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低空飛行note

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ひきこもり・メンタル系の当事者会〈低空飛行net〉から生まれた書きものサークルです。表現したい、発信したい、そんな何かを載せられるnote。物好きなメンバーが気の向くままに更新中。
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#うつ病

人といてやわらいだ世界

「このハイライト、あの人のブルベの肌に似合うよな。」 「これ、あの人の好きな青、だろうか。ちょっと緑っぽいかな?」 私の頭がつぶやくとき、いつの間にか他の誰かがそこ加わっていることに最近気づいた。 ひとりでいるのに、私の世界にはひっそりとした温かさが存在している。 それは変化と呼ぶには些細なことで、あまりに曖昧かもしれないが。 ずっと他人を思考回路に入れることが怖かった。 思い描く他人は、いつだって強くて、攻撃的で、異物を見るように遠くから顔をしかめている。 人との関わりの

生存報告

わりと元気になってきた。 人間関係で色々あって、消耗していたこの所。 その件についても書いて昇華した方が……と思いつつ、書き物は義務感のようなものに押されながら生むものではないと思い直し、パソコンを閉じました。 参ってはいたものの、関西に東京に遊びに行ったり、B型事業所の見学体験を済ませて受給者証の申請までいったりと、動けてはいました。ヨシ! 今後とも、 書きたくなったら、ゆるゆると。

おすすめ¥0書籍/三森みさ 著

※著者:三森みさ様へお問い合わせの上、見出し画像への使用許可をいただいております。 前回予告した内容とは異なりますが、 「過去の傷やトラウマ持ちのみんな、これ読んでくれ〜〜!!!!」 という気持ちで宣伝させていただきます。 コミックエッセイの形をとっているので難しいこと考えず読みやすく、 しかもなんと、無料で読めます。Amazon Kindleか、そのままWEBで読めます。 Twitter(X)でも読めます!が、個人的には本にまとめられてる方が続きを探す手間が省けるし集

皿洗いが嫌すぎて風呂に入れない

すべての家事の中で皿洗いがいっちゃん嫌だ。やりたくない。 皿洗い自体が不得手なわけではない。ちゃんと洗える。 ただ、手が濡れて、食べ物の汚れに触れるという作業がどうにも苦手。 とはいえほぼ毎食自炊をして都度皿を洗っていた時期もあれば、飲食店やカラオケのバイトで洗い物をやっていた間は「何も考えずできる作業」のひとつになって、バイト先の余韻でさっさと洗うこともできた。 でもこの一年、ほんとダメだ。 家にある食器や調理器具の九割がシンクで洗われないまま九龍城になっている。総菜の

「俺、猫飼ったんすよ」

結局救ってくれるのも人なんだな、とバカみたいに簡単に和らいだ胸の内を他人ごとみたいに感じながら、そう思った。 人と関わりたくない、会いたくない、触れたくない、とひきこもって安全に私を守る城壁を強くしようとしていた。壁の一部を取り除いてそーっと他人を入れてみると、内側も外側も陽のあたる湖面みたいに穏やかだった。 嬉しくて気が抜けてしまった。 先日、体調を崩して長く休んでいた事業所に戻った。 行く、話す、と決めたのに、直前まで本当にこれがやりたいことなのかと悩み、胃が波打つよう

過去の恨みと現在の許し

(帰省に関する記事はまた後日、と書きましたが、筆が乗って書き上がったので投稿します。)  *** 二年ほど前、曾祖父の葬儀の日。伯母と私と妹で、近くのコンビニにおかしを買いに行った。集まった親戚たちへのお茶請けだ。田舎なのと、曾祖父に子どもが多いのもあってサマーウォーズ並みに親戚が多い。当然、買わなければいけないものも多くなる。 結構な量を買ったが誰もエコバッグは持っていなかった。大きいレジ袋を購入した。そのとき、妹がてきぱきと袋を広げ、店員さんがバーコードを読み取った

病んでるってきついけど感動もする

初めて「助けてほしい」という言葉が頭に浮かんだのは7年前。やけに静かに感じた夜だった。スマホを両手で握りしめ、メッセージの入力を促す、点滅するカーソルをじっと睨みつけながら、とうとう私は認めた。 自分はうつ状態にあるのだと。 数えられないくらい長い間、自分なんてつらいと思う資格がないと思っていた。 世界にはもっと大変な状況で苦しい想いをしている人がいる。もっとひどい苦難を生き延びて笑っている人がいる。 精神を病んで助けを受ける権利というのはそんなところにあるのだ。 もっとも

