

前述の病気の例で言うならば、海外で手術を受けられるようにお金を貯めたり、技術の発展のために投資したり、もしくは自分自身が医者になることが可能性として考えられます。ハードルは少し高いかもしれませんが、ただ「悩んで病むこと」よりは少しでも自分が幸せになれる可能性がある行動であるため、意義があると思っています。

未来に繋がる形での日々の反省も「気にして意味があること」だと思います。PDCAサイクル(Plan→Do→Check→Action:計画を立て実行し、振り返り改善する)も最近では古いと言われるようになった(トレンドに乗り辛い)とはいえ、多くの企業で重宝される社会人の基本的スキルであるため出来るに越したことはないと考えています。「昨日の自分よりも出来ることを増やす」のは一番シンプルな成長の形です。だから、普段の反省点や目標はこまめにプライベートノートに記して、気にする習慣を付けるようにしています。

とはいえ、「気にしても仕方ないことを気にしない」のは難しいよね

このように、「気にしても仕方ないことは気にしない」ことが僕の主義の一つです。しかし、実際にはよりしんどい状況にある人のそれぞれの事情を考慮できていないことも事実です。今の僕がある程度社会的に安定し(現代社会で安定などないとはいえ)、恵まれた状況にいるからこそ言えることだとも思っています。

「気にしても仕方ないことなのかもしれないけど、気にせざるを得ない」という気持ちも分かります。それができる人は繊細で優しいんだろうと思います。ただ、自分にできるMAXの幸福度を叩き出すためには、気にしても仕方ないことは気にしないことが合理的には正解だと思うのです。

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