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約束アリのお別れです 約束なしの出会いです ~学校エッセイ20~

「学校に遊びにおいでね」

卒業式が終わると、「アルバムにメッセージを書いて!」「一緒に写真撮ろ!」 と言う生徒で、職員室がそれなりにごった返す。もちろんたいがい寄せ書きや写真は、友だち、先輩後輩が優先だけれど。

何かを(こういう時って気の利いた言葉が浮かばない。何を書くか決めておけばいいのだけれど)書いてアルバムとペンを返して、多くの先生は、冒頭の言葉を言う。生徒は98%(村野調べ?)、「うん!」「遊びに来るね!」と言う。というより、もう学校に顔を出さなさそうな生徒には、教員の口を衝いてその言葉は出ないだろうし、もう来なさそうな生徒はまず、アルバムに寄せ書きを求めない。

卒業後、「また?」と思うくらいに(年数回か?)来校していた生徒は得てして甘えん坊、依存心が強くて、大学や専門学校生活(新人として既に働いている者には、ちょいちょい学校に来る暇はない)をそんなにエンジョイしていなかったように思う。或いはよっぽど学校が好きだったり、部活で後輩の面倒を見つつ(或いは見るという名目で)、一緒にプレイしたかったり。そういう者たちには、制服を身につけていた頃から何となく、「卒業しても学校に来るタイプだな」という匂いがある。

アポなしで来られると、忙しかったりクタクタだったりする私に、話相手をしてもらって当たり前(と言うと言葉は強いが)、と思われても困るよ、と内心思う。誰に対しても、「会話を弾ませなきゃ」と義務感を覚えてしまう(そして後で私うるさかったな、と反省する)持病のある私なので、約束なしのお客には疲れてしまうのだ。たまたま上機嫌な時や時間のある時には楽しく応対し、帰りに何かご馳走したりすることもあるが。

一番恋しく思うのは、目立たず騒がず3年間そこに居てくれて、でもたぶんそこまで「うちの高校」を好きでもなくて、卒業したら新しい日々に溶けていきもう校門をくぐらないであろう子たちだ。

コロナがやって来て、長いこと、人と集まれなくなった。とても集まりにくくなった。コロナが下火になって、ちょくちょく、或いは少しは人と集まるように、会うようになった(なれた)。それでもその機会は減ったと思う。私くらいの世代、私以上の世代には、体力的にも精神年齢的にも、「今まであんなに集まる必要あったのかな」と思っている人も少なくないのではなかろうか? 以前の私は、「友人」と呼べる人には定期的に会いたい、という気持ちが強かった。好かれているかは甚だ疑問だが、社交的で、興味のある人には自分からグイグイいく性質を持つため、また職業柄(教え子含め)友だちが多く、いつも予定はビッシリだった。手帳に何が書いてあるのか自分でも読めなかったり……。でもコロナが来て、自分も病気をして家で療養したりして、「会わなくても友だちじゃん」ということに気がついた。そうかといっていつかは会いたいし、会えないままにどちらかがこの世にいなくなったらいやだな、という不安はあるけれど。

便りがないのが良い便り。寧ろ、卒業後、学校を振り返らない生徒の方が、「自分」らしく、元気にやっている、ような気がする。君は私を忘れる。会いに行けないけど、会えている。現実世界で卒業生全員にいちいち会っていたら疲れて死んじゃうし(担当した学年生徒だけで、ざっと3,000人はいる)、というのは照れ隠し、寂しさ返しである。




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