グレーの日、グレーの世界

魂の殺人、というらしい。妙な言い当て方を考えついたものだと思う。 魂なんていうのを担う組織はないし、どこにも見つけられない。でも、ある、と信じて人は大事に抱えていようとする。ほとんど無意識であっても。 だからそれが壊されそうになったとき、精神的ショックとか、深く傷ついた、とかいう言葉で言い表すのは激しく違うと感じるのだ。大事に覆いをかぶせて、そこにあると思っていた何かが、ボロボロになっているのを「魂」という言葉で表現されるのを、なるほど、と思った。 朝から豚肉の厚切りステ

日記:帽子で凹み、自己像を語る

コツコツコツ。ぱちりぱちり。 開けた掃き出し窓からちいさくちいさく響いてくる音。 庭に置いた皿から小鳥が皮つきの餌をついばみ、せっせとむいて食べているのだ。おそらくスズメだが、そう思って見に行くと全然違う鳥だったりもする。でもこんな時間だし多分スズメ。 皮つきのキビやアワを食べている間、彼らは妙に静かだ。しっかりと、黙々と。カニ食べてるときと一緒だ。手間かかって忙しいから余計なことは言ってられないのだ。 重くなった空とさっきから勢いを増し続けている風。気をつけないと消えて

日記:あたま爆発とおしり

たまに「うわーーーなんかあたま爆発しそう!」というときがある。 5月6日夜、今がその時。 この症状に名前はついているのだろうか? 「なんか…あたま爆発しそうでしんどいです。」 と医師に伝えても 「それはつまりどういう状態ですか?」 と聞き返され、 (だから!あたまが爆発しそうな感じの状態です!) と心の中で叫ぶ。 無理やり言葉を変えるならば、「頭が忙しすぎる」ということも出来る。 ただこれも、「それはつまり…(略)」の問答へと向かってしまう。 今診てもらっている医師は、

陽の晴れ間、鬱の足音

この数ヶ月、とても調子がいい。 驚くほどいい。 前もどこかで書いたか言ったが、今までの人生で今がいちばん楽、まである。 でも、ふとしたとき、泥のように動けなくなる自分を思い出す。 「あー、たぶんまたいつか、アレが来るんだろうな」 と、どこかで常に漠然と構えている。ならないようにはしたいが、なるときはなる。仕方ない。 なんなら、去年の今頃は本当に絶不調だった。今まででいちばんの絶不調だった。 YouTubeも見れない。音楽も聞けない。本も読めない。寝るしかなかった。 料理が

調子が悪い日の日記とAvicii

気分が悪い。これは鬱だ。 昨日から「なんかすっごい落ちてる、何も出来ないんだが。」と思っていた。今朝は少しマシになった気がしたが、また昼過ぎから半分死んでる。 頭の中がざわつくように落ち着かなくて何もちゃんと入ってこない。読んでいるが記憶されない、聞いているが芯で理解できない。 頓服薬のおかげでネガティブな気持ちはクレッシェンドしないが、とにかく沼のようにどよんと重くて頭が回らない。 英語を再勉強しようかなと、Twitterでフォローしていたアカウントの翻訳がちょいちょい間

失ったものと忘れたくないもの

繊細な状況にある人になんて声をかけたらいいのか分からない。どういう顔をして、言葉は何を選べばこの人に寄り添えるんだろうか、大事にしたいと思うと頭がぐるぐる巡り、まごついてしまう。 そうしているうちにその一瞬は私の前を通り過ぎる。そんな時よく思い出すことがある。 太陽の光がビルの中を満たすまぶしいお昼間だった。 交代でお客様のいるカウンターに出るため足早に歩く。狭い通路を同僚達とすれ違うバタバタした列に彼女も挟まって流れてきた。 ふと前腕にしっかりと置かれた手に気づき視線を上

泣けば?

社会人として働いていたあるとき、私は怒られていた。 「ねぇなんで泣かないの?」 好奇心ではなく心底嫌気がするというように、不快な顔をして先輩は言った。 「私、OJTのとき、毎日泣いてたよ? 一生懸命教えてくれてる先輩に悪くてずっと泣きながら謝ってたの。おかしいんじゃない?」 心が奥からえぐられるような痛みを感じた。ミスしたこと自体ではなく、人間性を徹底的に否定されているように思った。 「すみません。……。本当にすみません。」 殴られたように揺れる頭の中には色々なものが浮かんだ