昨今の”スペシャリスト志向”は不幸な人を増やすかもしれない

こんにちは。らてんです。
最近読んだ本について話をしようかと思います。5分だけ時間をください。

『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』という本を読みました。著者は幡野広志(はたのひろし)さんです。写真家や狩猟家としての顔を持っている彼でしたが2017年、34歳の若さでガン宣告を受けます。そこから彼は文章を発信するようになり今なおcakesというWebメディアで相談を受けては回答し受けては回答し、を繰り返しています。

趣味をひとつにしてしまうと、それがアイデンティティになるから、自分のアイデンティティを守るために人を攻撃したり、足を引っ張ったりする。
「おまえなんかに狩りの何がわかる? 俺が上だ」と、必要以上に自分を守ろうとするマウンティングをとってしまうのだ。
これは写真の世界でも同じで、僕はそれがとても苦手だ。

マウンティングという言葉がいつからか流行りはじめましたが、「自分は他人より優れている」と誇示したがる理由について明らかにした文章だと思います。

僕は音楽が好きです。特に歌うことが。なので風呂場で歌うことが日課でした(ご近所さんに怒られてからは控えています。たまに歌いますけど)。歌唱力にも自信を持っていて「他に取り柄はないけど歌だけは」と思っていた時期もあります。その時に最も出会いたくなかったのが身近にいる自分より歌が上手いやつ、でした。

すごく腹が立つんです。顔が良くてスタイルが良くて勉強もできてスポーツ万能、それでいてなおかつ自分より歌が上手い同級生に対して。これはまさしく嫉妬なわけですがではなぜ嫉妬していたのかというと、まさしく歌をアイデンティティにしていたからです。自分=歌が上手い、という図式が一気に崩れ去るわけです。もともと根も葉もないけれど。

幸か不幸は小心者の僕は嫌われることを恐れて嫉妬心を表象することはなかったですが、危なかったなーと思います。もし僕が小心者でなく嫉妬心を原動力としたマウンティング野郎だったならばきっと孤独になっていたでしょう。

他にも例えば、情報学部に通っている学生Aくんがいたとします。かつての同級生Bくんから久々に連絡がありました。「最近プログラミングを勉強していてちょっとしたゲームを作ってみたんだ。よければ遊んでみてフィードバックくれない?」文学部に進んだ彼が作るものなんてたかが知れているだろう、と遊んでみたら悔しいことによくできている。きっと自分では作れない。この状況下でAくんはどうするか。きっと丹念に丹念に粗探しをすることでしょう。そしてこう言うのです。「まだまだだね。ここのコードはこう書いたほうが綺麗だよ」。

「今の時代はゼネラリストよりスペシャリストだ!」とよく耳にします。国数英社理の5教科で満遍なく60点を取るよりも、4教科30点だけど1教科だけ100点の方が価値がある。なぜなら足りない所は補いあえばいいから。これからはスペシャリストでいるべく心がけよという言説です。確かにと思います。でも条件付きであることを忘れてます。本当に突き抜けられるのであればどうぞスペシャリストを目指すべきだと思います。ただし自分の知り合いの知り合いの知り合いぐらいまでの範囲で自分よりも得意とする誰かがいるなら、スペシャリストは目指すべきではありません。嫉妬心に煽られ不毛な戦いを仕掛けた挙句の果てに残るのは心身の消耗と孤独、でしょうから。


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