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禁断の果実の話、あとNZのテロ事件について


高校1年生の頃学校のプログラムでNZに二週間ホームステイしたことがあって、クライストチャーチって名前には馴染みがあったからびっくりしました。
NZは時間の流れがのんびりしていて、ホストファミリーと待ち合わせても30後ぐらいに現れるし、お弁当はりんご一個にスナック、、という『お弁当とは?』って感じのゆる〜い感じ。そりゃみんな太るわ!って思った。
夕方5時にはお店は閉まるし、日曜日はキリスト教の祝日でお店は軒並み休みという商売っけないし、派手で目立つ観光スポットもあるわけじゃなく、のんびり過ごしたい人にはうってつけの国だなぁって思ってたので、こういうことがあると悲しいよね。まぁ日本でもいつ起こるかわかんないってのはあるけどさ。

あ、脅しじゃなくてね、日々をありがたく思おうってことなんだけど

旅をしたり、海外行ったりすると海の向こう側のことが途端に
『自分ごと』になる、それは良くも悪くもだけど。
多分無関心でいられたほうが幸せなんだとはおもうのね。
『自分が今いる場所が良ければそれでおけ』って。
いろんなことにアンテナ張ればそれはそれでしんどいし、だって取捨選択しなきゃいけない情報が多くなるわけで。

何かを知ることや首をつっこむことにはリスクはあるとおもう。
でも悲しいかな人間の「知識欲」はそれを超えていく。
まるでそれを食べたことによっていらんことを知ってしまう
アダムとイブの話に出てくる『りんご』のように。


多分私たちは知りすぎている、いろんなことを。
気づかなくていいこと、知らなくていいこと、わからない方が幸せだったこと。

そう思ってもなお、クリックすること、スクロールする指を止められないし、
検索窓に打ち込むことをやめようとは思わない。自分でも気づかないうちに
禁断の果実の虜になってしまっているんだろう、そうそして私はMacユーザーw


<ウィキより>
禁断の果実(きんだんのかじつ、Forbidden fruit)とは、それを手にすることができないこと、手にすべきではないこと、あるいは欲しいと思っても手にすることは禁じられていることを知ることにより、かえって魅力が増し、欲望の対象になるもののことをいう。
メタファーとしての「禁断の果実」という語句は、旧約聖書の『創世記』をもとにしている[1]。創世記では、禁断の果実とは、善悪の知識の木の果実を指す。アダムとイヴはエデンの園にある果樹のうち、この樹の実だけは食べることを禁じられるが、イヴはヘビにそそのかされてこの実を食べ、アダムにも分け与える(イブが先と書くのは旧約聖書においてであり、イスラム教のクルアーンにおいてはどちらが先に口にしたかは書かれていない)。この果実を口にした結果、アダムとイブの無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部をイチジクの葉で隠すようになる。これを知った神は、アダムとイブを楽園から追放した。彼らは死すべき定めを負って、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる。

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で、映画の話。

こんな時に不謹慎だけど、ほんと護身術とか習おうかなっておもう。
ちなみにクリントイーストウッド監督のこの作品、犯人をとっちめた決め技は
『柔道』でした。軍隊の中で柔道トレーニングする映像も出てくるので、
まだ観ていない方はぜひ。

ノルウェー無差別銃乱射事件ウトヤ島の話これは衝撃的でした。

なくなった方々にご冥福を。
そして無差別テロが世界から無くなることを強く願います。

わかり合うことは難しい、でも知ろうとする努力はやめてはいけない、とおもう。

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