マガジンのカバー画像

『エッセイのまち』の仲間で作る共同運営マガジン

4,016
メンバーシップ『エッセイのまち』の仲間が見つけたステキなエッセイを保存しています。メンバーの方は、他の方、もしくはご自身のエッセイを自由に追加してください。(エッセイ以外は掲示板… もっと読む
運営しているクリエイター

#note

じんせいを人生と書いてみたい、8日間だった。

ずっとnoteもおやすみしていて。 メンタルも弱っていて。 メンタル補強してからじゃないと、泣き言を書いてしまいそうなので。 その機会を待っていました。 母の介護。 やっと8日目を迎えられました。 まだ新米の新米だからなんもいえねーわけですが。 思ったよりはしんどくはなかったのに。 労働的に。 でもしんどかったのは、心でした。 作業の合間に、そのぽっかりした余白に 泣きそうになったり。 こらえたり。 みなさんこういう時間を過ごしているんだろうなって想像してみ

わたしにnoteを、妹にラジオを / 姉妹ラジオはじめました

noteを始めてよかったことは何か。 そう聞かれたら、多分わたしは「思ったことを発信できる居場所ができたこと」と答える。 他にもいろいろ答えるだろうけど、これは外さない気がする。 noteを始めて丸3年。もうすっかり、noteは思ったことを書いていい場所になっている。 最近は他の人に読まれるのはちょっと気が引ける文章も投稿するようになった。 例えば、このネガティブ全開のnote。 ひとり部屋のすみで膝を抱えて、もう、なにもしたくないと丸まる日を書いた。 こんなこ

「祝note10周年」 もしかしたら向き合い方を真剣に見つめ直す時が来たのだろうか

《連続1739日目!》 この記事の衝撃がなかなか凄まじくて・・・ 今日1日、考え込んでしまった。 ・・・・・・・・・ noteがサービス開始10周年となったとのことで、クリエイターエコノミーの成長とそれに伴う情報発信やコミュニケーションの変化を記事にしてくれている。 (10周年おめでとうございます!) 普段からnoteの街に接している自分にとっても、noteのサービスが発展し、世の中にクリエイターが発信できる場を作ってくれていることは本当に感謝しかない。 きっと周り

もっと助け合える世界がいいな。なんでそもそもこれを書こうとしたのか、そう思ったのか、書いてみた。

2024/03/28 10:30〜11:20 近所のドトールでアメリカン(M)を飲みながら 3500文字 何を書きたいのか いきなりだけど、最近なにを書こうか結構考え込む。でも、結局やるのは「アウトプットシリーズ」。 なんでかって?過去に自分が読んで、いいね〜と思った記事の内容を振り返りながら、もう一度噛みしめる感覚が幸せだから。性格的に、取りこぼしたくないし、全部全部欲張りたい。そして、なんらかの形にしたい。もったいないマインドがすごい。 人間の脳って上手く出来てて

noteがなければ、家族と出会い直せなかったかもしれない。

今日noteがはじまって10周年だと知った。 10年前にはnoteを知らなかった。 SNSにはなにひとつ手をださないで 過ごしていた。 スマホさえ持っていなかった頃だ。 もう誰かと関わるのも嫌だったし。 なにか無性に傷つきたくなくて、なにも やらないでただホームページに頼まれた 文章だけを書いていた。 ここに来たのはあの感染症のせいだけど。 それでも2020年に来て今2024年までこの 飽き性のわたしがいるなんてちょっと びっくりしている。 わたしの個人的な問題の

その日の気持ちも映りこんでいる、スマホの写真たち。

SNSではプライベートで、ご飯を撮って 投稿するということが今は当たり前だけれど。 2022年からTwitterを始めた頃はちょっと 慣れていなかった。 昔はまわりの若い子たちはいち早くみんな、 Twitterやインスタをやっていたので。 お昼に一緒に行くと、今まで喋っていたのに。 お料理が届いたらぷつんと静かになる。 被写体を美しく撮ろうと彼女たちの 眼差しは必死だった。 食べる前に写真を撮ってそれをポスト するって不思議な行為だなってSNSやらない わたしはず

改めまして自己紹介

noteさんが、自己紹介のテンプレートを出してくれていたので、今さらながら少しですが自己紹介を。 初めて遊びに来てくれた方にも、こんな人か、と分かっていただけると嬉しいです♡ 自分のこと sora と申します。 本名ではありません☺️ noteを初めたきっかけを話すのは初めてですが、今日はそこからお話しします。 その頃、友人が癌になりnoteに闘病記を書いていました。 私はただ読むだけで、なかなかコメントが出来ませんでした。 それなら、私もnoteを初めてみようと思

