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マンボーの自己紹介

こんにちは!マンボーと申します!!

noteを始めて3か月以上?が経ちますが、このnoteをもっと自己表現や情報発信の場として活用していくために、『自己紹介』が必要だなと思い
(いまさら感。。。)

改めて、自己紹介という形で記事を書いてみました。

この記事を通して、少しでも私のことを知っていただけると幸いです。

プロフィール

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経歴

幼少期、母子家庭で育つ。

12歳の時、母親を癌で亡くす

中学生の時に信用金庫に就業体験(お金を扱う仕事に憧れる✨)

高校の商業科へ進学

関西の大学へ進学

就活を経て、証券会社へ入社

現在:入社3年目(2020年8月現在)

現在の仕事

とある証券会社でプロパー社員として営業してます。

主に、見込み客である法人へテレアポや飛び込み営業しながら新規開拓でお客さんを作ったり、長らく商品の売り買いをしていないお客様(休眠口座)を活性させるべく、同じくテレアポや飛び込みをしながら、金融商品(株、債券、投資信託など)を販売してます。

営業の種別で言うと、法人営業も個人営業も両方しているイメージ。

現在はノルマ等は廃止されてますが、営業会社なので、日々の販売目標が細かく設定されていたり、収益の目安が提示されているので、数字を追いながら活動するのには変わりありません。

寝る前と起きた後は、株式市場の状況とニュースを見るのがルーティーンなのでずっと情報と数字に追われながらと言う、こんな感じの業務内容です(笑)

幼少期

●母子家庭 × 野生児

僕は物心付いたころから、父親は居ませんでした。
タイミングは分かりませんが、僕が生まれた後に、他の女性を作って蒸発してしまったそうです。
そんな理由から、母子家庭で育ちました。
母が女手一つで育ててくれ、5歳くらいまでは母と二人で暮らしていました。

生活も厳しくなり、小学校入学前には、祖父母のもとへ引っ越し、祖父母と母親の4人で生活。

当時は、周りに友達もおらず雄大な自然の中で山を登ったり川で釣りをしたり、池で泳いだりと、だいぶ野蛮でファンキーな生活。まさに野生児(笑)

釣りをする為に自分で山へ行き、材料を揃えて、釣竿を自前で作っちゃうような少年だったので、同世代の人からすると一線を画した幼少期だったと思います(笑)

現実的な話をすると、祖父母ともに年金暮らしであり、田舎過ぎて母も働く場所がなく、自給自足に近い生活であったため、食べ物には困らないが、それはそれは必要最低限の暮らしといった感じ。

小学校高学年になった辺りから、友達の家でゲームをして遊ぶことが時々あったが、その時に子供ながらにして、自分と友達の家の経済格差を感じてしまった。

だからだろうか、当時からお金に対する執着心が強く、当時の友達にはお金にケチな奴というイメージを持たれていたみたいである。
自分でも「そういうキャラだな」というのは意識していたが。

中学時代

●母親の死

中学1年生の時、母親に癌が見つかり、その年の冬に他界した。

両親を失ったわけだが、スピード感が早く当時は頭の理解が追いついておらず、お通夜やお葬式では涙が出なかった。

焼却室で、着火のボタンを押す時が思いのほか火力が強くむごかったので号泣したのは何となく記憶に残っているが、抗がん剤の影響なのか、骨はほとんど残っていなかった。

母が亡くなった実感が湧いたのは、亡くなって1,2週間がたった後ふと落ち着いて何でもない元の生活に戻った時。
気持ちの整理もつき、もう二度と戻ってくることのない母親を受け入れた時、自然と涙が溢れてきました。

