見出し画像

ことばの呪いを受けないようにー一連の炎上騒動を受けてー

この一週間、炎上関連のニュースをよく目にした。

自分の場合、そのほとんどはインターネット(youtube, ニュース)を経由して知った。

人を傷つける発言、行為、差別、ハラスメント。直接被害を被った関係者が抗議するのは当然と思うし、世の中が間違ったことに対して声を上げていくことは大切だと思う。

恥ずかしながら、テレビ番組「スッキリ」(3月12日付)での「アイヌ」と「犬」の炎上事件を受けてから自分で調べてみて、はじめて犬を用いた蔑称が歴史的に使われてきていた、ということを知った。

最近では河村市長の金メダル噛み事件があったが、新型コロナウイルス感染の問題、本人の同意がないままに選手にとって重大なものを軽々しく口に入れる行為自体の無神経さが、反省が全く見られないことなどが深刻な問題であるのは当然として、当人同士の謝罪、もしくは賠償で解決するべきではないか?と思った。(報道機関を通じて世間に謝罪すること、後藤選手の心情も知らずに匿名の第三者が勝手に叩くことはあまり意図が理解できない。)

個人の立場としては、このような炎上騒動を見ることについて、どのようなことが現代社会では問題となるのか、価値観がアップデートできていないところはアップデートしなければいけないよう戒めとする、という機会になる点は良いが、単に悪意の込められた悪口を目にする機会が増える、という点で悪影響の方が大きいと考えている。

結論として、大好きなyoutubeがサジェストしてきても炎上系は開かない、 ということにしようと思う。


養老先生が『占いに耳を貸したくない』とおっしゃっていたのを思い出した。

その理由は、その占いがあたっていようがいまいが、私たちは何らかの影響を必ず受けてしまい、その影響を受けたくないから、ということであった。

根拠があろうがなかろうが言われれば気になる、そのためには見ないのが一番良い、ということであった。 

下記、20世紀初頭、哲学者アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)「幸福論」から引用である。

人がもっとも不安や恐怖感を覚えるのは 想像しているときだ。
そんな想像の材料をたつ行為と与えてくれるのが 占いというやつだ。
占い師からどんなことを言われても、
そのときから期待や恐怖、要するに動揺が始まる。
その動揺や人を苦しめるのに充分な力を持っている。
また動揺は、人の眼を現実から遠ざけさせる。
現実をよく見なければ、現実の出来事に上手に対応できなくなる。
現実がうまくいかなければ、不安と恐怖はさらに倍加する。
 
占いは こうして人をがんじがらめに縛り、
あらぬ妄想と恐怖をこれでもかと植え付け、
現実に対して臆病にさせ、未来はほぼ確定されているという虚偽で塗りかため、
ついにその人をほろぼしてしまう。
その力は天災よりも強い。
 
だから、占いなどに耳を貸さず、まともな考え方をするようにしなければならない。
つまり、未来はまだ微塵も事実ではなく、
未来を事実として決定づけるのは いつも自分の行いなのだということを
常識としなければならないだろう。

有意義な時間の使い方について考えてみようと思う。

この記事が参加している募集

スキしてみて

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?