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ポテサラ論争とは

ポテトサラダは、あんころもちと似ています。

あんころもちとは「餡衣餅」が転じた言葉です。お餅が小豆の餡という衣をまとった和菓子。その衣である「あんこ」を巡っては、これまで2大勢力が争いを続けてきました。

つぶあん派と、こしあん派です。

その抗争の行方を、唇を噛みながら見つめる者がいます。


そう、ポテサラです。


ポテサラ界にも2大勢力がいます。
つぶポテ派と、こしポテ派。


「ポテサラ論争」というのはこの2派の争いだ、というのは、半分正解で半分誤りです。

2020年、Twitterで37万件のいいねがついた、
別の「ポテサラ論争」があります

総菜コーナーでの目撃談。ポテサラを買おうとした幼児連れの女性が、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われていたというツイート。

この発言をした方は、ポテサラのことを全く理解していないのでしょう。


ポテサラは、究極に悩ましい家庭料理です。

ピクニックにいく前日、彼女から「ポテサラ作ってくるね」なんてLINEが来ると、思わず首の後ろを擦ってしまいます。

つぶポテ派か、こしポテ派か。
しっとり派か、ホクホク派か。

具材はなんだろう。
ハム・きゅうり・にんじんのクラシカル?
明太子・鰹節をいれた和風モダン?

相手の好みにバチッとハマるポテサラは、なかなか一朝一夕に完成しません。


そしてポテサラは、作る上でも悩ましい

じゃがいもに火を通すのに時間がかかる。
あつあつのじゃがいもは、皮を剥くのも一苦労。人参は生のままだと歯触りが強すぎる。
きゅうりは塩もみしないと水が出る。

ああ、悩ましい。

「ゆで卵ごろごろ派」の方や、「ハムと玉ねぎ先に炒め派」の方は、更に工程が増えます。

たくさんの「悩ましい」をくぐり抜け完成したポテサラ。それを食卓に並べたところで、ふと気付くんです。

メインディッシュにもならないじゃないか!!


「ポテサラが食べたい!」なんて軽々しく言ってはいけません。

「ポテトサラダを作っていただけませんか…?」

これくらいが妥当です。


スーパーにおける「ポテサラ論争」。「ポテサラくらい作ったらどうだ」に対しては、同じくTwitterで最適解が出されていました。

この貼り紙、なんとポテサラ論争「以前」から貼っていたというから驚きです。


冒頭の、つぶvsこしの「ポテサラ論争」
人類の永遠のテーマ。終わりの見えない、長いトンネルです。

このトンネルから抜け出すヒントが、意外なところにありました。それが「あんころもち」です。

あんこの材料となる小豆は秋に穫れます。皮が柔らかい穫れたての小豆は、ぽってりとした食感を活かしてつぶあんに。冬を越してかたくなった小豆は、皮を取って滑らかな舌触りのこしあんに。


ポテサラも同じです。素材の特徴によって使い分ければ良いのです。技術が進歩した今は、時期に左右されずに好きな種類の素材を選べます。


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(出典:CalbeeじゃがいもDiary)

きめが細かくねっとりした粘質の「メークイン」は”こしポテ”に、ホクホクとした食感とじゃがいもの風味が強い「男爵」は”つぶポテ”に。


具材はどうするか。
作る人の、好きな食材を入れましょうよ!

他のサラダよりも、何倍も手間暇かけて作るんです。ピクニックに持っていって、「ツナ入りじゃなくて普通が良かった」なんて言うやつの口には、唐揚げ4個イッキに詰め込んでやりましょう!

「ポテサラ作ってくれてありがとうございます、だよね?…ね?」と。リアル・ポテサラ論争。



素材の特徴を活かしながら、食材と食材の掛け合わせを楽しむ。そこに少しの遊び心と、たっぷりの愛情を加えて作る、過保護で悩ましいサラダ。

手作りだろうと、スーパーのお惣菜だろうと、その時折のポテサラをたのしむこと。それがポテサラに対する、ぼくたちなりの誠意だと思うんです。


ポテサラに携わる、すべての人に感謝を込めて。


ぽてきち


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