●信用金庫への就業体験

中学2年生の時、職場体験という社会学習で、3日間くらいの就業体験をした。
保育園や郵便局、スーパーなどが定番だったが、自分だけ先生にお願いして、信用金庫へ。

生まれてはじめての札勘で現金100万円を手にして、いつかこんな大金を扱うような仕事をしたいと、金融業界に憧れを抱いたキッカケだった。

このキッカケから、簿記や会計などのお金の事が学ぶ必要があると考え、商業科のある高校へ進学を志望。

金融機関で働くことが自分の夢になった。

高校時代

●夢を諦める

将来、金融機関で働くことを夢に抱き、簿記や会計が学べる商業科へ進学。
高校2年生の進路相談で衝撃の事実が発覚

私『銀行とかの金融機関で就職するのが夢なんです』

先生『それなら大学行かんといけんなぁ』

私『え??(お金...)』

祖父からは『お前は高校を出たら働きなさい。』と言われていたし、
祖母は『うちは土地ばっかりあるけど、お金は一切ないよ。』が口癖。

今まで、ゲームをねだるような事も我慢してきたのに、急に現れた
【お金の壁】こんな所で自分の夢を諦めないといけないのか。。。

ゲームもねだった事がありませんでしたが、勇気を出して、おばあちゃんに大学にいきたいことを打ち明けると、、、

『そんなお金、ばあちゃんは持っとらんよ』
『しかも行くゆーても一人暮らしやろ。困ったねぇ?』

『でも、、、あんたのお金ならあるよ。』

実は、母親が亡くなったときの保険金や遺族年金などを将来の僕のために全く手を付けずに残しておいてくれたお金があった。

そこで、大学受験をすることに決めた。

お金によって自分の夢が救われたエピソードである。

お金がなければ、これほどまでに人生の選択肢が狭まってしまうということも同時に感じた。

母親の死はとても残念なことであるが、それがなければ、祖父の言っていた通りに、高校卒業して地元の会社に就職していただろう。

母親の死がなければ、今の自分は無かったと思う。

●半沢直樹

2013年に放送開始され「倍返し」という流行語を生み出すほど世間の注目を浴びた、伝説的ドラマ「半沢直樹」。

当時高校3年生でしたが、すでに金融機関への就職を考えていた自分にとってはかなり衝撃的な内容でした(笑)
普通ならそんな怖い世界での就職は考え直すかもしれないが、
むしろ半沢直樹の仕事やお客様に対する情熱や向き合い方に感銘を受け、
より一層、金融機関で働く憧れが強くなった作品でした。

大学時代

いよいよ大学デビュー。初めての一人暮らしで生きていくためにも、バイトを5つほど掛け持ちしながらも、都会デビューを楽しんでいた。

●第二の故郷神戸

大学4年間は神戸に住んでいた。神戸は本当に大好きな第2の故郷である。
家族が近くにいない分、マンションの大家さんや管理会社のスタッフさんとは、まるで自分のお父さんやお母さんのように感じていました。

今現在はコロナの影響もあり、自由に行き来できないですが、東京に来てからは、実家に帰る回数よりも神戸に帰る回数が多いほど、神戸が大好きになりました(笑)

いつかは、大学時代に関西でお世話になった方にも仕事を通じて恩返しできるようになりたいなぁ。。。

●FPさんとの出会い

大学2回生の時、先輩の紹介で元銀行員の方とお会いする機会があった。
その方は、新卒でメガバンクへ就職。
今は独立系のFP(ファイナンシャル・プランナー)という仕事をしているという。
就活前にリアルな銀行員の現場の仕事を聞けると思い、たくさん質問させて頂いた。
しかし、なぜその人が銀行を辞めて、現在独立されているかを聞いて、
自分の視野がまた一つ広がった。

「銀行だけでなくサラリーマンでいる限りは、会社の商品を取り扱うよね」
「僕らには会社からノルマがあって、時にはそれを優先するがゆえに、お客様の利益よりも、自社の利益を取らなければならないことが多い」
「段々と、そういう感覚に慣れてきて精神がマヒする同期もいれば、それに疲れて出世をあきらめたり、退職したりする同期も多いんだよね...」

金融業界の離職率が高い理由が何となく分かった瞬間であった。

「FPの仕事は、お客様の夢の実現のために、その障壁となるお金に関する悩みを取り除いてあげること
「サラリーマンであれば自社の商品しか取り扱えない。
でも目の前のお客様にとっては、他社の商品のほうが向いてることもある」
「だからこそ、取り扱う商品は自分が決めて、お客様に合わせて提案していくためも、こうやって中立な立場で助言する必要があるんだよ。」