初めましての方もお馴染みさんも。

もうすぐ4月。noteから「自己紹介」を書いてみたらいかが?なんて提案を頂いたので、書いてみることにする。出来の良い自己紹介代わりの記事をトップに貼っていたのだけど、代わりにここに置いておこうと思う。 名前 Blue Jam(ぶるーじゃむ) 茨城出身・在住。SNSでは語れない、語りきれない本音をnoteに綴っています。モノゴトを様々な方向から書いていますので、「多様な価値観」の一つとして参考になれば幸いです。由来はご想像にお任せします。 SNSアカウント Twitte

まちがいを愛してる人生。#吞みながら書きました。

マリナ油森さんの企画が大好きで。 #吞みながら書きました このお知らせnoteがマリナさんから 発信されるたびにわたしには 吞み書きがあったじゃないかという どこか安堵感に満たされるわけです。 なんせ誤字もオッケーってところも気に入ってる わけで、 この解放感は日頃のnoteになkて. なくて。 人間まちがわない人よりも、まちがいだらけの 人のほうが愛せる。 愛したい。 愛して。 わたしも生まれてきたのがまちがいやったんや ないかっていうこと何度もありました

家族って減点ゲームじゃなかったんだと、知った。

熱い心はもうどこかに置いて きたのかもしれない。 昔もっていたかもしれない野心とか 負けん気とか。 熱すぎたり、自己顕示欲が過ぎたりして 自分のバランスを崩しがちだった あの頃からしたら今はとても 静かな心なのかもしれない。 母が倒れてから、日常がすこしずつ変わって いった。 ふたり暮らしが独り暮らしになった。 ごみの量が減った。 電気代も半分になった。 新聞を読むのがわたしだけになった。 咳をしてもひとりになった。 プチ断捨離をしていたら不燃ごみが ふえていった。

ずっと続いてほしかったエンドロール。

わたしの好きなドラマ、「カルテット」。 夢がかないそうで叶わない。 いつまでこんなことやってるんだっていう 想いにも駆られながらも、夢にピリオドを 打つことを止めにした彼らが好きだった。 一緒に下る坂を下ろうぜみたいな。 四重奏楽団カルテットを組んだ男女4人の 物語。 脚本の坂元裕二さん好きな人には馴染み すぎているぐらいの 台詞だけど。 泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます。 っていうのがある。 主人公のマキさん(松たか子)が、いろいろありすぎた

気がつくと、記憶も一緒に包んでいた。

餃子のことほんとうはちょっとうっかり 忘れていた。 存在があたりまえすぎて、わたしの視界から しばらく消えていたけれど。 昔餃子、食いに行きませんか?って誘われて 仕事帰りに行った餃子しか置いていない大阪の 繁華街の東商店街のお店はバリ美味かったの だけど。 でもその美味しさはちょっとよそんちの美味しさで。 外で食べる餃子と家で食べる餃子は似て非なる ものだと思ったりした。 そして餃子と縁があるのか否か。 この数か月、餃子はわたしのなかで ありありと輪郭線をもちは

雨の日の図書館とことばたち。

若い頃は本が嫌いだった。 唯一読めるのは谷崎潤一郎の『痴人の愛』 だけだった。 それが中学生のはじめの頃。 きっかけは、この原作をわたしが通っていた 卒業生の方が女優になられて演じたことが きっかけだった。 本を後に回して、キネマ旬報のシナリオから 読んだら、はまった。 字だけなのに映像がもう動いている世界って おもろいなって思って、夢中になって 学校から帰ると部屋にこもって読んでいた。 それから原作の『痴人の愛』をこっそり買った。 わたしは家族の中で誰よりも本

アカウントひとつ消したら「じぶん」が戻ってきた。

アカウントというものをはじめて持った時の ふしぎな感覚をまだ覚えていたりする。 本名を消したくて、アカウントを作ったので どっちかというと、もうひとりの自分みたいで 心地よかった。 ちょっとした逃げ場所みたいに考えていた。 でも時間が経つと、逃げ場所でSNSをやっている とそこは日常のいつもの場所になってゆく。 そしてキャラもTwitterならTwitterのなかの わたしであり。 noteで言えばnoteのなかのわたしになってゆく。 それはそれで楽しかった。