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怪異 排管の中(2)

怪音


  今日は日曜日だ。一般ピープルは、休日と呼ばれるようだが、俺は今日もバイトに明け暮れる。今日のバイト先は、俺の住む町から黄色の鈍行電車を乗り継いで約五十分ほどの都心に、ほど近い中規模な会場だった。今日は年に二度ある自動車の展示会イベント、モーターショーである。

 新型の自動車はもちろん、レトロな車や消防車や自衛隊の特殊車両なども展示してあり、当然、車好きだったり、車の試乗、購入目的の人、イベント好きな家族連れはもちろん、果ては、イベントコンパニオン狙いのカメラ小僧もいる。

 俺の仕事は、来場するお客さんの車を駐車場で整理するのが仕事だ。俺の平日は、道路工事などの交通整理だが、今日は、特別で道路工事の時なら、日給は夏冬関係なく、八千円だが、こうしたイベントでは一万二千円にアップするので、俺にとっては、美味しい仕事なのだ。

 但し、こうしたイベントは、たくさんの人が来場し、行き交う場所だ。身だしなみだけは、注意しないといけない。唯一、綺麗にしてある警備服と下着、腋の下のスプレーと香水。むろん、ちょっとした下心が全く無いとは、言えない。

 今日は、あいにくの曇り空だが、モーターショーは室内展示が多いため、イベントとしては問題ないのだ。朝の九時半から夕方七時までの長帳場だが、休憩が適度にあるので、そこは楽だった。

 遅れてきた新人バイトを叱り飛ばしながら、笑顔で駐車場の交通整理を進め、無事イベントは終了した。帰りしな、バイト仲間から、一杯飲みに行かないかと、誘われたが、俺は用事があると断った。

 それは、俺の中にある自尊心が原因だった。俺は自分より年下で、あとから雇われた人間を同僚と呼んで良いのか、時折、迷うことがある。従って、彼らと一緒に飲みに行くことも、仕事以外で付き合うことは、ほとんどないのも事実だ。所詮、ちっぽけな俺の中にある、変な気位の高いプライドだと言われば、そうなのかもしれない。

 俺は、夜八時過ぎ、冷たい風の吹くプラットホームから黄色い鈍行電車に飛び乗った。他人との交流を断ってまで、まっすぐに、あのボロアパートへ歩を進める俺。

 個人主義の台頭と言われて久しいが、自己陶酔ともいえる言動と行動は、いささかセンチメンタルな気分にさせる。俺は、鈍行電車に揺られ、レールを滑走する音と共に、流れる街の明かりをぼんやりと見つめていた。汗水流して、稼いだ日銭が、例え、泡だったとしても、心持ちは豊かだった。

 駅を降りると、今日も一人、コンビニに寄り、弁当、ビール、焼酎、つまみのたぐいを購入する。今朝は、あれだけ、曇っていた空に、丸い月が煌々と輝いている。空を見上げながら、俺は、むしろ、どんよりと曇った恨めし気持ちが湧き上がってくるのを感じた。

 煌々とした月に照らされる道は明るいのに、あえて、薄暗い木の陰、壁の陰を伝うように、彷徨さまよっていく。だが、その時、これから起こる怪異を俺は、予見できるはずもなかった。

 俺は、部屋に戻ると、すぐさま、裸電球に火を灯した。橙色の光が周囲を暖かく照らすと、朝、出勤したままの惨状が、姿を現した。見慣れた光景だが、何処か諦めにも似た、この空間は、俺を現実へと引き寄せる。俺は、コンビニの袋を煎餅布団の上に放り投げると、唯一、畳が見える空間に腰を下ろした。

「ああっ・・疲れたっ・・」

 俺は、目を瞑り、しばらく、今日の仕事の立ち疲れが治まるのを待つ。日中の暑さに比べ、ひんやりとした春の冷たさを持った夜の空気が部屋に充満している。心の葛藤を鎮めるのに、そんなに時間は掛からなかった。俺は、心を落ち着けると、早速、袋の中から弁当を取り出した。

 今日の夕食は、鳥のあんかけ弁当をチョイスした。まだ、レンジで温めて、そんなに立っていないので、その蓋を開けた瞬間、タバコと酒、生ごみの悪臭が消え、お酢と醤油の甘酸っぱい香りが、熱い湯気と共に広がり、俺の鼻孔をくすぐってきた。この臭いが、俺には、もはや待つ余裕などないのだ。急激に胃腸が音を立てて、食を促す。今行くぞっ!俺は、猪突猛進、割り箸を取り出して、食べようとした、その瞬間だった。

”ズゥー・・ズゥー・・グゥゥッ・・”

この冷えた静かな部屋の中に、不気味に鳴り響く音が聞こえた。俺は、一瞬、鶏肉を摘みかけた箸を止めて、固まった。

「んっ?!一体、何だ?ゴキブリか?」

俺は台所の方に目を細めて見てみる。特に変わった様子は見当たらない。

「いやっ、気のせいか・・」

俺は弁当に目を落とす。甘酸っぱい香りが顔中にまとわりついてくる。と、そこへ、またあの音が聞こえる。

”ズゥー・・ズゥー・・ズゥー・・”

「なんだ?この音・・・さっきより、もっと低い音だ。もしかして、地震?・・いや、それにしちゃ、全く揺れちゃいねぇーな」

 俺は、とりあえず、今、目の前にあるエサよりも音の正体を探ろうと考えた。全神経を集中して、耳を研ぎ澄ませ、その音の先を見つけ出そうとしていると、再び、また、

”ズゥー・・ズゥー・・グギュゥッ・・・グギュゥッ・・・”

と、まるでこちらに近づいてくるかのような音が響く。そう、何か重たい物を管状の中で引きるような立体的な反響が部屋を震わせたのだ。

 俺は、弾かれたように、背筋を伸ばすと、部屋の中を舐めまわすように、つぶさに見ていく。カーテンもない薄汚れた窓。壊れたテレビ。散らばった空き缶や雑誌類。台所の流しにある弁当の空容器と汚れた食器類。台所通路を占領する積みあがったゴミ袋の山。下着の洗濯物を入れた段ボール。今にも壊れそうな木製の玄関扉。最後に煎餅布団と見上げて、裸電球。俺の五感を研ぎ澄ませて、全てを確認したが、異常を示すものは、何も見つからなかった。

「おかしい・・・。明らかに、この部屋の中で聞こえたんだが・・・。何なんだ、一体っ!」

 俺は、暫く、辺りを睨みつけていたが、静寂な空間が戻ってきたように、何も聞こえなくなった。俺は、軽く舌打ちをして、恨めしそうに辺りを再び睨みつけると、

「もういいっ!もう、無視しようっ!」

 そう、腹をくくった。視線を下に落とすと、目の前の鳥のあんかけが、手招きしているように見えるのだ。俺は、ようやく箸を一気に引き上げて、口の中へと運ぶ。少し冷めてはいるが、甘酸っぱく柔らかな鶏肉とシャキシャキとした玉ねぎの甘さが口いっぱいに広がり、その食感が舌の上で踊る。

「うまいっ!」

 その後、箸の勢いは止まらず、ゴマが振り掛けてある白御飯と甘酸っぱい鶏肉のハーモニーが交互に混ざりながら、俺の食欲を満たしていく。そして、缶ビールを開けた瞬間から、食欲と酒欲が勝り、音の正体など微塵みじんも忘れていった。しかし、それは、明日の朝までの束の間の休息に過ぎなかった。

(続く)


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