銀行の話を聞くために会ったつもりが、今まで知らなかった働き方を知り、自分が本当にやりたいこと、実はこれなんじゃないかと感じた。

『僕もFPになりたい!』

そう思い、そのFPさんとはこの出会いがきっかけで今も親しくさせて頂いている。

すぐにでもFPになりたかったが、いきなり独立はハードルが高すぎる。
まずは、サラリーマンとして社会の荒波に飲まれた方がいいとアドバイスを受け、就活でも生かせるよう、また、自分で生きる力をつけるために、卒業までは、訪問販売を通して、営業の仕方や稼ぎ方を学んだ。

当時は、時給で働き自分が家賃を払ったり友達と遊ぶためにはその分の時間と労力を使ってバイトするという感覚しかなかったが、フルコミッションで訪問販売をしながら、インターネットを売る経験を通して、人とのコミュニケーションの取り方や、目標達成するための考え方、自分の力で稼ぐ喜びを味わった。

就活をしながらも、空いた時間で訪問販売をする、そんな生活をする中で、どうせ会社に入るなら、一番営業が難しいところの方が面白いだろう。

そんな理由から、「株などリスク商品を扱っている分、お客様との信頼関係の構築には他の業界よりも難しいんじゃないか」と思い、証券会社に入社。

証券会社入社

●上半期は好成績

待望の証券マンデビュー。
毎日、テレアポ、飛び込み、手紙、まさに思っていた通りの世界観。
学生時代の営業とは違い、細かいコンプライアンス上の問題や社内ルールに戸惑いながら、似て非になるものだなと新たな気持ちで新規開拓の日々を送っていた。

営業開始して、半月ほど経ち、証券人生初めてのお客様ができた。
本当に運がよく、なぜ自分のような学生に毛が生えたようなヤツにそんなに預けてくれたか分かりませんでしたが、一人のお客様から沢山のご資金を預けていただき、上半期では表彰を受ける好調なスタートダッシュでした。

しかし、成果も波があるのが事実。
所詮、たまたま運よくお金持ちと出会っただけで、1年目は何とか逃げ切ったものの、2年目以降は中々自分の営業スタイルが確立していません。

営業では成果を出し続けることが、もっとも大切であり難しいことを痛感した経験でした。

●大型IPO

1年目の後半に、誰もが知っている大きな会社が新しく株式市場に上場することになりました。

専門用語ですが、新規上場(IPO)と言います。
新しく会社が上場する際には、証券会社が事前に株式を引き受け、上場前に、その株式を事前に買ってくれる投資家を探します。

つまり、営業です。そして、ノルマが発生します。
その株を買ってくれるお客様を見つけなければなりません。

そこで、疑問が生じるわけです。

「あれ?この株ほんとに上がるのか???」

その株が上がろうが下がろうが、関係ありません。
売らないといけないのです。売らなければ上司に”詰められる”
株価に疑いを持ったまま、新規開拓をし、投資をやったことがない人にも、口座を作ってもらい、その株を買ってもらいました。

上場日当日、、、

その株は、値下がりました。

「あぁ、下がったかぁ」「まぁ、仕方ないね」なんて言っている周りの営業マンに違和感を感じた。

「今まで怖くて投資はやったことがなかったが、自分のことを信頼して株を買ってもらったのに・・・」

当時、マンツーマンで仕事を指導してくれるインストラクターに相談しました。インストラクターから言われた言葉は今も大事にしています。

『いいか。お客様を守れるのは営業マンだけだ。上司や周りの目が怖くて、自分が疑問に思ったまま商品を勧めれば、お客様を犠牲にする。』
『だからこそ勉強しないといけないし、新規開拓をし続けないといけない』

その時に、なぜ、毎日新聞を読んだり商品の勉強をしたり、世界経済に目を向けなければならないか、勉強をし続けなければならないかを本当の意味で理解した。

扱っている商品が不確定だからこそ、限られたお客様に頼り続けるのではなく、本当にその商品を必要としている人を探し続けながら、活動していく。

そして、自分のことを信頼してお金を預けてくれたお客様を守れるのは自分だけだから、それなりの覚悟をもって自分の意思を大切にすることを心に決めた。

コロナショックと読書

●自身のことを見つめ直す

コロナショックと呼ばれる、世界的なパンデミックの最中で、会社での働き方も変わってきた。
緊急事態宣言が発令され、在宅勤務を余儀なくされ、外出も制限。

必然的に自分と向き合う時間が増えてきた。

すると、「なぜ今ここで働いているのか」「何のためにこの会社に入ったのか」高校時代からの自分の想いを思い出すきっかけになった。

今回のコロナショックで、日本経済は約3割を失っている。
暗いニュースも多いが、その反面、自分の時間が増えた人も多いはず。
だからこそ、自分の過去や未来と向き合い、今、自分自身にできることを愚直にやっていきたい。

