大地の芸術祭に訪れた際に行っておきたいのは『津南のひまわり畑』 関東地方でも、座間市、清瀬市、佐倉市などでひまわり畑を開催しているところはある。しかし、自分が求めているのは小学生の頃、学校の花壇で育てた『ひまわり』。 大きな花をしていなし、高さが足りないなど、最初は自分が大人になり勘違いかなと思っていたけど、津南町のひまわり畑をそれを払拭してくれた。 美味しい食材をそのまま食べるのは味気無さを感じないだろうか。少し工夫が必要だと思う。『ひまわり畑』はいいかもしれないけど
学生の勉強にも旬があって 松尾芭蕉の作品に触れるのがこの時期 『奥の細道』、月日は百代の過客…の1文 中学生の頃に国語の授業で扱った記憶が蘇る 実際はどんな場所かと気になり山寺へ 新幹線で山形駅から乗り継ぎ駅に到着 天候はすっきりしない空模様だけど 紅葉していて秋を観じる雰囲気だった 山寺の駅に降りると目の前に大きな山 山の上に見える建造物 ドラクエのダンジョンを彷彿させる感じ 奥之院までは1050段の階段 日頃の運動不足解消になります(笑) 途中には有名なせみ塚があ
庵野秀明展ヘ この展示で思い出したのは『館長 庵野秀明 特撮博物館』 庵野さんが手掛けた『風の谷のナウシカ』の『巨神兵』が東京に出現する作品の印象は忘れられない。 抽選に当たり事前招待され嬉しかった 『巨神兵東京に現わる』で巨神兵が破壊した東京タワーのジオラマ 実際はとても小さいサイズだけど撮り方次第でリアルな映像に そんな記憶を思い出しながら見ると少し違う視点で見れるかなと思った。
瀬戸内の旅に行くなら是非、船旅してほしい。 潮風を感じながら行く旅は五感を刺激してくれる。 海上交通が充実しているので時間があるなら さまざまな島を巡るのもよいと思う。 比較的行きやすいのは小豆島と思う。 高松港広島港から船で移動でき、島に着いても バスがあるので移動はしやすい。 小豆島のオリーブ公園 海の眺めはとても良かった!!
京急油壺マリンパーク 三浦半島にある小さな水族館 今年の9月に閉園を迎える 現代の水族館との比較すれば 昭和感がある水族館で物足りない部分を感じるかもしれない ただ…物足りない中でも キャベツを食べるウニ カワウソの動きの面白さ 紐を口でくわえてぶらぶら この光景が見られるのはここだけだと思う メガマウスシャーク、ダイオウイカの標本 しかも富士山も見える!! ここでしか見れない水族館の生き物の日常 記憶に残しておきたいものがある。 あと1ヶ月、行ける機会があ
直島の黄色の南瓜が流されたのは残念 そこで瀬戸内の旅の少しずつを書き残したいと思った
相手の立場を思いやる気持ちがなくなったと感じる言動が顕著になったと思う 特定の立場・地位にいる人たちを『自己責任』と言って切り捨てる言動が顕著な昨今。切り捨てる言動をする人は、自分はその立場に絶対にならないような言動を振りまいているけど、そのような考え方がいいのかと疑問に思う。 絶対に事故にあうことと言えますか? 絶対に大きな病気にならないと言い切れないますか? 向こう側にいる人の気持ちを考えてますか? 『自己責任』と発言すれば聞こえはいいけど、本当にそれって『自己
モヤモヤしている気持ちのとき海を見ると何もかも忘れられる。 海は不思議な場所。冬と夏ではまったく異なる顔を見せてくれ、何かを伝えようと語りかけている気がする。 冬は良い意味で厳しさを伝え、夏はモヤモヤした悩みを全て受け止めてくれる。そんな場所が海である。 早く行ける日が来ないかなと思う日々である。 #海での時間
教養とは何だろう? TBSラジオ『東京ポッド許可局』を聞いて何だろうと思った『知っていること』と定義すると『知識』との差異はないと思う。知識があることが教養があるとは言えるのだろうか。 『実利』を求める時代、自分に関係ないことには無関心という態度が本当に良い時代を迎えていると言えるのかな。 『無駄』をどう感じるか、自分が気づいていないことへの探求心を知ることが人生への深みを増すのではないのか。 最近は自分に関係ない事柄に対しては、無関心だけではなく、その相手に対する尊
今年はコロナの影響で来年に延期 過去の写真を振り返りながら早く行きたいなと思う日々です。 星峠の棚田 脱皮する家 まつだい駅前にある草間彌生さんの作品 清津峡
『努力』を改めて辞書で調べると「目的のために力を尽くして励むこと・ある目標に向かって、何らかの行為を継続すること」などが出てくる。 別にオリンピックが好きかどうかは別として、「アスリートのために」「特別に」というが、我々も何かしらの「努力」はしていると思う。 目標があれば、人は頑張れるのだが、それが提示されずただただ、「感動」「安全」などいう本来重い意味をもつ言葉が消費し続けて、それらの言葉が本来持っている価値を失わせているように感じる。 これほど、言葉に力にない言動、
Twitterではオリンピック・コロナの影響なのか二極化する傾向がますます強くなっているし、インスタも誰もが同じ写真をアップしていることに何の意味があるのかなとふと疑問を抱くことも。 写真を撮る手段が目的化しているような気がしてならなかったし、写真家でもないのに撮ることに固執する意義はあるのかな?本来の旅の目的は、その地に赴き非日常の光景を見たり、都心部で暮らすと忘れがちな五感をフル活用し感じたり、ものに触れ感覚を養っていくことが大切なのでは?と思っていた。 そんなモヤモ
猛暑が続いた週末 川越氷川神社の縁むすび風鈴を見に行った 風鈴の音を聞くと落ち着く 夏本場はすぐそこまできている…そんな感じがした 今日から1週間頑張っていこう