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No.5 神 2023年1月

“なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる 〈 西行 〉
“あはれわが思ひの山をつき(築き)おかば富士の高根も麓ならまし 〈 藤原為家 〉新年明けましておめでとうございます。
皆さん新たな気持ちで令和五年を迎えられたことと思います。 一月(正月)は、初詣、門松・しめ縄飾り、お屠蘇、鏡開き等、我々日本人にとって、一年で最も「神様」を身近に感じることの多い季節だと思います。 また古来、縁起の良い初夢を「一富士 二鷹 三茄子」と言いますが、空気の澄み渡る真冬の富士山に神々しいエネルギーを感じ、思わず拝みたくなる季節でもあります。

一つめの歌は、元北面の武士佐藤義清がライフシフトして出家し吟遊歌人 西行となり伊勢参りをした時に詠んだ歌です。 この感覚は皆さんも寺社仏閣の聖域や大自然の真っただ中等様々なシーンで感じた経験があろうかと思います。 一神教信者の少ない日本人にとっては、誰しもがどこか懐かしく共感できる感覚ではないでしょうか? 二つめの歌は、源実朝の和歌の師でもあった藤原定家の三男藤原為家の歌です。 こちらはおわかりかもしれませんが、実は恋の歌です。 しかし、見方を変えれば、自分の夢や思いは重ねていけば、あの富士山よりも高くなるのだという覚悟の歌にも聞こえます。 日本人は正月を節目として、新たな意思や新たな人生を刻みアップデートすることを習わしとしてきました。とりわけ、静謐な空間や芸術の前では、あらゆる事象や細部に神が宿るのを見出し、自らをそれに同期させてきたのです。時には霊峰富士に比して象徴的に、思いや感情の高さや深さを表現してきたのです。そこには、直観的に神性と感じる存在に包まれて祈る気持ちや誓う心の発露がありました。
主体には、それを存在たらしめる大きな客体や絶対的存在がインスピレーションとして必要なのかもしれません。
近似的には、原始アニミズムはもとより、 17 世紀以降の欧州でも、ユダヤ教・キリスト教と訣別したスピノザに代表されるように、精神と肉体、自然や物体も神の属性であり延長と見る汎神論、「神即自然」という主張があったことは注目されます。

冬の晴れた夕暮れには、私が育った鎌倉・七里ガ浜から西に右の様な景色を望めます。西方浄土への畏敬と憧憬は、確かに今も頼朝・政子 の時代同様に偲ぶことができるのです。

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