時間が増えた影響からか、昔インストラクターや上司に紹介されたけど、読めていない本を読むなどして、本を読むことが増えた。

学生時代はみんな勉強をするが、社会人になると勉強する人は殆どいなくなる。
仕事だけが人生ではないし、自分の生き方を見直すためにも、価値観を広げることが大切だと気付いた。

そして、勉強こそが最高の自己投資だなと感じた。

まぁ、これも本の影響なんですが(笑)

また、インプットも大事ですが、それ以上にアウトプットが大切

行動が変わらなければ、未来は変わりません。

自分だけが学ぶのではなく、学んだことを発信することによって、自分以外の誰かが何かに気づいたり、悩みが少しでも解消されるような人がいれば、自分の些細な行動が連鎖してすごく社会の役にも立つんじゃないか。
そんな理由から、このnoteやTwitterを開始した。

今は「レバレッジ読書会」と名付けた、読書会を開きながら、社会人でも勉強し続けることに、共感してくれている方と、週4冊ペースでビジネス書を読破している

今後の目標

●ライフロングプランナーへ

今は読書マニアみたいな感じだが、僕は金融が本当に大好きだ。

そして、どんなふうに金融を扱い、どのようにお客様とかかわり続けるか。

僕は営業において、大切なことは

「一生涯付き合っていく覚悟」

だと思う。

職業柄、お客様の利益が不確定なものを扱っているが、自分を信頼して買っていただいているお客様がいる。営業の中でも、中々特殊な業界だ。

そんな完全でない商品を補完できるのは営業マンそのものであり、
どんな結果になろうと、長い目で見てフォローし続けていく覚悟が営業マンにあるからこそ、腹落ちしてお客様にも自分の商品を買ってもらうことができる。

商品を買ってもらうことが営業マンのゴールであるが、お客様からすると、商品を買ってからがスタートなのだ。

お客様と目線を合わせて、一生涯【ライフロング】のお付き合いをしていける姿勢こそが、本当の意味でのライフプランナー(FP)だと思い、

『ライフロング・プランナー』と呼んでいる。

会社にいれば、いずれ転勤になり大切なお客様とも別れなければならない。そして、あくまでもサラリーマンとして自社の商品を会社のために売らなければならない。

そのためには、会社依存ではなく、相手の人生に主体的に関わり続けることができるように、活動を改めていく必要がある。

ライフロング・プランナーになるために、

まずは、お金を「守る」「稼ぐ」「増やす」という3つのカテゴリーに分け、金融のプロとして自分自身が体現して、等身大としてあるべき姿を見せていきたいなと。

そして、”ライフをプランニング”する上で、必要になってくるのは金融の力だけはない。

人生をより豊かにするためには、お金は1つの手段に過ぎないということである。
知り合いのお坊さんから聞いた話であるが、

お金持ちで地位や名誉を獲得し、周りからすると恵まれた成功者に思われるような人であっても、自殺を考えるほどに悩みを抱えている方は多い。

そう。ファイナンシャル・プランではなく、ライフプランというカテゴリーで考えると、人生を総合的に見ていく必要がある、

だからこそ、日々の読書から、生き方や仕事、人間関係などありとあらゆる分野を勉強しながら、少しでも役立つことができる人間になりたいと思う。

しかし、自分の知識だけは限界があります。

”一生涯孫子の代までお付き合いできる”人脈を広げながら、困った人がいれば、みんなで協力し合える。そんな僕の子供の時のような家族関係が、世界中で広がっていくと、凄くいいなと思っています。

自分自身も、まだまだ駆け出しなので、リアルでもオンラインでもいろんな方とのご縁を大切にしながら、学ばせていただき、本当の夢を叶えられるように、これからも情報発信を続けていきます。

引き続き、マンボーをどうぞよろしくお願いいたします。

追記

環境の変化とともに、近況報告として、この自己紹介noteの続きを書きました。こちらも合わせてよろしくお願いします。


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