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「守りながら、攻める」、選択の先に見つけた感覚とは

「師匠」と呼べる存在との出会い、そして突然訪れた「起業」という選択肢。

僕は1976年にダウンタウンで有名な尼崎市で生まれ、小学校1年生まで尼崎、2年生で奈良県に引っ越し、生駒郡で過ごしていました。
町立小中学校で過ごし、高校は郡山市の郡山高校に進学しました。奈良県で一番古い高校ですね。ただ、奈良県では知ってる方が多い高校かもしれません。進学校なので(笑)
そこから2浪して徳島大学に進学し、そこでは工学部情報工学科に在籍しました。

僕の学生時代はいたって普通の大学生。アルバイトはレストランバーのホールとバーテンダーもしていた。
そこで「師匠」と慕う人物と出会うことになります。その人がいなければ間違いなく僕は起業していないと思っている。

そんな出会いを経て、大学卒業後はTIS株式会社に就職。
その後は、外資系のIT企業に転職し、200名規模の大阪中小企業の中のコンサルティング部に2度目の転職を果たす。

ここで情報セキュリティコンサルタントのキャリアを歩み始めることに。
ここでコンサルタントとして、2年弱勤務していた。当時はコンサルティング部の部長と僕の二人で仕事していた。
そんな中・・・
ある時期に部長が独立することになり、僕は事業部で一人ぼっちになってしまった。

「1人事業部っていけんのかな?」みたいな不安を持ちながら、社内で相談してみると、「1人はちょっときついかもしれない・・・」という返答がきたことを今でも覚えています。
当時の僕の選択肢は2つ。1つは別の部署に移り、システムの仕事をする。
2つ目は、自分で独立する。今思い返すと、なかなか刺激的な選択肢だ。
僕は、自分のこれまでやってきた経験を信じ、独立する道を選んだ。当時30歳だった。

「リーガルリスクマネジメント」創業、そして創業メンバーとの別れ。

起業時は、フリーランスでやろうと思ったのだが、当時仲良くしていた3人で創業することになる。
これが今のLRM株式会社です。
ただ、創業メンバーの3人で仕事したのは数カ月・・・すぐに解散することになってしまいました。
この辺りは、ここで話すと長くなるのでまた別のnoteで書いていこうと思う。
当日、3人で決めた最初の社名は「リーガルリスクマネジメント」だ。

しかし、創業間もなくして2人が卒業した、ことは前述通りである。
社名もどうしたものかと、当時は考えていた。「リーガル」にこだわりがあるわけでもなく・・・
とはいっても、お客様もいたので、とりあえず略称で「LRM株式会社」にした。
(今思うと、安易に決めたな~とつくづく思う。社名に関してゆっくり考える時間が取れなかったのが一番の理由ですが)
社名をLRMに決めた後も、この「LRM」に意味をつけるか、の議論もあったのだが今でも進んでいない。
この辺りは、読者の中にもご共感頂ける方もいるのではないだろうか。
起業して、50名規模の会社になる上では色々紆余曲折あるものだ。

「お客様に合わせて、自由に提案したい」そんな想いの実現のために、突き進む。

なので、ほぼ会社は一人ではじめたようなものだ。営業もしたことないのところからスタート。
最初は営業を外部と連携し、下請けみたいな形で進めていくことにした。下請けのコンサルタントとして案件を回していた形だ。

ただ、僕は基本的には下請けではなく、元請けの仕事がしたかった。
コンサルタントとして仕事をしていきたかったし、お客様に合わせて、色々な提案をしたかった。
それ下請けではなかなかできない・・・。
ニュートラルな立場で、様々な選択肢がある中で、これが一番いいんじゃないかと思うのを提案したい。
その為には自分がプライマリーでやるのが一番分かり易い。

なので、最初に採用した社員はホームページを作る担当者。コネなし、実績なし、金なしの状態でお客さんを取ろうと思っても、営業もしたことない自分には限界がある。
営業の仕方もわからないので、当時のトレンドである「インターネット」から攻めていくしかないなと思った。
当時からインターネットの力は感じていたので、そうであればホームページからお客様を獲得していこうと考え、この仕事をメインで任せる社員を採用することに決めた。
外注に任せる気はなかったので、正社員として、だ。
それが実質1人目の社員ということになる。(創業から数えると4人目だが)
2008年、起業して3期目のときだ。

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“戦略的に、自分だから勝負できる“領域を選んだ。それが情報セキュリティ分野。

実は、2社目を辞める時に、エンジニアという軸からコンサルタントに軸を切り替えた。
その一番大きな理由は、当日、大前研一さんの書籍をよく読んでいたからだ。
昔から、漠然と、「コンサルっていいな」とは思っていた。
それには背景があり、バーテンダー時代のことだ。バーテンダーはお客様の話を聞き、お客様に合わせて飲み物を提供する。
僕はこのような、「お客様の想いに合わせて、情報を提供する」ことに喜びを感じるなと。
そんなことを仕事にしたいと考えた時に、コンサルはそうだと思ったことを今でも覚えている。

最初にパット思い浮かんだのはITコンサルだったが、SEとそれほど変わらないという印象があった。
では「経営コンサルか?」と。

いや、大前研一さんみたいにはなれないし、できるわけないというのが正直な気持ちだった(笑)
そんな業界の大物がいる所では勝負したくなかったので、地味な領域を狙っていくことにした。
(人がどんどん参入してくるところだと、自分は勝てないなと・・)

当時の僕は20代後半。

「僕でもコンサルタントとして通用するところ、今後伸びていきそうだけど、地味だから、誰も参入してこない領域はどこか?」
こんなことを考えていた時に、「情報セキュリティ」という領域を見つけることになる。当時は個人情報保護法施行前なので誰もこないだろうという算段で、この領域で勝負しようと決めた。

「自分の経験も活かしながらだと、いけるのでは?」
「食いっぱぐれることもないだろう!」
「20代だけど、新しい情報セキュリティの分野だから案外話を聞いてもらえるのではないか?」そんなことを思っていた。
先見性を持ちながら、この「情報セキュリティ」という領域を選んだわけではなく・・・
守りの領域の方が、自分の性格が明るいので目立ちやすいかなという考えもあり、
総じて、打算的に領域を選んだというのが正直な所だ。

「情報セキュリティ」がこれほどまでにうたわれると思ってもみなかった。
今となっては、当時の選択を正しかったと思えるし、本当に良かったと思っている。

「セキュリティ」に対する一般論に”あえて”逆光することで見えた景色がある。

弊社の経営理念「SecurityDiet」に繋がるのだが、セキュリティは守りましょうが、前提になっている。
会社が情報セキュリティをやるには、ビジネスをする、会社を大きくする、金もうけするためにやるというのがよく語られる文脈だ。
それも勿論正しい。
僕はこの情報セキュリティに対して、常々思っていることがある。
「より安心、安全にガンガン情報を使いやすくすることが自分にとって情報セキュリティである」ということだ。

セキュリティという「守り」とは真逆の「攻める」という考え方を事業の中心に置きながら、事業を創ることができたのでお客様が着いてきてくれたのかなと思う。この「守りながら、攻める」という感覚はいつも大事にしている。

この「情報セキュリティ」の領域は、企業にとって守るべき部分と、攻めるべき部分の塩梅が非常に大切だなと。我々LRMはそのバランスを意識したコンサルティングを実施していったことで、多くのお客様にご支持頂けたのではないかなと。

とここまでつらつらと書いてきたが、ここで筆を置こうと思う。
次回はより経営理念に触れながら、2本目のnoteを書く予定です!

乞うご期待!それでは、次回のnoteでお会いしましょう!

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