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カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜ASD夫との10950日(18)

「尊大型ASD」

ここ数年、ASDに関する情報がとても多い。
私が結婚した頃は「男はそんなもの」「女が従えば波風が立たない」と言う閉鎖的な時代だったので、病的な私への無関心さに関してはカウンセリングを利用するものの、ただただ耐えるしかなかった。

夫は、分類されるとしたら尊大型ASDになると思う。
言うこと話すことがいちいち、他人に対しても「偉そう」なのである。
先にも記したが「自分は選ばれた数少ない人間だ」という発言もそうである。
私が外で働くことを嫌がる彼のもと、大学生から主婦になった当時の私は彼が唯一の社会とのつながりだった。
彼が広げる大風呂敷を、信じていたのである。

しかし、実際に暮らし始めると彼は非常に頼りない。
前からちょっと会いたくない人が歩いてくると、私をそのままにしてさっと隠れてしまうことがあった。
(露出の多い女の子には引き寄せられる、と同じ心理構造である)

彼といて、大丈夫だと思ったことが一つもない。
それでも、夫婦だからいつか気づいてくれるはずという期待。
思いやりがただただ一方に流れていく日々は、今考えると針の筵に等しかった。

特性を理解すれば、それらの行動は頭では理解できる。
しかし、自分が誤ってお湯をかけてしまった子どもを目の前にして平然と食事を続けたり、出産を終えたばかりの私への最初の言葉が、
(まじまじと眺めて)「老っけたなぁ〜。」
と言う事は、特性を理解するしないの前に傷つくことではないだろうか。

彼の子を、命懸けで産んだのである。
悪気あるなしなどここで配慮する必要はない。
私は確かに、傷つけられたのである。

許せる許せないは、人によると思う。
発言の頻度や程度もあるだろう。
そういう中で、家族を大切にしてくれているものが一つでもあれば、違うであろう。

私の場合、許せないという結論に至っていた。
後に成長する息子の進路も、潰した。
長い時間耐え抜いて、見下され続け罵倒され続け心が砕け散ってきた記憶が、理性が許そうとしても感情がそれをできなかったのである。

ある日のこと。
彼は、人を家に呼ぶのが好きだった。
私に前日から手料理を作らせて、1DKの狭い部屋にしばしば人を招いていた。(もちろん手伝いも買い出しもしない。)

会社の後輩を招いた夜、夫は私の大学の卒業アルバムを持ち出してきた。
「どの子が可愛いか、指差しゲームしようぜ。」と。
周囲の後輩の皆さんは、私の顔をチラチラ見ながら遠慮している。

しかし、楽しそうに始めた夫に合わせて仕方なく始めていた。
ページをめくっては、一斉に好みの女の子を指差すのである。
なんて幼稚な遊びだろう。しかし来客のある場、耐えるしかない。

私のページに来たとき、何人かは気を遣って私を指してくれた。
ごめんなさいね、と目配せすると、
「この子可愛い!超好み!口ごたえしなさそう〜。どんな子か教えて!」
と私に聞いてくるのである。

彼の好きそうな、おとなしそうな顔をした友人である。
しかし私が知る彼女は彼が想像するような子ではないし、何より私の大切な学友でもある。
「モロ好み!変な気持ちになっちゃうな〜。」
などと、周りが引くぐらいのはしゃぎようである。
私は、その場から消えたいくらい恥ずかしかった。

私は、元彼や好みのタイプについて話すことはない。
それは、最低限の礼儀であるからだ。
しかし、彼には私に対する「礼儀」はない。
それでも結婚前は私に嫌われないよういろいろと頑張っていたと思う。
しかし、結婚という目的を果たした私に、もう気遣いなど無用なのである。

彼らを見送り、当時はまだやっていた女の子が裸になる深夜番組を見ながらくつろぐ彼を見ながら、私は暗澹とした気持ちで片付けをしていた。

まだ子どもがいないこの時期なら、今の私ならなりふり構わず福岡に帰っただろう。
しかし、結婚を通してたくさんの人に応援して送り出してもらった事が、私の行動を鈍いものにしていた。
努力しなければならない。私は妻なのだから。

ASDを前にして、忍耐強さは自分を刺すナイフとなる。
そして数ヶ月のち、私は奇跡的に妊娠することになる。

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