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ニュースつぶやき:「百年老橋、台湾の地震に耐え再度活躍する」

 台湾の地震で日本統治時代に架けられた古い橋が現役復帰し、復旧に一役かっている話。


 台湾東部沖地震で大きな被害を出した花蓮県の沿岸部。有名な観光地「太魯閣タロコ国立公園」にかかっていた、戦後の1971年にかけられた橋が崩落し、代わりにその脇にあった日本統治時代の1930年にかけられた橋に補強を施して使用しているとのこと。制限はあるものの、これにより一時は孤立していた状態が解消し、復旧の一助になっているということですわ。

 台湾メディアはこれを「百年老橋」と呼んで報道し、SNSでは「奇跡のようだ」「歴史がわれわれを守ってくれた」など称賛の声が相次ぎ、同国の王国材・交通部長(交通相)は、開通した橋の動画をフェイスブックに投稿し「大先輩のお出まし」と書き込んだとのこと。


 長さが違う(日本の造った橋10m、あとから造った橋25m)ので一概にどちらが強い橋だったのか断言することはできませんけれど、落ちずに残ったこと、補強をしただけで使えるようになったこと、その事実だけで言えば、よく残った!とほめてあげたいですわね。

 この橋のかけ方を見るに、おそらく曲がりくねっていた渓谷の道をまっすぐに、そして車線を増やして通行するために、後年橋をかけ変えたのだと思われます。ここを迂回しなければならないとしたら、復旧や救助活動に大きな遅延が発生するでしょう。かえすがえすもよく残ったものですわ。

 ここで大切なのは『我が日本の建築技術はァァァァァァァァァ世界一ィィィィィィィィ!』と安易なニッポンスゴイをやることではなく、なぜその強度を持たせたのかという部分をひもとくことでございましょう。
 1930年ということは、コンピューターはおろか電卓もなかった時代。おそらく計算はそろばんか計算尺、使っていても機械式計算機だったと思われます。ということは、それほど緻密な計算ではなかったでしょう。
 ならば、この程度の強度を持たせておけばいいだろう──ではなく、これ以上の強度を持たせておけばいいだろう──という発想になったのかもしれません。1914年に竣工した東京駅も関東大震災にびくともしませんでしたし、おしなべてあの時代の建築は頑丈だったのかもしれないのですから。

 日本統治時代ということで、ざまに言う人や、美談として語る人など、とかく感情的な振り幅が大きくなりがちな台湾の歴史エピソード。しかしわたくしは、歴史とは一元的な悪でも、一元的な善でも語ることができないものだと思っておりますの。それは今、この時を流れる歴史もそう。人の意思、思惑、善意、悪意、友愛、敵愾、それぞれがさまざまな局面で、複雑にからみあい、顔をのぞかせるものです。

 振り返ったときに、それはどういうものだったのか。
 今はどうなのか。
 そして、これからはどうなるのか。どうあるべきなのか。

 歴史という潮流の中をぷかぷかする一員として、台湾の方々の無事と、被災者の方々の一刻も早い救出を願ってやみません。台湾加油!




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